前回 、目次 、登場人物 、あらすじ
一匹狼の刑事の潜伏先が分かっても、フォルスト捜査官はその情報を最小限に留めた。
身内のFBI捜査官で、この情報を知っているのは、担当者の2名だけであった。
警察内でも、署長と殺人課課長しか知らなかった。
フォルスト捜査官は、秘密結社に情報を漏れるのをとても恐れていた。
一匹狼の刑事は殺人課に長年いたベテランであり、署内はいうに及ばず、裏社会にも通じている男であるので、一旦彼の逃走先をFBIが掴んだことが他に知られれば、瞬く間に彼の耳に届き、再び行方知れずになるからである。
翌朝、捜査本部でミーティングが開かれる為、捜査官が集まり始めていた。
その中に捜査協力者として、コリン、デイビット、そして、ブライアンがいた。
前方の席で書類を見ていたフォルスト捜査官は、何時もの様に冷静な態度であった。
しかし、隣にいる殺人課の課長は表面上は落ち着く振りをしていたが、椅子の下で下腿部を何度も組み替え、ソワソワしていた。
席についていたデイビットは、左隣に座ったブライアンと打ち合わせを始めた。
デイビットの右隣に座っていたコリンは、二人の話を聞いていたが、課長が椅子の下で落ち着き無く足を組み替えているのを見付けた。
「ジッと下を見ているけど、一体どうしたんだ?」
通りかがったベンジャミン捜査官が、声を掛けた。
彼は、ブライアンと旧知の間柄のせいか、コリンに気に掛けていた。
「課長が挙動不審なんだ。足下を見てよ」
「本当だ。変だな」
「きっと、夕べ私達が捜査本部を去った後に何か起きたのよ。その証拠に、捜査官が2名欠席しているわ。彼等が欠席した理由は、誰も知らされていないの」
彼等の側に寄ったジョーンズ捜査官が、喋った。
「主任が情報を一手に握っているからな。いくら、警察内の秘密結社が相手でも、部下の我々には話して欲しいね」
ベンジャミン捜査官が溜め息交じりに愚痴を言った。
「そうだよな。スパイは逃げたから、安心しても良いのにな」
今度は、殺人課の若手刑事が参加した。
「いや、ここは用心深くした方が良い。『敵を騙すにはまず味方』と言うだろう。もしかして、スパイが他にもいるかも知れないからね」
マックス刑事が皆に声を掛けた。
話を終え、デイビットが目をやると、コリンの周りに、FBI捜査官や刑事達が集まっていた。
『俺がちょっと目を離した隙に、こんな大勢がコリンの周りに集まっている』
デイビットが内心ムッとした。
「まあ、良いじゃないか。コリンは色々と情報を貰っているんだからな」
ブライアンが宥めつつ、内心こうも思った。
『コリンは、子供の頃から常に周りに人がいる』
コリンの視線に気付いたのは、課長では無く、フォルスト捜査官であった。
「落ち着いて貰いたい。柴の子犬が、貴男の足下を見ている」
『柴の子犬』とは、捜査関係者がこっそりと呼んでいるコリンの渾名である。
フォルスト捜査官に注意され、課長はハッとして足の動きを止めた。
「子犬が気付いていると言うことは、彼の側にいるデイビットとブライアンも察しているということだ。それに、彼の周りにいる捜査官達も、彼から貴男の様子を聞いて、変だと思うだろう。もしも、あの男の情報が漏れたら、我々の苦労は水の泡になってしまう。あと数日間はして頂きたい」
「申し訳ない」
冷や汗を掻いた課長は、ただ謝るほかはなかった。
フォルスト捜査官の動きを知らされていないコリンとデイビットは、捜査会議の終了後、この日も秘密結社の居所を、裏社会のルートで探していた。
デイビットとコリンが乗ったフォレスターが、スワンスン夫人の本宅の前を通った。
「ちょっと停めて」
コリンがデイビットに頼んだ。
20代前半と思われる女性が、裏門から出てきたのを目にしたからである。
