前回 、目次 、登場人物 、あらすじ
ブライアンは多機能型のビジネスバックを携えて、こっそりと口入れ屋が匿われている長期滞在型ホテルへ向かった。
彼は、ブライアンとデイビットによって大怪我を負わされて、病院へ入院した事になっていたが、実は極秘に退院し、長期滞在型のホテルの最上階に移されていた。
最上階はFBIが貸し切り、専門のエレベーターでしか行き来出来ないようにしていた。
旧知の仲のベンジャミン捜査官に、午前中は警備が薄いと教えて貰ったブライアンは、ホテルに入り、1階のカフェに入り、FBI捜査官がコーヒーを買いに来るのを待った。
15分過ぎた頃に、一人のFBI捜査官がカフェにやって来た。
FBI捜査官が偵察を兼ねて、しばしば1階に下りて、カフェで買い物をするのも、ベンジャミン捜査官から聞かされていたのだ。
彼が複数のコーヒーを注文した時を狙って、カフェを出たブライアンはビジネスバックを両肩に背負い、こっそりと専用エレベーターの中に入り、天井の排気口から、籠の上へと登った。
暫くして、FBI捜査官が大きな紙袋を下げて、専用エレベーターに乗りこむと、最上階まで一気に上がった。
FBI捜査官がエレベーターから降りた後、ブライアンも隙を見て、廊下に出て、口入れ屋が滞在している部屋に侵入した。
その時、ソファで新聞を読んでいた口入れ屋は、一瞬ギョッとした顔付きになった。
「驚かすなよ」
ブライアンは、スーツに付いた埃を叩くと、ショルダー型のビジネスバックを、ドア近くにある机の上に設置されている電話機の前に、さりげなく置いた。
この中に監視カメラが仕込まれているのを、ベンジャミン捜査官から極秘に教えて貰っていた。
用件を伝えた。
「済まん。連絡事項と頼み事があって来た。連絡事項は、妹さんに小切手を渡してきた。彼女は無邪気に喜んでいた」
「えっ、送ってくれと言ったのに、わざわざバーモント州まで届けてくれたのか!飛行機でも乗り継ぎがあって、4時間以上もかかるじゃねえか」
口入れ屋は驚いた。
「用心の為だ。大金だからな。彼女は、子宮筋腫を罹っているのだろ。彼女の旦那さんは高齢で、二人の間には子供はいないから、お前が治療費を支えている。優しい兄貴だ」
「妹から聞いたのか・・・」
口入れ屋の表情が曇った。
「その通りだ。お前の事を気にしていたから、素直にFBIの聴取に応じているから、心配しなくて良いと答えておいた」
「・・・。で、頼み事とは何だ?」
ブライアンは口入れ屋の隣に座ると、監視カメラに声が届かないように、小声で話した。
「山本について、FBIに吐いてくれ。私達はあらゆる手を使って調べたのだが、奴の正体がどうしても掴めなかった。今朝、ようやく日本から山本に関して情報を得た。奴について更に詳しく調べる為には、FBIの手が必要になってきたのだ」
「仲介者に、免許証のコピーを含めた書類を見せて貰ったが、おかしな所はなかったんだけどな。念の為に、本人にも聞いたよ。奴は俺の目を見て、きちんと答えてくれた」
「私の日本のコネクションによれば、山本は日光から来た男には間違いは無かった。この男で合っているか?」
ブライアンは上着のポケットから山本春行のパスポート写真を取り出して、口入れ屋に見せた。
パスポートは白黒の写真で、プリントして少し黒ずんでいるが、口入れ屋は、その写真をじっと見て答えた。
「山本は整形をしているな」
ブライアンの予想を超えた答えだった。
「目の形が違うが、細面で、ひげをはやし、飄々とした印象はよく似ている。きっと、顔を変えている。この写真だと、目は一重だ。俺が知っている山本は、奥二重で涙袋があるんだ。後は、この写真では坊主だが、現在は肩までウェーブのかかった髪を伸ばしている」
「そうか。貴重な証言を有難く頂戴する。山本の事は話しても、決してシアトルでの出来事は一切話すな」
ブライアンは口入れ屋に改めて釘を刺すと、ビジネスバックを再び肩に掛け、部屋を出た。
今度は警備の隙を突き、非常階段を使って途中の階まで降り、普通の客の振りをして、他の客が使うエレベーターを使い、地上まで降りた。
