hello!プロフィール紹介、加藤綾乃です。こんにちは ランジェリーコンシェルジュ加藤綾乃です。 先日凄腕整体師の方に出逢い、そこで【社長インタビュー】と言うのを受けたのです。正確には、私フリーランスの立場ですが、、、 『あの原山』こと、原山友弘さまのセミナーでお隣の席だった剣持 樹(Miki Kenmochi)さまと出会いまして、 彼は凄腕整体師さんなのですが、ライフワークだからと【社長インタビュー】を先日受けました! A4に8ページと驚くボリュームでしかもとても的確に纏めてくださったので永久保存版です いつも、自己紹介下手な私は、ずっと下着の物づくりしてました。ぐらいで済ませていたのですが、インタビュー受けた内容が私がライティングするよりとても分かりやすかったのでそのままご紹介です! ❁加藤綾乃インタビュー❁▼ 生い立ちとご両親について北海道出身のダム建築に携わるお父様と新潟県関川村出身のお母様を持ち、福島県会津若松市に産まれる。お父様は地図に残る仕事がしたい!!ということで今の仕事に従事しており、新潟での仕事の際にお母様と出会う。三人兄弟の長女。 ▼ 学生時代を振り返って幼稚園時代 ミッション系のモンテッソーリ教育を行う私立校へ小学校時代 エスカレーター式のためそのまま私立校中学生時代 父の転勤をきっかけに新潟に引っ越し公立の中学校へ 将来の仕事について母から「薬剤師」か「公務員」を熱望されるも、その気になれず上京を決意 部活はバドミントン部に入っていた高校生時代 中央高校へ進学し、上京を目指して勉強に励む 登山部に入るも肌に合わず・・・大学生時代 指定校推薦を受けて4年生の経済学部に進学 母の束縛から解放され、非常にのんびりした大学生活を送る このときに現在のご主人とも出会う(出会いは1年生の頃、おつきあいは4年生の頃) この時代にブレザーが流行し、ストッキングへの興味関心が高まり「ストッキング愛」に目覚める ▼ 大学卒業後ストッキング愛が高まり、ストッキングやインナーウェアを手がける大手の「ATSUGI」に入社なぜ入社できたのかを振り返ってみても本人としては「謎・・・」後に採用担当の方に聞いてみると入社レポートの内容が非常に細かく分析されており役員の方がその点を非常に高く評価していた「まじめで控えめで一見『大丈夫かな?』と心配になった」と評価されていた上記の印象にもかかわらず、なぜか営業に配属される同期の中では目立っていた方で先輩にもかわいがってもらった ▼ お世話になった先輩との不思議なご縁このときにかわいがってくれた先輩の川田雅直さんとは不思議なご縁があり、この3年後にデザイン事務所を設立した川田さんがDHC時代に営業に来てくれた。このとき取り扱っている商品について提案されたアイテムを加藤さんが直感で「売れる!」と感じたため、1度は社内のプレゼンで却下されたものの、押し通して販売開始。売り出してみると長期間売れ続ける隠れヒット商品となる。その後も順調に売上げを伸ばし、シリーズの取り扱いも増えた。このことを川田さんは非常にありがたく感じており今も交流が続いている。 現在川田さんは『プリンセスミュージアム』というプリンセスをモチーフにしたアンティーク絵本を中心としたコレクションによる展覧会やアンティーク絵本の復刻出版、イベント・講演会などのワークショップを開催するなどの活動を主宰している。プリンセスミュージアムの収益の一部は国立成育医療センターで病気と闘っている子ども達やそのご家族のためのボランティア活動に寄付されている。 ▼ ATSUGI時代からDHC時代へ新卒でATSUGIに入社し、営業に配属されていたが25歳の頃企画課に配属が決まる。そこで物作りの楽しさに引き込まれていき、価格を下げてよりいい物を!という想いで携わる。MDとして活躍するも、そのうちに、当時20代の自分たち世代に合ったインナーウェアを作りたいと考えて転職を考えたところDHCでの求人を見つける。このときに28歳。DHCの面接はちょっと変わっており『自分が好きな下着を持ってくる』と言うものだった。▼ DHCの面接と会長からの特命DHCの1次試験では7人の面接官に対して『自分の好きな下着についてプレゼンをする』という内容だった。一人一人が面接室に入り、自分の好みの下着が入った紙袋を抱えて・・・という少し変わった面接風景。2次試験では『10万円で自由に下着を購入してきてプレゼンする』という試験内容。3次試験になり、ようやく常務との面接。めでたく採用が決まり、社長室付けに配属される。その後、吉田会長に呼ばれ『現在のDHCのインナーウェア部門に不満があり君になんとかして欲しい!』と直々なオファー。加藤さんの旧姓が吉田であることから、同じ名字というシンパシーもあってこの特命が下された。ちなみに加藤さんは「素直な姿勢」が評価されて試験に合格していた。 当時のDHCインナー部門が抱えていた問題が ・デザインやカタログが美しくない ・DHCのターゲットが20代前半なのにおばさんな感じが出ている ・OLさんに向けて発信していきたいであった。 