コリンは、急いで女性の元へ駆け寄ると、声を掛けた。
「帰るところ悪いけど、ちょっと良いかな」
派手なアイメイクをした女性が、歩きながら即答した。
「お生憎様。私、婚約者がいるの」
コリンは、リッキーの足の速度に合わせて歩きながら、自己紹介をした。
「そうじゃないんだ。俺、コリンと言って、警察の捜査協力者なんだ。聞きたい事があるんだ。名前は?」
「リッキーよ。悪いけど、急いでいるの」
リッキーは、駆け足でその場を去ろうとした。
「奥様の具合はどう?俺も昨年の冬にインフルエンザに罹った事があったから、心配なんだ。体の節々が痛くって、あれはこたえたな。奥様も俺みたいに苦しまなければ良いけど」
コリンの意外な言葉に、リッキーは思わず立ち止まってしまった。
「優しいのね・・・。私、台所担当だから・・・。奥様にお目にかかったのは、えっと、この春に雇われた時だけなのよ」
リッキーは額から大量の汗をかき始めた。
「奥様の容態は知らないんだね。それじゃ、よくこの屋敷に出入りしている若いボーイフレンドは見かけたかな?ミーシャと言う名前で、君と同じ位の年で、髪の金色、瞳は青色で、ハンサムな人だ」
メイドのリッキーは、コリンの質問に戸惑った。
「私は何も知らないのよ。本当なのよ、信じて、お願い」
戸惑うリッキーの様子に、コリンとデイビットは、彼女が夫人から口止めをされていることを察した。
「勿論、信じるよ。所で、ウィルという使用人がいたよね。彼と会うことが出来るかな?」
ジョーンズ捜査官から、ウィルが事情聴取の時にソワソワしていたと聞いていたからだ。
「ウィル?駄目よ。彼は、ハワイの別荘へ行ったわ。奥様の一番上のお孫様が、ハワイでサーフィンの為に滞在するから、身の回りの世話をする事になったのよ。彼、ハワイ出身だから、向こうの事情をよく知っているからって」
「随分急だね」
「んー、どうなのかしら。私は細かい所までは知らないわよ。ご免なさい。もう行かなきゃ。アパートに、お転婆のニャンコが待っているから」
リッキーは、そそくさとその場から離れた。
「怪しいね。夫人の病気は嘘かもよ。ウィルがハワイに行ったのも、裏がありそうだね」
デイビットは大きく頷いた。
「恐らく、そうだ。夫人も秘密結社と繋がっているのだろう」
突然、聞き覚えのある声が、コリンの耳に響いた。
コリンとデイビットが振り向くと、買い物袋を持った猛が立っていた。
「君達、ここで何をしているのだ?若い女性と真剣な顔をして話していたが、何かあったのか?」
「猛さん!どうしてここへ?」
コリンとデイビットは驚いた。
「この2ブロック先に、日本食専門のスーパーがあるのだ。値段は張るが、美味しい豆腐や生卵が手に入るので、時々立ち寄っているのだ。店を出たら、君の声が聞こえたので、ここまで来てみたのだ」
「2ブロック先まで声が届いたのですか?俺、普通に喋っていたのに?!」
コリンは更に驚いた表情を見せた。
「特別なした事では無いよ。警察官だった時代、犯人を追跡する為に、遠くまで声が聞こえるように訓練をしていたからだと思う」
少し照れ気味に猛は言った。
「もしかしてそれは、夜中に針を砥石の上に落として、聴力を鍛えるという訓練でしょうか?」
コリンは尋ねた。
「『小音聞き(さおときき)』だね。勲から聞いたのか。それもやったよ。他にも、耳を柔らかくする等、色々と方法があるのだ。ところで、あの若い女性は、重大な鍵を握っているのか?」
「大した事ではありません。事件に関わりのある夫人の豪邸から、女性が出てきたのを見かけたので、話を聞いただけです。ミーシャを見たかと思ったのですが、残念ながら、彼女は何も堪えてくれませんでした」
「残念だ。サラから、スーパーの近くに、秘密結社に家を貸した富豪の奥方が住んでいるから気を付けるようにと言われていたが、ここだったのか。やはり、捜査令状が無いと難しいだろう」
