2週間前、初めて羽田までジョギングしたのですが、昨日も同じコースをジョギング。
往復計12キロは老体には長い距離ですが、心地よい疲れを感じることができます。



前回のジョギングで探しきれなかったのが、羽田の「赤レンガ堤防」。
最近、芸能人が散歩する番組が多く、この「赤レンガ堤防」をテレビで何度か目にしました。
これを見るために、もう一度走ってみました。



下の画像は、多摩川の左岸(つまり、大田区側)において、河口から上流へ向かって撮ったものです。
左への道は、現在の堤防…ジョギングやサイクリングをする人は、ここを通ります。
右への道は、生活道路…と言えばよいでしょうか…。



「赤レンガ堤防」は、この右方向への生活道路沿いにあります。
現在の堤防から、ほぼ家一軒分だけ内陸側にあります。
川沿いの護岸工事などで、家が建つスペースが出来たのでしょうか…。
 

 

 

「赤レンガ堤防」は、このような感じです。

道路と住宅の間にあるガードレールのような感じです。

とても低いものです。

 

 

 

 

 

 

「赤レンガ堤防」の説明看板には、以下のように書かれています。

羽田のレンガ堤防は、洪水対策として大正から昭和初期にかけて行われた多摩川改修工事で建設された。
自然堤防上、道路面から腰高ほどのレンガ堤防を建設したのは、堤内外を日常的に往来する羽田猟師町の土地柄への配慮であった。
イギリス積み工法による堤防は「赤レンガの堤防」と親しまれ、羽田の原風景ともいえる。


往来のために、あえて低い堤防にしたわけですね。

洪水の時に防ぎきれたのでしょうか…。



ここでザラっとしたのが、「猟師町」という文字…
「漁師町」が正解なのではと思ったのですが…。


「京浜河川事務所」のホームページに以下の通り、説明がありました。
引用させていただきます。

かつてこのあたりは、江戸幕府への鮮魚献上と引き替えに「漁猟特権」が与えられ、漁業の町として知られていました。

そのため、漁業技術者の尊称をこめて「漁師」ではなく「猟師」と呼ばれていたそうです。

ですから、「猟師町」で正しいわけですね。

 

 

 

この「赤レンガ堤防」は、かつてはおそらく1キロぐらいの長さがあったのではないでしょうか。

調べ切ることができることができなかったので定かではありませんが…。

 

少なくとも、首都高の横羽線あたりでも確認できました。

 

 

 

 

話しはズレますが、この首都高横羽線の真下辺りに、「羽田の渡し」があったそうです。

東海道上にある「六郷の渡し」から下流へ約3キロぐらいのところです。

 

 

この「羽田の渡し」に乗って川崎大師へお参りに行く人が多かったそうです。

そのため、東海道にある川崎宿では商売に差し支えていたそうです。

川崎宿から、「羽田の渡し」の通行を禁止してほしいと幕府へ願い出るぐらいの賑わいがあったそうです。

 

 

 

帰りは川辺を散歩…長閑です…。