「スワンスン夫人に尋問してみますか?」
警察署の奥のオフィスで、ベンジャミン捜査官が言った。
マイアミ市の別邸を秘密結社に貸した疑いのあるスワンスン夫人と、ブライアンが昨夜会っていた情報を、FBIは掴んでいた。
「今のところは、しない。ブライアン達の様子を見てみてからだ。もしFBIがスワンスン夫人に尋問した後、彼女の口からブライアンの耳に入っては、こちらの捜査に支障をきたす。何しろ、夫人とブライアンは、昨晩を共にしているからな」
主任のフォルスト捜査官は意味ありげに、ベンジャミン捜査官の申し出を却下した。
それを聞いて、ベンジャミン捜査官は反論した。
「夫人が酔いつぶれたので、介抱しただけだとコリン達に言っていたのを聞きました。ブライアンにはガールフレンドがいるのです。夫人が酩酊状態にならなければ、きっと昨晩はホテルに帰っていました」
「初耳だ。それはさておき、スワンスン夫人は、欧州で大手の不動産会社の経営者だ。ここ米国でも、小規模ながらも不動産物件を所有している。恐らく、秘密結社は偽名を使い、彼女の物件を借りたのだ。それが、今日ブライアンがコリン達と調査した、市の外れにある夫人の別邸だろう。約20名の殺し屋達を一箇所に住まわせるには、あの豪邸は最適だ。君は引き続き、ブライアン達の動きを見張るのだ」
ベンジャミン捜査官は、ブライアンのiPhoneに連絡をいれた。
明日から捜査本部への出入り禁止を解除した事を伝える為だ。
直ぐに、ブライアンはiPhoneに出て、彼の言葉を聞いて喜んだ。
「口入れ屋の供述を引き出した甲斐があったな」
ブライアンからその知らせを聞いたデイビットも、喜んだ。
「ああ。だから急いで、秘密結社の新しい居所を探さねば」
ジュリアンから、裏社会の人間が経営する中古車販売店で、10日前に一台の大型トラックが売られたものの、昨日になり、市の外れの空き地に捨て置かれ状態見付かったという情報が入った。
「借りた男は、中年男性で、英国訛りがあったそうです。そこで、殺し屋のエドワードの写真を見せたところ、『この男に間違いない』との証言を得ました」
「免許証の名前は?」
「名前はJ・スミスという架空の名前でした。写真はエドワードのものを加工してあり、この偽造運転免許証は、一目ではそれと分からないくらい精巧に偽造されたものです」
ジュリアンは、ブライアンに偽造運転免許証のコピーを見せた。
「それで、他には?」
「代金は現金で一括払いをしました。その大型トラックが見付かった場所は、ハイウェイの出入り口付近の空き地でした。社長が運転する車で、ハイウェイから降りた時に、偶然発見ました。ナンバープレートが外されていたので、これは怪しいと睨んだ社長は、空き地に車を止めて、捨てられた大型トラックをチェックしました。社長が睨んだ通り、車体番号も削り取られ、誰の所有物だったか分からない様に細工されていました。加えて、走行距離も確認したところ、借りてそれ程走っていなかった事が分かりました。社長は益々おかしいと感じ、私に相談をしてきました。私は、社長にまだ大型トラックは現場に置いたままにするように頼んでおきました」
「現場に案内してくれ」
ジュリアンの運転するリンカーンを先頭に、ブライアン、コリンとデイビットは車で現場へ向かった。
空き地は砂利に覆われた場所で、ハイウェイの出入り口の直ぐ側にある為か、空き缶や空のペットボトルがあちこちに散乱していた。
その奥で、高架下に大型トラックは乗り捨てられていた。
既にタイヤのホイールが盗まれ、荒らされていた。
デイビットが荷台のドアを開け、中に入った。
コリンも、デイビットの手を借りて入った。
「何も証拠らしきものは見当たらないな」
荷台の中は、昨日探索したスワンスン夫人の邸宅同様に、綺麗に掃除がされていた。
コリンとデイビットは、荷台から降りた。
運転席を調べていたジュリアンも、運転者の痕跡を見付けることは出来なかった。
「こちらも、アクセルやブレーキを見ましたが、何度も拭いていた形跡があり、足跡すらも見付けることが出来ませんでした」