この日の内に、口入れ屋はFBIに山本の事を話始めた。
FBIは、警察庁に山本晴幸の照会を依頼した。
翌日には、警察庁から回答がFBIに伝えられた。
回答では、山本晴幸は地方に存在しているものの、不審な点見られず、再調査したところ、読みは同じだが名前の漢字だけ異なる山本春行という7年前から海外に出ている男が、FBIの探している山本に近いのではないかとの事であった。
この回答は、隼の元同僚が作成したものを、警察庁がほぼ拝借したものであった。
FBIは警察庁から送られてきた資料を、口入れ屋に見せた。
口入れ屋は、ブライアンから言った通りの事を話した。
証言を元に、FBIはパスポートの写真を修正して、口入れ屋に確認した。
「これだ。奴に間違いない」
口入れ屋は断言した。
FBIはこの証言をもとに、街中に捜索の網を張った。
ブライアンの定宿である高級ホテルで、資料を読んだコリンは、不満を述べた。
「隼さんの元同僚の調査を、殆ど引用するなんて」
「警察庁もいろいろとやってくれてはいるぞ。よく読んで見ろ。地元の警察を通して、山本晴幸本人に直接聴取しているし、山本春行の所在をインド大使館に確認させてもいる」
ブライアンは、該当箇所を指さした。
「インドにはその山本はいなかったんでしょ?」
「出国手続きの書類に記されていた、インド北部のチャンディーガルにはいなかった。今も、大使館がインド中の日本人コミュニティと連絡を取ったりして、彼の行方を追っている最中だ。結果が出るのは、先になるだろう」
ブライアンの見解に、デイビットは同意した。
「それに、インドに長くいると、日本人コミュニティから離れて、現地に溶け込んでいる可能性がある。はっきりと分かるまで、かなり時間が掛かる。しかし、口入れ屋が目と髪を修正した写真を見て、『この男だ』と言っているから、この山本に間違いないな。奴は、インドからアメリカに密かに渡って、裏社会で生き抜いてきたんだ」
「俺もそう思うよ。正体がばれないように、嘘の経歴を作り上げ、名前、年齢、それに顔を変えたんだ。読みが同じでも、日本語が詳しくないと、名前の漢字の違いなんて分からないもの」
コリンは、山本春行のパスポートのコピーを見て、そう言った。
パスポートの署名の欄には、達筆な楷書体で山本春行と書かれていた。
「念の為にFBIが、山本春行の親戚、叔父一家がシリコンバレーに移住しているので、奴と接触したかと尋ねてみた。答えは、ノーだった。奴は一人で、アメリカの裏社会で生き延びているようだ」
「コリン、パスポートのコピーをじっと見ているな。こいつに見覚えがあるのか?」
デイビットが尋ねた。
コリンは首を横に振って答えた。
「ないよ。山本の鼻の形が、ジョーとよく似ているなと思っただけ」
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「山本は、まだ秘密を持っていやがった」
ミーシャが、シェインのノートパソコンを見て不機嫌になった。
ブライアンのパソコンをハッキングしているシェインは、彼の情報が瞬時に手に入っていた。
「顔を変えるのは、裏社会ではよくある話じゃないか。昔の話だし、俺達に内緒でしたんじゃないから、許してやれ」
秘密結社が新しい隠れ家に移ってから数日が過ぎた。
街から離れていた以前の隠れ家と違い、こじんまりとした一軒家を2軒借り、そこに殺し屋達を分けて住まわせた。
消えた二人の殺し屋の件もあるので、シェインは彼らを暫く夜間の外出を禁止した。
今迄、外部との連絡や、武器の調達、日用品の買い出しを口入れ屋に頼んでいたが、彼が逮捕された為、シェインは山本にその役をやらせることにした。
彼はマイアミに長くおり、街の事を詳しく知っている為であった。
口入れ屋との内緒の仕事が、シェイン達に発覚して以来、山本は細かい事まで、シェインに報告するようになり、彼の信頼を取り戻していた。
シェインも何かと動いてくれる山本の存在は、貴重であった。
「山本の姿が見えないな。出掛けたのか?」