これを引き受けた加藤さんは、早速現状の把握と目指す未来のために海外のメーカーや工場を視察して様々な情報や経験を吸収することができた。当時のDHCとしては『儲けるよりも利益の還元が目的な事業』としてランジェリー部門を展開していた為に営利優先ではなく好きなように仕事をすることが出来た。 ▼ DHCの方針転換と決意31歳の頃、DHCの役員に入れ替えがあり『部門ごとにしっかりと利益を出す』という方針に切替る。このときの上司が「経営のオニ」と言われるような厳しい方で、そのときは会うだけで膝が震えたほど・・・方針について行けないことでスタッフが一人二人と離れていき、最終的には加藤さんが課長職にありながら実務を広範囲にカバー。圧倒的な人手不足から『やるしかない』状況に。そのときの加藤さんは、デスクには常に『辞表』を忍ばせて「いつでも辞めてやる!」と半ば吹っ切れて仕事に励んでいた。そのお陰か、部門の売上げは1.5倍になっていた。 ▼ 不妊治療と仕事の人間関係によるストレス・・・28で結婚しており、このとき30代前半であったため、そろそろ『子どもを産む』ことについて考えるようになった。しかし、すぐに恵まれることがなく、35歳までに産む!という気持ちの焦りもあって、なかなか授かれない状況に自分を責めてしまっていた。 不妊治療をスタートするものの、女性としての能力を否定されたような屈辱的な気持ちになる。治療のお陰もあって自然妊娠するものの流れてしまい、気持ちも落ち込み仕事に対してのモチベーションも下がってしまう。好きで始めた仕事だったが、子どもを授かったら辞めようと言う気持ちだった。 このときの仕事は『数字が全て』という考え方であり、人間関係もギスギスしたものがあった。たまたま海外(バリ島)に行っていた2011年3月11日。東北地方太平洋沖地震が発生し、帰国後に「あなただけ日本にいなかった」ということが発端で人間関係トラブル、仕事の歯車もズレが生じる。 不妊治療等のことも有り、このときのストレスは凄まじいものだった。 ▼ やっと恵まれた第一子と主婦生活、そしてGUへそんなストレスの中、三ヶ月後に再び妊娠。無事に元気な女の子が産まれた。これをきっかけにDHCを退社。1年間主婦として子育てに専念する。マイホームでの子育ては非常に充実しており楽しかった。 1年後、子育ても落ち着き『下着の仕事に戻りたい』と考えたとき、『GU』にてMDの求人募集を見つける。 ▼ GUでの子育てと仕事の両立GUとしても経験者を探していたことも合って相思相愛の合格!GUは低価格路線で展開していたため、数字については非常にシビアで365日常に仕事モードでいることが求められた。7時~4時で働いており、そのときは「いけるだろう」と考えたが実際にやってみると非常にきつくて「これは続けられない・・・」と感じていた頃に一つのチャンスがやってくる。 ▼ DHCからの「戻ってこない?」GUでは安くていいものを!という方針で全員経営を求められ、これまでやってきた「いいもので誠実なものを適正価格で」とは違った方針であったことから、振り返ってみると『自分に合わなかった』と感じた。 GUの上司に退職したい旨を伝えると、『マジか!?』という反応だったが快く受け入れていただけた。DHCへの再入社は会長宛にお手紙を書くというちょっと変わった方法。熱意が伝わったのか、無事に再入社も決まってDHCでの再スタート!のはずが・・・ ▼ 2人目の出産と産休と転勤再入社が決まって三ヶ月後、なんと2人目の妊娠が分かる。産休を頂いて出産し、さて仕事に復帰というところで今後はご主人の転勤が決まってしまう。 DHCからは『フリーランスでの企画補助』として契約を頂くも、加藤さんとしては『申し訳ない』という気持ちが強く、居心地の悪さを感じていた。【この価格帯で売れるもの】vs【いいものを作って適正価格で売る】という方針の違いを更に感じてしまった。自分の人生について疑問がおこり、違う人生について模索するようになった。 そしてDHCとの契約更新をせず「自分に何が出来るのか」を試すことに。 ▼ 自分と向き合って模索した時期契約を更新せずに、本当の意味でフリーランスとなってから、マクロビオティックや整体、主婦起業について学んでみたりとひたすらに自分に何が出来るのか?考えており、たどり着いた答えが・・・『下着に関わる仕事がしたい』という原点回帰。そこで2018年9月に以前知り合った北区のドレスショップのオーナーさんとで「ランジェリーお茶会」というイベントを企画し、主宰。自前の下着と、加藤さんが見立てた下着でどのようにビフォーアフターで変化が見られるのか?がメインイベント。企業様も2社がノベルティなどを提供して下さり、参加費3500円のイベントを開催。当日は15名以上の方にご参加いただき、見立てたランジェリーもいくつかご購入いただいたので結果として赤字にならずイベントを終える。しかし、購入に繋がらなかった場合は赤字であったことを指摘される。そんなイベントの話から、エステ会社のオーナーさんにご縁が繋がりお会いすることに。