「やはり、ここはジョンに頼もう」
ブライアンは、邸宅を調べているジョンを此方に呼びだした。
30分程経ち、ジョンが運転するトヨタ・シエタがやって来た。
ジョンは自家製の鑑識道具を出すと、運転席から荷台まで、大型トラックの内部をくまなく調べた。
「荷台の痕跡を綺麗に消してある。髪の毛一本も痕跡を残していないね。流石は、警察OBと現役警察官が結成した秘密結社だ」
「敵を褒めてどうする。ジョンは、元FBI捜査官で、優秀な鑑識官だったのではなかったのか?」
ブライアンにけしかけられ、ジョンは荷台から降りると、大型トラックの周辺をくまなく探った。
空き地の砂利に僅かに残る車輪の跡を見付けると、ジョンは虫眼鏡でじっと観察した後、デジタルカメラで収めた。
「オートバイの種類は詳しく分析しないと分からないが、車の種類は直ぐに分かったよ。ジャガーだ」
デイビットとブライアンは顔を見合わせた。
スワンスン夫人の別邸の隣にある豪邸で働いている執事が、ジャガーを運転している山本を目撃していたからだ。
「これで、この大型トラックは、秘密結社の連中が利用していた事がはっきりと立証されたな」
ブライアンは、ジュリアンにジャガーの行方を探るように依頼した。
ジュリアンは承諾し、直ぐさま携帯電話を取り出すと、裏社会のネットワークに声を掛け始めた。
「凄い、一目で車種が分かるんだね」
コリンの言葉に、照れたジョンは種明かしをした。
「私の妻がジャガーのオーナーなんだよ。勿論、中古だけどね」
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それから数時間前の出来事であった。
ジャガーに乗った山本とエドワードは、失踪した2人の殺し屋の探索を依頼した探偵の最終報告を、ダウンタウンの中にある彼の事務所で聞き、帰路に就く途中であった。
「あの探偵、中間報告と大して変わらない事を言っていたね。やはり、アイツら、金に釣られてニュージャージーのリッチモンドの犯罪組織に引っこ抜かれたのか」
制帽とスーツを着た山本が、ハンドルを握りながら言った。
後部座席に座っているエドワードが返した。
「しょうがないさ。予算の都合で、州外への探索を頼まなかったからな。これで、奴等がここのフロリダ州にいないことが分かっただけで善しとしないといけない。山本、隠れ家にいる他の殺し屋達に聞かれた時には、『消えた2人の殺し屋はニンジャに恐れをなして、逃げた』と言うんだぞ」
彼も普段とは違って、高価なスーツを身に纏っていた。
彼等は、英国から来た金持ちとその運転手の振りをして、探偵に接触していた。
過去に刑事の経歴を持つ探偵だが、彼等の演技を見抜けなかった。
「了解。出掛ける前に、同じ事をシェインにも言われたよ」
ジャガーが、隠れ家に到着し、山本とエドワードが降りた時、隣家から草笛の音が聞こえた。
山本が隣家に目をやった。
「昨日、お前は隣のガキ共と遊んでいたな。草笛を教えたのか?」
エドワードが尋ねると、山本は肯いた。
「そうだよ。あの子達、俺達の家に興味津々だったから、注意を逸らすために、俺から話しかけた。音楽が好きだと言ったから、教えたまでさ」
「そういえば、あのガキ共こっちをよく見ていたな。今は、夏休みだから、昼間も家にいることが多い。口封じの為に消したら、大騒動になるのは火を見るより明らかだ。何処かへ移った方が、身のためだ。シェインと相談しないといけないな」
山本とエドワードが、住宅の中に入った時、シェインは誰かと連絡を取っていた。
「何かあったのか?」
シェインがスマートフォンを切ったのを見計らって、エドワードが尋ねた。
「仲間の警官から連絡が入った。一匹狼の刑事に逮捕状が出されたと」
エドワードと山本はギョッとした。
「殺人課のスパイがばれたのか?」
「一匹狼の刑事の鳩が、前の前の隠れ家にいたところを、捜査官に見られた。そこから、奴の正体がばれた。あの野郎、下手に動いたもんだから、足が付いた」
「あいつは何処にいる?まさか、ここに来ないよな」