「そうだ。消えた殺し屋達を追跡している探偵と会っている。中間報告があるのだそうだ。良い結果ではなさそうだ。やはり、あいつらはカウボーイハットの男に誘われて、他の仕事に鞍替えした様だ」
消えた二人の殺し屋の件についても、山本はシェインに代わって探偵に依頼をしたり、時間を見付けては探索をしたり、まめに動いていた。
山本が集めた情報によれば、カウボーイハットの男はニュージャージ州アトランティックシティから、武器の扱いに長ける人間を探しにやって来た。
裏社会では、アトランティックシティでのカジノの利益を巡り、3つの組織が火花を散らし、それぞれが優位に立つために、武器を全米中から調達しているとの噂が立っていて、シェインもその噂は聞いていた。
更に、シェインは、カウボーイハットの男はいずれかの組織の人間で、ストリップバーで見かけた二人の殺し屋に仕事を持ちかけ、大金に釣られた彼らは秘密結社を裏切り、そっちへなびいたと睨んだ。
「他の連中の動揺が広がらなければいいが。臨時ボーナスを出すか?少しならまだ余裕がある」
ミーシャが提案した。
「それには及ばない。カウボーイハットの男は、あれから姿を消している。マイアミでの仕事を終えて、故郷に殺し屋達を連れて行ったんだろう。もう、他の連中をスカウトする事もないさ」
2時間後、山本が帰ってきて、シェイン達に探偵の中間報告の内容を伝えた。
「二人の殺し屋が、カウボーイハットの男と姿を消したまま、何の手かがりがないので、他の州まで捜索をした方が良いかもと言われた。もし、他の州まで手を伸ばすとなると、手数料が掛かるとも言われたよ」
「ニュージャージ州の事は何も言わなかったか?」
「探偵もその情報は可能性の一つとして挙げていた。そっちに調査へ行きたいと言っていた」
「他の州まで手を出さなくて良いと返答しろ。理由は、『怖い』とか言っておけ。殺し屋達が州外に出て、俺達の邪魔しないと分かれば、問題は無い。今は、ブライアン達の動きだけに集中したい。アイツらの事は後だ」
「殺し屋のアルフレッド・ハンの件といい、今回の二人の殺し屋の件といい、ブライアン達を片付けてからも、シェインは休む暇が無いな。俺も関係しているから、協力する」
ミーシャが申し出ると、シェインは「助かる」と一言述べ、受け入れた。
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アトランティックシティの情報は、マイアミの情報屋の親玉であるジュリアンの耳にも届いていた。
ジュリアンはその情報を持って、ブライアンの定宿に訪れた。
「消えた殺し屋達は、カウボーイハットの男に大金で誘われて、その街に移ったのではないかと考えています。探偵も同じ見解です。本人は現地に飛んで行って調査をしたかったそうですが、依頼人が犯罪組織を怖がって、拒否されてしまいました」
「そりゃ、そうだろう。3つの犯罪組織が絡んでいるのだ。怖がるのは無理もない」
デイビットは依頼人の心情を理解した。
コリンは過去の出来事を思い出した。
「俺が裏社会にいた6年前も、そいつらは仲が悪く、1つの組織から、俺がいたグループに武器の密売を依頼された事があったよ。その時は、手打ちをして落ち着いたんだけどね」
ジュリアンが背景を説明してくれた。
「手打ちを主導したボスが急逝してから、再びぎくしゃくし始めたんだよ。現地の知り合いに聞いたところ、殺し屋を探しているのは初めて聞いたと言っていましたが、彼らの事だからやりかねないとも答えていました。カジノの収益で、潤沢な資金源がありますからね」
「ジュリアンの情報網は全米中を網羅しているな」
ブライアンは感心した。
「へへへ。ここ迄くるのに何十年も掛かりましたよ。因みに、カウボーイハットの男の情報は、私の片腕で、ポルノショップのオーナー兼情報屋からもたらされたものです。彼の元従業員で、現在は射撃場のインストラクターをしているトムという男から聞いた話です。トムも彼にスカウトされましたが、銃の腕前は良いけども人を撃った事がないので、断ったそうです」
「トムは、顔を見たのか?」