猛は豪邸の方を見た。
高い塀の上に監視カメラが設置されていた。
『警備はしっかりとしている。見取り図さえあれば侵入出来て、家の中を調べる事が出来るのだが。ここでコリン達を巻き込む訳にはいかん。今は、じっと堪えるしか無い』
======
塀に設置している防犯カメラの映像は、ベッキー達を捉え、それは邸宅内にいるスワンスン夫人とミーシャの目にも留まっていた。
「コリンの野郎、上手い事言って、メイドを喋らせたな。それに、ニンジャが出てきたな」
応接間のソファに座り、タブレットで防犯カメラの映像を見ていたミーシャが、苦い顔付きをした。
「これが噂のニンジャなのね。新聞で載っていた写真よりも、お爺さんだわ。このお爺さんは、近所のお店で日本食を買っていただけだから、大丈夫じゃないからしら。あそこ、とても美味しいものを売っているのよ。でも、コリンって子には、気を付けないとね。なかなか可愛い目をしているけど、私を心配する振りをするなんて、強かな坊やだから。リッキーの事は平気よ。彼女の婚約者は、うちの運転手なの。自分はともかく、将来の夫も職無しにはしたくはないでしょうから。勿論、これ以上話させないようにするわ」
スワンスン夫人は、後ろに立っていた執事に目をやった。
執事は頷いた。
「貴男のお友達にも、早くこの事をお話しないとね」
「そうしたいが、シェインは、この間紹介してくれた不動産会社の社長と会ってる所なんだ」
ダウンタウンからかなり離れているものの、18名の殺し屋達を住まわせる広い間取りの家と庭があった。
庭は海に面しており、周囲から孤立した場所にあり、格好の場所であった。
問題なのは前の住民が破産してしまい、猟銃自殺をした場所でもあったため、長年買い手が付かなかった位だ。
この物件を紹介した不動産会社の社長は、スワンスン夫人の会社で長年働いた後に、10年前に独立した。
インターネットを駆使した戦略で、業績を順調に伸ばしている。
夫人の紹介ということで、社長が直々に物件をシェインに紹介していた。
『運転手兼ボディガードは元プロレスラーで、隣にいる秘書は元プロバスケの選手だ。昔、テレビで見たな。この女社長は見たところ50代前半だ。昔の上司に劣らず、なかなかの情熱家だな。昔の上司と違うのは、ガチムチがお好みか』
シェインは冷笑した。
「どうでしょうか?」
低音量の声で説明を終えた社長が、シェインに問うた。
「結構だ。ここにする。メールでやり取りした通り、キャッシュで一括払いだ」
シェインはアタッシュケースを社長に見せた。
長身の秘書は険しい表情を見せ、社長のほうを見ると、小声で忠告した。
「現金で一括払い?もしかして、犯罪組織の人間では?」
「大丈夫。信頼出来る方からの紹介だから。この方、カードが嫌いなだけなのよ」
社長は、秘書の心配を払拭した。
しかし、社長もスワンスン夫人に騙されていた。
この場にいる者は、シェインが実業家だと信じ込み、FBIと警察から追われている秘密結社の人間だとは露ほども思わなかった。
帰宅途中、コリンは車窓からFBIの車列が反対車線を走っているのを見た。
「みんな、空港のほうへ向かっているね」
デイビットも何かを察していた。
「変だ。俺のiPhoneには、誰からも連絡が来ていないよ」
「俺のスマートフォンにも着信は無い。きっと、FBIが極秘に動いてるのだろう。警察にも内緒にしているぞ。仮に、警察が知っていたなら、マックス刑事からの連絡が必ずあるからな」
「何かが起きているんだ。俺達も空港へ行こうよ」
「敷地内には入れないだろうが、近づける所まで行くか」
フォレスターはUターンをして、車列の後を追った。
続き