会社を訪問すると、いきなりランジェリーがドドーンと陳列されている。社長さんが開口一番『どう思う?』・・・思ったままにコメントを伝えたところ、知識や経験を感じていただけて取り扱えることに。 その後2回目のランジェリーお茶会を開催。「楽しかった」で終わってしまってはいけないと考え、イベントを更に発展させる必要性を感じる。 同年11月に古町でランジェリーサロンを開くこととなり、古町からランジェリーで盛り上げて行きたいという気持ちがある。ランジェリーお茶会については、参加の方から3回目の要望や、もっと大きな会場で展開したいというニーズもいただいているが加藤さんとしてはそのようなイベントはまだしっくりと来ない。 ▼ ランジェリーを盛り上げたいという想いからランジェリーの記念日を・・・ランジェリーを如何に注目させるか?と考えたときブラの日やパンツの日はあるけどランジェリーの日はないことに着目し、社団法人「記念日協会」に直接電話をする。法人ではなく、個人が「ランジェリーの日」を設定するということについて否定的なご意見を頂いたものの、いつの間にか「応援」してくださり、最終的には『「ランジェリー文化の日」とすることで記念日に広がりをもたせることができる!』と素晴らしいアドバイスをいただく。 ▼ ランジェリー文化の日 制定『大切なパートナーに想いを伝える、おもいやりをプレゼンとする、大切にされる』そんな想いを込めて、クリスマスの1ヶ月前。11月25日をランジェリー文化の日として申請したところ、無事に通過。流石に個人名では・・・ということで急遽法人名義をつけることになり現在の屋号である『Lingerouge』が誕生した。 ▼ 倫理法人会で見えた男性側の想い倫理法人会での講話の機会をいただき、男性経営者も多い会場ということでボディウェアについての講演を行う。そこで男性目線でのランジェリー観や実際にプレゼンとした際のエピソードなどを知り、『奥さんを大切にしたい』『プレゼントをしたいが趣味ではないと言われてしまった』という男性の悩みを解決するために【ランジェリーギフト券】の構想が生まれた。 ▼ ランジェリーは心と体の不調にリンクする【30代後半にボディラインは崩れていく】これは明確なデータが出ており、『キレイ』でいられるか『おばさん』になってしまうのかは如何に心がけるかで分かれる。『ランジェリーは整ったボディラインをセルフケアするためのアイテムである』と考えたときに自分の役割が何であるのかが見えてきた。Lingerougeの理念は「美しい下着、美しい心、美しい社会」であり、目に見えないおもいやりの文化を大切にする。サイズの合っていないランジェリーでは、カラダが歪むため、心や体に不調を来してしまう。だからこそ、ランジェリーのコンサルティングやお悩み相談でキレイになりたい女性を応援したい。 ▼ こだわり抜かれたNo1ランジェリーとの出会いと巡り会ったお客様これまで様々な現場で下着について、ランジェリーについて学んできたが、新潟で出会った今のサロンで取り扱っているアイテムがNO1の製品であると確信している。しかし新潟ではあまり知られておらず、個人が取り扱いしているランジェリーブランドが複数あるのみ。 発信活動としてInstagramを活用しており、サービスの一環であるランジェリーの同行ショッピングのご依頼を頂いた東京在住の方がどうも「とてつもなく資産家の方」のような直感が働き、いきなり同行ショッピングではなく、まずはお茶をしてお互いの理解を深めてみたところ、ありとあらゆるランジェリーブランドを身につけてきたが、「最近は満足できるいいアイテムがない」とお悩みだった。 そこで、たまたま持参していた新潟で出会ったこだわりのランジェリーカタログで商品についてお伝えしてみると、とても気に入っていただけて早速行きつけのエステサロンのフィッティングルームをお借りして採寸までさせていただき、ご紹介したランジェリーをいたくお気に召して下さった。 ▼ 専門誌のコラムから繋がったご縁加藤さんはポーランドのインポートブランドを扱うランジェリー通販サイトにて定期的にコラムを連載しているコラムニストとしての顔もある。著者紹介にInstagramのアカウントが掲載されているため、コラムを読んだ方がInstagramを閲覧し、時には『会いたい』とオファーを頂く事も。今回のお客様とはそのような出会いだった。 定期コラム以外にも最近では雑誌「LDK the Beauty」の着圧タイツ特集にて取材記事が掲載された。 ▼今後の展望いつかはものづくりで全て自分で作り上げる自分のブランドを持ちたいということが今後の夢。5年後、早くても3年後には達成しているイメージはある。占いなどは元々信じる方ではないが、先日鑑定された結果について非常に腑に落ちるところが有った。加藤さんは、遊んで仕事に繋がる人であり、文化を創り上げる人であるとのこと。 全てが夢に向かっているようだ。 長々と読んで下さって、有難うございます♡ 明日、カウンセリング新メニューお知らせします!乞うご期待!!