ブライアンがジュリアンに質問をした。
「いえ、生憎、スカウトされたのが、明かりの暗い射撃場な上に、男は深々とカウボーイハットを被り、色の濃いメガネを掛けていたそうで、はっきりと顔が見えなかったそうです」
「それは残念だ。しかし、これではっきりと、消えた二人の殺し屋と秘密結社とは関わりがないと分かった。私達は、山本の行方と、秘密結社の居所を探そう」
ブライアン達は部屋を出て、捜索を再開した。
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日が暮れる頃、日用品を買いに行く準備をしていた山本に、シェインが近づいた。
「お前が働いていたポルノショップに、トムって男がいたか?」
「俺が入った時には、トムは射撃場へ転職していたよ。ポルノショップには、彼のガールフレンドが働いているから、トムはしょっちゅう遊びにきている。オーナーとも仲が良いし。とても明るい男という印象だね。彼と何かあったのか?」
「いや、ジュリアンの情報について、ちょっと気になってな。トムは人を撃った事が無いのに、カウボーイハットの男にスカウトされたというのが、引っかかるんだ。お前も奴から話を聞いたんだろ?」
「そうだよ。まあ、トムは昨年開催された大手銃器メーカー主催の全米射撃大会で、クレー射撃の部で第3位の実力だからね。そこに目を付けられたんじゃないかな」
「予選で数十万人が集まる大会で、第3位なのか。凄いな。スカウトされるのも無理はないか」
「シェインだって凄いじゃないか。確か、早撃ちの部で第1位だったんだろ?」
「あれは、俺が刑事だった頃の話だ。もう10年以上前になる」
シェインは、珍しく照れくさそうな表情をみせた。
「おっと、そうだ。出発前に、君に聞かなきゃと思っていたんだ。このメモ、殺し屋達に頼まれたリストなんだ。今、ネットや外出が制限されているから、俺にこれも調達してくれと。大丈夫だよね」
差し出されたメモには、日用品の他に、アダルト関連の物品が多く記されていた。
「買ってこい。外出は制限しているし、あんまり我慢させるのも体に良くないからな。それにしても、色んな注文があるな」
シェインはあきれた表情で、メモを見た。
「彼ら、俺がこの街のポルノショップで働いていた過去を知っているみたいなんだ」
山本が恥ずかしそうに言った。
「俺は話していない。ミーシャもそうだ。エドワードも人の事を周りにペラペラと喋る男じゃない。分かっているだろ」
「すると、俺がポルノショップでニックと出逢ったと話した時に、誰かに聞かれたのかな?確か、君の部屋で話したんだよね」
「殺し屋の一人が聞き耳を立てたと言うことか?あの時は、ドアの外に人の気配は無かったぞ。仲間を疑うんじゃない。多分、ルドルフが殺し屋達に話したんだ。アイツもあの場にいたからな。全く、口が軽い男だ」
吐き捨てるようにシェインは言った。
「おい、これから俺も一緒に外へ行く。運転を任せたぞ」
「君も欲しいのか?」
「馬鹿、違う。これから会わなければならない人がいるんだ」
ルドルフの入院している病院で、高齢の外科医が勤務を終えて、夜のとばりが下りた駐車場を歩いていた。
この日は満月であり、夏の夜空を彩っていた。
自分の車に乗り込むと、後部座席に人の気配がしたので、外科医は咄嗟に緊急脱出用ハンマーを座席の脇から取り出した。
「おっと、俺だよ」
後部座席から聞き覚えのある声がした。
「年寄りを驚かさないでくれよ。シェイン」
外科医が安堵の表情をして、緊急脱出用ハンマーを元に戻した。
「病院の警備が厚くなったね」
外科医が溜め息交じりに言った。
「ああ。俺のダチがFBIに捕まって、吐き始めたからな。でも安心してくれ。奴は秘密結社について殆ど知らないから、ドクには累が及ばない」
外科医は、警察の嘱託医だった30年前に秘密結社の同志となっていた。
10年前に大病を患い、年齢の事もあり、嘱託医を辞めると同時に秘密結社の活動を休止した。
しかし、秘密結社とは僅かながらも縁が続いていた。
秘密結社の創立者であるウィルバーがリウマチに罹った時、優秀な神経内科医を紹介したのは彼であった。