一匹狼の刑事の潜伏先が分かっても、フォルスト捜査官はその情報を最小限に留めた。
身内のFBI捜査官で、この情報を知っているのは、担当者の2名だけであった。
警察内でも、署長と殺人課課長しか知らなかった。
フォルスト捜査官は、秘密結社に情報を漏れるのをとても恐れていた。
一匹狼の刑事は殺人課に長年いたベテランであり、署内はいうに及ばず、裏社会にも通じている男であるので、一旦彼の逃走先をFBIが掴んだことが他に知られれば、瞬く間に彼の耳に届き、再び行方知れずになるからである。
翌朝、捜査本部でミーティングが開かれる為、捜査官が集まり始めていた。
その中に捜査協力者として、コリン、デイビット、そして、ブライアンがいた。
前方の席で書類を見ていたフォルスト捜査官は、何時もの様に冷静な態度であった。
しかし、隣にいる殺人課の課長は表面上は落ち着く振りをしていたが、椅子の下で下腿部を何度も組み替え、ソワソワしていた。
席についていたデイビットは、左隣に座ったブライアンと打ち合わせを始めた。
デイビットの右隣に座っていたコリンは、二人の話を聞いていたが、課長が椅子の下で落ち着き無く足を組み替えているのを見付けた。
「ジッと下を見ているけど、一体どうしたんだ?」
通りかがったベンジャミン捜査官が、声を掛けた。
彼は、ブライアンと旧知の間柄のせいか、コリンに気に掛けていた。
「課長が挙動不審なんだ。足下を見てよ」
「本当だ。変だな」
「きっと、夕べ私達が捜査本部を去った後に何か起きたのよ。その証拠に、捜査官が2名欠席しているわ。彼等が欠席した理由は、誰も知らされていないの」
彼等の側に寄ったジョーンズ捜査官が、喋った。
「主任が情報を一手に握っているからな。いくら、警察内の秘密結社が相手でも、部下の我々には話して欲しいね」
ベンジャミン捜査官が溜め息交じりに愚痴を言った。
「そうだよな。スパイは逃げたから、安心しても良いのにな」
今度は、殺人課の若手刑事が参加した。
「いや、ここは用心深くした方が良い。『敵を騙すにはまず味方』と言うだろう。もしかして、スパイが他にもいるかも知れないからね」
マックス刑事が皆に声を掛けた。
話を終え、デイビットが目をやると、コリンの周りに、FBI捜査官や刑事達が集まっていた。
『俺がちょっと目を離した隙に、こんな大勢がコリンの周りに集まっている』
デイビットが内心ムッとした。
「まあ、良いじゃないか。コリンは色々と情報を貰っているんだからな」
ブライアンが宥めつつ、内心こうも思った。
『コリンは、子供の頃から常に周りに人がいる』
コリンの視線に気付いたのは、課長では無く、フォルスト捜査官であった。
「落ち着いて貰いたい。柴の子犬が、貴男の足下を見ている」
『柴の子犬』とは、捜査関係者がこっそりと呼んでいるコリンの渾名である。
フォルスト捜査官に注意され、課長はハッとして足の動きを止めた。
「子犬が気付いていると言うことは、彼の側にいるデイビットとブライアンも察しているということだ。それに、彼の周りにいる捜査官達も、彼から貴男の様子を聞いて、変だと思うだろう。もしも、あの男の情報が漏れたら、我々の苦労は水の泡になってしまう。あと数日間はして頂きたい」
「申し訳ない」
冷や汗を掻いた課長は、ただ謝るほかはなかった。
フォルスト捜査官の動きを知らされていないコリンとデイビットは、捜査会議の終了後、この日も秘密結社の居所を、裏社会のルートで探していた。
デイビットとコリンが乗ったフォレスターが、スワンスン夫人の本宅の前を通った。
「ちょっと停めて」
コリンがデイビットに頼んだ。
20代前半と思われる女性が、裏門から出てきたのを目にしたからである。
コリンは、急いで女性の元へ駆け寄ると、声を掛けた。
「帰るところ悪いけど、ちょっと良いかな」