エドワードは不安になった。
「大丈夫だ。ここの住所はあの野郎は知らない。前に使っていた携帯を破棄したから、向こうも連絡の取りようがない。こちらには好都合だ。それに、アイツの事だから、長年刑事をしていた関係で裏社会にもコネがある。それを上手く使って、この街から逃げているさ。山本、戻った所ばかりで悪いんだが、又使いに行ってくれ」
シェインは足下に置いてあった、2リットル入りペットボトルが1ダース収められたボトルケースを、山本に渡した。
「口入れ屋が毎日飲む炭酸飲料が入ったペットボトルだ。これを、口入れ屋が匿われている部屋の冷蔵庫に入れて貰う。事前に連絡したから、俺達に協力しているFBI捜査官に、賄賂とこのボトルケースを渡すだけで良い。賄賂は、ボトルケースの底に入れてある。受け渡し場所は、ここから10マイル(約16キロ)先にあるディスカウントストアの駐車場だ」
山本は外からペットボトルの匂いを嗅いだ。
「何も臭わないね」
「直ぐに効果が出るとまずいからな。じわじわ効くモノを入れている」
「ニンジャが使うという『宿茶(しゅくちゃ)の毒』でも入っているのか?」
「濃い高級茶が入った竹筒を40日間土の中に入れ、それをお茶やスープの中に、毎日数滴入れると、およそ70日後に死ぬとかいうヤツか。シェインが貸してくれたニンジャの解説書に載っていたな。俺だったら、飲むと阿呆になるとかいう大麻をもとに作られた薬を入れる。FBIは、秘密結社がニンジャの薬を使っているとは思わんからな」
「どれも外れだ。俺が使っているのは、西洋の薬だ。このペットボトルの中には、アメジニウムメチル硫酸塩系の成分が入っている。言い換えると、血圧を上げる薬が入っているんだ。口入れ屋は、血圧が高い。昔は薬を飲んでいたらしいが、今は病院にすら行っていない。FBIの事情聴取から奴を引き離すには、この方法が良い。FBIは奴の既往歴くらいは把握している。そこを利用する。病院に連れて行かれても、この薬入りの炭酸飲料を差し入れすれば、効果は続く。勿論、医者は血液検査はする筈だ。しかし、せいぜいヘモグロピンの値や血糖値等を探る位だ。血液中にどんな薬効成分が入っているか、細かい検査まではしない」
「シェイン、お前は恐ろしい男だ」
エドワードと山本は笑った。
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その日の夜遅く、アパートで寛いでいたコリンのもとに、ジョンから鑑定結果が出たと連絡が入った。
大型トラックの荷台に入れられていたのは、ジャガーとハーレーXL1200Lだと判明したというものであった。
「ハーレーXL1200L?」
コリンは疑問に思った。
「殺し屋達を運んだんじゃないのか。どうしてなのかな?はっ!もしかして、囮?!」
「きっと、そうだ。恐らく、シェインや殺し屋達は、別の車で移動したんだ。まんまとやられた」
台所に立っていたデイビットが言った。
「振り出しに戻ったのか・・・」
デイビットは、気落ちしたコリンに温かい緑茶が入ったマグカップを差し出した。
「いや、振り出しには戻っていないぞ。ジャガーとそのハーレーXL1200Lの行方を知れば、新しい隠れ家を見付けることが出来る。そして、明日になったら、もう一度、スワンスン夫人の邸宅を捜索し、防犯カメラの映像を入手して、鑑定すれば、どの車で殺し屋達が移動したか分かる筈だ」
それでも、気落ちしたままのコリンは緑茶を飲みながら、アパートの窓から外を見た。
ダウンタウンの明かりが煌々と輝いていた。
窓から見えないが、その先には海岸がある。
暗闇に混じって、海岸に接しているヨットハーバーに一人の男が侵入した。
一艘のボートを盗むと、キューバの首都ハバナへ向けて走り出した。
マイアミからだと10時間足らずで到着する。
湾岸警備隊に見付からないように隠れてボート運転していたのは、一匹狼の刑事であった。
続き
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