JR川崎駅の北口通路に、「中村憲剛選手 18年間ありがとう」コーナーがあります。
中村憲剛選手のこれまでの活躍を再確認できる写真が掲示されています。
数が多いのですが、すべてご紹介します。
まず最初にお知らせと言いますか、余談です。
今朝知ったのですけど、来年から日経新聞に憲剛選手のコラム(火曜日のスポーツ面の「スポートピア」)が載るそうです。
週一回のコラムを5人の元アスリートが担当するため、約1ヵ月に一回の割合で憲剛選手のコラムを読めます。
ちなみに、いまはサッカーOBからは福田正博さんが執筆されています。
新たな楽しみができました。
初々しい新人時代です。
憲剛選手のベストゴールは、やっぱりこれだと思います。
それにしても、写真家さんはうまく撮るもんです。
「Good Bye J2」のはずだったホーム大宮戦で軽~く負け、ホームで昇格を祝えなかったのが残念でした。
とは言え、昇格を決めるまで時間の問題でした。
この後、選手たちは市内の各所に散らばり優勝報告会が催されました。
私は、アトレ川崎の前身の川崎BEの大森スポーツへ家族で参りました。
この頃は、いまとは異なるサッカーでしたが、得点力は凄かった。
失点力もありました(苦笑)。
ジュニーニョなしに、憲剛選手のことを語ることは出来ないでしょう。
ナビスコカップの大分戦での決勝ゴール…申し訳ないですが記憶になく…。
背中の「ピーカブ」が「カブレラ」になることを、この時点で予想していた人はいないでしょう。
代表に選ばれるようになって、本当にワクワクさせてもらいました。
オシムさんは見る目があったのだと思います。
初のACLでした。
この頃の私は、「ACLって何?」とピンときませんでした…。
来年は、ACLを獲りたいですね。
これは貴重!
ここにいる少年(三笘選手)が、憲剛選手のリーグ戦現役最後のゴールをアシストするとは…。
兄弟のように仲が良かったですね。
ということは、龍剛くんはいま12歳?
先日の引退セレモニーでパパに手紙を読みましたが、しっかりしてるわ…。
下馬評はかなり川崎の方が優勢でしたけど…。
涙雨になった最終節でした。
やっぱり、アウェイ大分戦での敗戦が痛かった…。
この年は、ワールドカップイヤーでした。
このケガで代表から漏れるのではないかと本当に心配しました。
南アフリカへ行けて、本当に良かったです。
憲剛選手が途中出場した時は、本当にワクワクドキドキでした!
この試合終了弾も凄かった。
この試合の1点目も憲剛選手によるゴールだったはず。
記憶に間違いなければ、このFKと同じあたりからのミドルだったような…。
この半年前に震災があったわけですが、こうしてJリーガーが来てくれると嬉しいだろなうなぁ。
憲剛選手って、こういう活動も絶対手を抜かないんですよね。
だから、みんな憲剛が好きなんですよね。
最初はなかなかチームの結果が出ずにヤキモキした頃です。
いまは、この頃に蒔いた種が実っているのでしょうね。
憲剛選手の左にいる外国人が分からず…ロブソン選手でした。
ブラジルW杯には行けませんでした。
サポーターもショックでした。
この試合も、ACLのアウェイゲーム直後で完敗で踏んだり蹴ったりでした。
上述しましたが、本当に仲が良かったですからね。
大久保選手にとって、フロンターレ時代が最高のパフォーマンスだったのではないでしょうか…。
そこに、憲剛あり…。
C大阪からオファーが来ているとの記事を目にしました…良かったです。
これは知らなかったです。
「フロンターレ通算」ってことは、J2時代も含めてかな?
そういえば、このユニフォーム以降、一度もユニフォームを買っておらず…。
自身のMVPを喜ぶというより、「クラブみんなで、この場に来たい」という思いの方が強かったように思います。
この次の年、それがようやく達成できました。
この時期に、一番見てはならない写真のように思います(苦手)。
この時は無冠で臨んだ天皇杯決勝。
3日後は、4つタイトルを獲った上で臨みます。
自ずと、プレッシャーは違うはず…。
この姿を見て、何人の人が泣いたでしょうか。
私も、オンオン泣きました。
盛り上がりましたね、パレード。
残された1試合の天皇杯決勝…贅沢を言えば、この二人のホットラインによる得点を見たい!
遠い昔のことのようです。
この試合に勝ったわけでもなく、しかもアウェイの地でしたが、嬉しいものは嬉しい!
これと同じ最高の笑顔を3日後には見せてほしい!
長いケガからの復帰戦、しかも途中出場でゴールを決めました。
神がかっていました。
この決勝点も見事でした。
スルスルスルとゴールの方に走って行って、ピンポイントで決めました。
記憶に残るゴールです。
4つ目のタイトルをもたらせてくれました。
あともう一つ、お願いします!
そして最後に、中村憲剛選手 18年間ありがとう!!!