愛用のコンピューターの乱調により、前回から、ずいぶんと間が空いて
しまいましたが、今回は「眼」です。
空中、すなわち、空の世界には眼は無い、眼で見る対象である色も無い、
眼界も無い、と般若心経にはあります。
こらは、五感のひとつである眼、見る対象に対応する色や形あるもの、
それらを構成する眼で捉えることができる世界も無い、といっている
のです。
つまり、当時は五感と意識の捉えるそれぞれの範囲を、それぞれ
ひとつの世界と捉えていたのでしょう。
そのほかに、空の世界があるということを般若心経ではいっているわけです。
般若心経を作った頃に、このような世界観を持っていたということは、
なにしろ日本のその頃は卑弥呼の時代にさしかかろうかという時代ですから
まことに驚くべきことです。
しかし、現代では脳科学も脳の機能を相当に細かく分析して解明して
いますので、歴史的、仏教学的には意味があっても、
科学的な意味では、このような説明に重きを置く価値はないでしょう。
修行者が修行の段階に応じてどのような認識を持つようになるか、
ということを見ていけばいいのでしょう。
眼耳鼻舌身は波動や粒子などによる刺激を受けて、
それぞれの器官が受け止め、脳の視床が振り分け、
脳が再構築して記憶する。
とこういうわけですから、それぞれの世界は脳の中でひとつに
なってしまうわけです。
意識の世界のほかの空の世界や阿耨多羅三藐三菩提の世界の存在を
示唆している般若心経の世界はなんとも神秘的で魅力的です。