今回は、一語一会ですまなくなってしまいましたが「一切」についてです。


前回の説明では一切はすべての空間とすべての時間とその枠組みの中に含

まれるすべての存在と書きましたが、大事なのは、その枠組みです。


枠組みの中の存在が存在として認識することができるのも、

その枠組みがあるからです。


枠組みとしての時間については


般若心経 空の巻その8、

般若心経 空の巻その10、

般若心経 雑感その23


などで書きましたが、十二因縁の各項目、その順序が不可逆的に

一つの方向に流れ、変化するために時間感覚が生まれるのです。


これが仮に可逆的に前後順番が組み替えられるとしたらどうでしょう。


この三次元・現実の世界において眼で見ることができ、手で触れることが

できる確固とした現象は認識できなくなるでしょう。


また空間についても、般若心経 空の巻その4に書いたように、

事象は空の世界と現実の世界との間を行き来することにより変化します。

ですから、事象の存在位置が定まるためには空間の枠組みが必要に

なります。


これもまた、空間の枠組みがごちゃごちゃになっていたとすれば、

三次元・現実の世界には物の存在はあり得ません。


この枠組みが不確かになると、般若心経 雑感その22に書いた

ジル・テイラー博士やオルダス・ハックスレーの感覚のように現実の世界

の様相が変わってしまいます。


つまり、時間と空間の枠組みが脳に、ということは意識に枠組みとして

しっかりとはめ込まれて、初めてこの世の事象の存在が認識できるわけ

です。


だからこの時間と空間の枠組みとそのなかの存在は切り離すことが

できないのです。


ところが、般若心経でいう一切はさらに三次元・現実の空間に他の次元の

空間、すなわち空の世界と阿耨多羅三藐三菩提の世界という空間も含ま

れます。

また時間の枠組みにも過去現在未来という時間も含まれます。


ということは逆に過去も現在も未来もないということになるのかも

しれません。


ここでいう一切とはそんな一切です。


こうしないと般若心経に書いてあることは理解できません。


もう一言一切について。


般若心経(玄奘の訳)には「一切」という字が三つ出てきます。

そのうち二つは般若心経 般若波羅蜜多の巻、

般若心経 般若波羅蜜多の巻その5に書いたように玄奘が書き加えた

ものです。


これが玄奘の般若心経に潜めた暗号であることは

般若心経 般若波羅蜜多の巻その5、

般若心経 般若波羅蜜多の巻その7

に書いたとおりです。


もう一つの一切、「般若波羅蜜多はよく一切の苦を除く」とある一切は

般若心経に元から書かれていた一切です。


この一切も過去現在未来の時間を含み、その時間に密着した空間をも含む

と解釈しなくては般若心経に書いてあることは理解できません。


般若心経には空中すなわち空の世界には苦を生じさせる原因である老死は

ないけれど、老死が尽きることもない、とあります。


ですから、空の世界においてもこの老死を尽きさせなくては一切の苦を除く

ことはできないでしょう。


ところが、般若心経には「般若波羅蜜多はよく一切の苦を除く」とあります。


ということは三次元・現実の世界だけで片付けるわけにはいかないわけです。