「ルドルフの様子はどうだ?」
「表面上は大人しくしているよ。私の前では、アジトへ行けなくて悔しいことをぼやいている。FBIが逐一、カルテを見ている。先日は、病院職員に化けて病室まで来ていて、我々を監視していた。そろそろ彼らに感づかれる。彼を退院させないといけない」
「そうか。当分は自宅療養が必要としておいてくれ」
「そうするよ」
「今夜ドクに会いに来たのは、ルドルフに言付けを頼みたいからなんだ。『アジトを変えた』と伝えておいてくれ」
シェインはメモを外科医に渡した。
「分かった。おや?住所が2つ書いてあるね」
「最初の所は、仮住まいなんだ。もう少ししたら、次の場所へ移る予定だ。それじゃ、俺はここで」
「ちょっと待ってくれ。一つ聞きたい事がある。ウェルバーの墓は何処にある」
警察は、ウェルバーは外国へ逃げたと見ていたが、外科医は彼の末路は分かっていた。
「知っていたのか?」
「3年前に秘密結社のナンバー2が亡くなってから、ウィルバーはおかしくなっていったからね。金で殺しをやるようになり、彼の暴君振りに歯止めが利かなくなった。そんな彼に、ルドルフや君達が不満を持っていることは薄々知っていたよ。それに、ウェルバーは国外逃亡する男では無いし、第一あの病身じゃ持たない」
車内は一瞬沈黙が走った。
「この件が片付いたら教えるよ」
「有難う。ウィルバーは恐ろしい奴だったが、30年前に、警察官だった私の妻が亡くなった時だけは、とても優しく支えてくれた。まあ、それが秘密結社に入ったきっかけだった訳だが。せめて、その時の恩返しをしたい。墓に花を一輪手向けたいんだ」
「・・・。約束は必ず守る」
外科医が車を止めている駐車スペースの隣に、一台のバンが止まった。
運転しているのは山本であった。
シェインは、後部座席からそっと抜け出すと、隣のバンへ移った。
バンは静かに発進した。
車が遠くになるまで見送ると、外科医は車を走らせ、帰路へ就いた。
続き
ブライアンは多機能型のビジネスバックを携えて、こっそりと口入れ屋が匿われている長期滞在型ホテルへ向かった。
彼は、ブライアンとデイビットによって大怪我を負わされて、病院へ入院した事になっていたが、実は極秘に退院し、長期滞在型のホテルの最上階に移されていた。
最上階はFBIが貸し切り、専門のエレベーターでしか行き来出来ないようにしていた。
旧知の仲のベンジャミン捜査官に、午前中は警備が薄いと教えて貰ったブライアンは、ホテルに入り、1階のカフェに入り、FBI捜査官がコーヒーを買いに来るのを待った。
15分過ぎた頃に、一人のFBI捜査官がカフェにやって来た。
FBI捜査官が偵察を兼ねて、しばしば1階に下りて、カフェで買い物をするのも、ベンジャミン捜査官から聞かされていたのだ。
彼が複数のコーヒーを注文した時を狙って、カフェを出たブライアンはビジネスバックを両肩に背負い、こっそりと専用エレベーターの中に入り、天井の排気口から、籠の上へと登った。
暫くして、FBI捜査官が大きな紙袋を下げて、専用エレベーターに乗りこむと、最上階まで一気に上がった。
FBI捜査官がエレベーターから降りた後、ブライアンも隙を見て、廊下に出て、口入れ屋が滞在している部屋に侵入した。
その時、ソファで新聞を読んでいた口入れ屋は、一瞬ギョッとした顔付きになった。
「驚かすなよ」
ブライアンは、スーツに付いた埃を叩くと、ショルダー型のビジネスバックを、ドア近くにある机の上に設置されている電話機の前に、さりげなく置いた。
この中に監視カメラが仕込まれているのを、ベンジャミン捜査官から極秘に教えて貰っていた。
用件を伝えた。
「済まん。連絡事項と頼み事があって来た。連絡事項は、妹さんに小切手を渡してきた。彼女は無邪気に喜んでいた」
「えっ、送ってくれと言ったのに、わざわざバーモント州まで届けてくれたのか!飛行機でも乗り継ぎがあって、4時間以上もかかるじゃねえか」
口入れ屋は驚いた。