派手なアイメイクをした女性が、歩きながら即答した。
「お生憎様。私、婚約者がいるの」
コリンは、リッキーの足の速度に合わせて歩きながら、自己紹介をした。
「そうじゃないんだ。俺、コリンと言って、警察の捜査協力者なんだ。聞きたい事があるんだ。名前は?」
「リッキーよ。悪いけど、急いでいるの」
リッキーは、駆け足でその場を去ろうとした。
「奥様の具合はどう?俺も昨年の冬にインフルエンザに罹った事があったから、心配なんだ。体の節々が痛くって、あれはこたえたな。奥様も俺みたいに苦しまなければ良いけど」
コリンの意外な言葉に、リッキーは思わず立ち止まってしまった。
「優しいのね・・・。私、台所担当だから・・・。奥様にお目にかかったのは、えっと、この春に雇われた時だけなのよ」
リッキーは額から大量の汗をかき始めた。
「奥様の容態は知らないんだね。それじゃ、よくこの屋敷に出入りしている若いボーイフレンドは見かけたかな?ミーシャと言う名前で、君と同じ位の年で、髪の金色、瞳は青色で、ハンサムな人だ」
メイドのリッキーは、コリンの質問に戸惑った。
「私は何も知らないのよ。本当なのよ、信じて、お願い」
戸惑うリッキーの様子に、コリンとデイビットは、彼女が夫人から口止めをされていることを察した。
「勿論、信じるよ。所で、ウィルという使用人がいたよね。彼と会うことが出来るかな?」
ジョーンズ捜査官から、ウィルが事情聴取の時にソワソワしていたと聞いていたからだ。
「ウィル?駄目よ。彼は、ハワイの別荘へ行ったわ。奥様の一番上のお孫様が、ハワイでサーフィンの為に滞在するから、身の回りの世話をする事になったのよ。彼、ハワイ出身だから、向こうの事情をよく知っているからって」
「随分急だね」
「んー、どうなのかしら。私は細かい所までは知らないわよ。ご免なさい。もう行かなきゃ。アパートに、お転婆のニャンコが待っているから」
リッキーは、そそくさとその場から離れた。
「怪しいね。夫人の病気は嘘かもよ。ウィルがハワイに行ったのも、裏がありそうだね」
デイビットは大きく頷いた。
「恐らく、そうだ。夫人も秘密結社と繋がっているのだろう」
突然、聞き覚えのある声が、コリンの耳に響いた。
コリンとデイビットが振り向くと、買い物袋を持った猛が立っていた。
「君達、ここで何をしているのだ?若い女性と真剣な顔をして話していたが、何かあったのか?」
「猛さん!どうしてここへ?」
コリンとデイビットは驚いた。
「この2ブロック先に、日本食専門のスーパーがあるのだ。値段は張るが、美味しい豆腐や生卵が手に入るので、時々立ち寄っているのだ。店を出たら、君の声が聞こえたので、ここまで来てみたのだ」
「2ブロック先まで声が届いたのですか?俺、普通に喋っていたのに?!」
コリンは更に驚いた表情を見せた。
「特別なした事では無いよ。警察官だった時代、犯人を追跡する為に、遠くまで声が聞こえるように訓練をしていたからだと思う」
少し照れ気味に猛は言った。
「もしかしてそれは、夜中に針を砥石の上に落として、聴力を鍛えるという訓練でしょうか?」
コリンは尋ねた。
「『小音聞き(さおときき)』だね。勲から聞いたのか。それもやったよ。他にも、耳を柔らかくする等、色々と方法があるのだ。ところで、あの若い女性は、重大な鍵を握っているのか?」
「大した事ではありません。事件に関わりのある夫人の豪邸から、女性が出てきたのを見かけたので、話を聞いただけです。ミーシャを見たかと思ったのですが、残念ながら、彼女は何も堪えてくれませんでした」
「残念だ。サラから、スーパーの近くに、秘密結社に家を貸した富豪の奥方が住んでいるから気を付けるようにと言われていたが、ここだったのか。やはり、捜査令状が無いと難しいだろう」