「用心の為だ。大金だからな。彼女は、子宮筋腫を罹っているのだろ。彼女の旦那さんは高齢で、二人の間には子供はいないから、お前が治療費を支えている。優しい兄貴だ」
「妹から聞いたのか・・・」
口入れ屋の表情が曇った。
「その通りだ。お前の事を気にしていたから、素直にFBIの聴取に応じているから、心配しなくて良いと答えておいた」
「・・・。で、頼み事とは何だ?」
ブライアンは口入れ屋の隣に座ると、監視カメラに声が届かないように、小声で話した。
「山本について、FBIに吐いてくれ。私達はあらゆる手を使って調べたのだが、奴の正体がどうしても掴めなかった。今朝、ようやく日本から山本に関して情報を得た。奴について更に詳しく調べる為には、FBIの手が必要になってきたのだ」
「仲介者に、免許証のコピーを含めた書類を見せて貰ったが、おかしな所はなかったんだけどな。念の為に、本人にも聞いたよ。奴は俺の目を見て、きちんと答えてくれた」
「私の日本のコネクションによれば、山本は日光から来た男には間違いは無かった。この男で合っているか?」
ブライアンは上着のポケットから山本春行のパスポート写真を取り出して、口入れ屋に見せた。
パスポートは白黒の写真で、プリントして少し黒ずんでいるが、口入れ屋は、その写真をじっと見て答えた。
「山本は整形をしているな」
ブライアンの予想を超えた答えだった。
「目の形が違うが、細面で、ひげをはやし、飄々とした印象はよく似ている。きっと、顔を変えている。この写真だと、目は一重だ。俺が知っている山本は、奥二重で涙袋があるんだ。後は、この写真では坊主だが、現在は肩までウェーブのかかった髪を伸ばしている」
「そうか。貴重な証言を有難く頂戴する。山本の事は話しても、決してシアトルでの出来事は一切話すな」
ブライアンは口入れ屋に改めて釘を刺すと、ビジネスバックを再び肩に掛け、部屋を出た。
今度は警備の隙を突き、非常階段を使って途中の階まで降り、普通の客の振りをして、他の客が使うエレベーターを使い、地上まで降りた。
この日の内に、口入れ屋はFBIに山本の事を話始めた。
FBIは、警察庁に山本晴幸の照会を依頼した。
翌日には、警察庁から回答がFBIに伝えられた。
回答では、山本晴幸は地方に存在しているものの、不審な点見られず、再調査したところ、読みは同じだが名前の漢字だけ異なる山本春行という7年前から海外に出ている男が、FBIの探している山本に近いのではないかとの事であった。
この回答は、隼の元同僚が作成したものを、警察庁がほぼ拝借したものであった。
FBIは警察庁から送られてきた資料を、口入れ屋に見せた。
口入れ屋は、ブライアンから言った通りの事を話した。
証言を元に、FBIはパスポートの写真を修正して、口入れ屋に確認した。
「これだ。奴に間違いない」
口入れ屋は断言した。
FBIはこの証言をもとに、街中に捜索の網を張った。
ブライアンの定宿である高級ホテルで、資料を読んだコリンは、不満を述べた。
「隼さんの元同僚の調査を、殆ど引用するなんて」
「警察庁もいろいろとやってくれてはいるぞ。よく読んで見ろ。地元の警察を通して、山本晴幸本人に直接聴取しているし、山本春行の所在をインド大使館に確認させてもいる」
ブライアンは、該当箇所を指さした。
「インドにはその山本はいなかったんでしょ?」
「出国手続きの書類に記されていた、インド北部のチャンディーガルにはいなかった。今も、大使館がインド中の日本人コミュニティと連絡を取ったりして、彼の行方を追っている最中だ。結果が出るのは、先になるだろう」
ブライアンの見解に、デイビットは同意した。
「それに、インドに長くいると、日本人コミュニティから離れて、現地に溶け込んでいる可能性がある。はっきりと分かるまで、かなり時間が掛かる。しかし、口入れ屋が目と髪を修正した写真を見て、『この男だ』と言っているから、この山本に間違いないな。奴は、インドからアメリカに密かに渡って、裏社会で生き抜いてきたんだ」
「俺もそう思うよ。正体がばれないように、嘘の経歴を作り上げ、名前、年齢、それに顔を変えたんだ。読みが同じでも、日本語が詳しくないと、名前の漢字の違いなんて分からないもの」