猛は豪邸の方を見た。
高い塀の上に監視カメラが設置されていた。
『警備はしっかりとしている。見取り図さえあれば侵入出来て、家の中を調べる事が出来るのだが。ここでコリン達を巻き込む訳にはいかん。今は、じっと堪えるしか無い』
======
塀に設置している防犯カメラの映像は、ベッキー達を捉え、それは邸宅内にいるスワンスン夫人とミーシャの目にも留まっていた。
「コリンの野郎、上手い事言って、メイドを喋らせたな。それに、ニンジャが出てきたな」
応接間のソファに座り、タブレットで防犯カメラの映像を見ていたミーシャが、苦い顔付きをした。
「これが噂のニンジャなのね。新聞で載っていた写真よりも、お爺さんだわ。このお爺さんは、近所のお店で日本食を買っていただけだから、大丈夫じゃないからしら。あそこ、とても美味しいものを売っているのよ。でも、コリンって子には、気を付けないとね。なかなか可愛い目をしているけど、私を心配する振りをするなんて、強かな坊やだから。リッキーの事は平気よ。彼女の婚約者は、うちの運転手なの。自分はともかく、将来の夫も職無しにはしたくはないでしょうから。勿論、これ以上話させないようにするわ」
スワンスン夫人は、後ろに立っていた執事に目をやった。
執事は頷いた。
「貴男のお友達にも、早くこの事をお話しないとね」
「そうしたいが、シェインは、この間紹介してくれた不動産会社の社長と会ってる所なんだ」
ダウンタウンからかなり離れているものの、18名の殺し屋達を住まわせる広い間取りの家と庭があった。
庭は海に面しており、周囲から孤立した場所にあり、格好の場所であった。
問題なのは前の住民が破産してしまい、猟銃自殺をした場所でもあったため、長年買い手が付かなかった位だ。
この物件を紹介した不動産会社の社長は、スワンスン夫人の会社で長年働いた後に、10年前に独立した。
インターネットを駆使した戦略で、業績を順調に伸ばしている。
夫人の紹介ということで、社長が直々に物件をシェインに紹介していた。
『運転手兼ボディガードは元プロレスラーで、隣にいる秘書は元プロバスケの選手だ。昔、テレビで見たな。この女社長は見たところ50代前半だ。昔の上司に劣らず、なかなかの情熱家だな。昔の上司と違うのは、ガチムチがお好みか』
シェインは冷笑した。
「どうでしょうか?」
低音量の声で説明を終えた社長が、シェインに問うた。
「結構だ。ここにする。メールでやり取りした通り、キャッシュで一括払いだ」
シェインはアタッシュケースを社長に見せた。
長身の秘書は険しい表情を見せ、社長のほうを見ると、小声で忠告した。
「現金で一括払い?もしかして、犯罪組織の人間では?」
「大丈夫。信頼出来る方からの紹介だから。この方、カードが嫌いなだけなのよ」
社長は、秘書の心配を払拭した。
しかし、社長もスワンスン夫人に騙されていた。
この場にいる者は、シェインが実業家だと信じ込み、FBIと警察から追われている秘密結社の人間だとは露ほども思わなかった。
帰宅途中、コリンは車窓からFBIの車列が反対車線を走っているのを見た。
「みんな、空港のほうへ向かっているね」
デイビットも何かを察していた。
「変だ。俺のiPhoneには、誰からも連絡が来ていないよ」
「俺のスマートフォンにも着信は無い。きっと、FBIが極秘に動いてるのだろう。警察にも内緒にしているぞ。仮に、警察が知っていたなら、マックス刑事からの連絡が必ずあるからな」
「何かが起きているんだ。俺達も空港へ行こうよ」
「敷地内には入れないだろうが、近づける所まで行くか」
フォレスターはUターンをして、車列の後を追った。
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