コリンは、山本春行のパスポートのコピーを見て、そう言った。
パスポートの署名の欄には、達筆な楷書体で山本春行と書かれていた。
「念の為にFBIが、山本春行の親戚、叔父一家がシリコンバレーに移住しているので、奴と接触したかと尋ねてみた。答えは、ノーだった。奴は一人で、アメリカの裏社会で生き延びているようだ」
「コリン、パスポートのコピーをじっと見ているな。こいつに見覚えがあるのか?」
デイビットが尋ねた。
コリンは首を横に振って答えた。
「ないよ。山本の鼻の形が、ジョーとよく似ているなと思っただけ」
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「山本は、まだ秘密を持っていやがった」
ミーシャが、シェインのノートパソコンを見て不機嫌になった。
ブライアンのパソコンをハッキングしているシェインは、彼の情報が瞬時に手に入っていた。
「顔を変えるのは、裏社会ではよくある話じゃないか。昔の話だし、俺達に内緒でしたんじゃないから、許してやれ」
秘密結社が新しい隠れ家に移ってから数日が過ぎた。
街から離れていた以前の隠れ家と違い、こじんまりとした一軒家を2軒借り、そこに殺し屋達を分けて住まわせた。
消えた二人の殺し屋の件もあるので、シェインは彼らを暫く夜間の外出を禁止した。
今迄、外部との連絡や、武器の調達、日用品の買い出しを口入れ屋に頼んでいたが、彼が逮捕された為、シェインは山本にその役をやらせることにした。
彼はマイアミに長くおり、街の事を詳しく知っている為であった。
口入れ屋との内緒の仕事が、シェイン達に発覚して以来、山本は細かい事まで、シェインに報告するようになり、彼の信頼を取り戻していた。
シェインも何かと動いてくれる山本の存在は、貴重であった。
「山本の姿が見えないな。出掛けたのか?」
「そうだ。消えた殺し屋達を追跡している探偵と会っている。中間報告があるのだそうだ。良い結果ではなさそうだ。やはり、あいつらはカウボーイハットの男に誘われて、他の仕事に鞍替えした様だ」
消えた二人の殺し屋の件についても、山本はシェインに代わって探偵に依頼をしたり、時間を見付けては探索をしたり、まめに動いていた。
山本が集めた情報によれば、カウボーイハットの男はニュージャージ州アトランティックシティから、武器の扱いに長ける人間を探しにやって来た。
裏社会では、アトランティックシティでのカジノの利益を巡り、3つの組織が火花を散らし、それぞれが優位に立つために、武器を全米中から調達しているとの噂が立っていて、シェインもその噂は聞いていた。
更に、シェインは、カウボーイハットの男はいずれかの組織の人間で、ストリップバーで見かけた二人の殺し屋に仕事を持ちかけ、大金に釣られた彼らは秘密結社を裏切り、そっちへなびいたと睨んだ。
「他の連中の動揺が広がらなければいいが。臨時ボーナスを出すか?少しならまだ余裕がある」
ミーシャが提案した。
「それには及ばない。カウボーイハットの男は、あれから姿を消している。マイアミでの仕事を終えて、故郷に殺し屋達を連れて行ったんだろう。もう、他の連中をスカウトする事もないさ」
2時間後、山本が帰ってきて、シェイン達に探偵の中間報告の内容を伝えた。
「二人の殺し屋が、カウボーイハットの男と姿を消したまま、何の手かがりがないので、他の州まで捜索をした方が良いかもと言われた。もし、他の州まで手を伸ばすとなると、手数料が掛かるとも言われたよ」
「ニュージャージ州の事は何も言わなかったか?」
「探偵もその情報は可能性の一つとして挙げていた。そっちに調査へ行きたいと言っていた」
「他の州まで手を出さなくて良いと返答しろ。理由は、『怖い』とか言っておけ。殺し屋達が州外に出て、俺達の邪魔しないと分かれば、問題は無い。今は、ブライアン達の動きだけに集中したい。アイツらの事は後だ」
「殺し屋のアルフレッド・ハンの件といい、今回の二人の殺し屋の件といい、ブライアン達を片付けてからも、シェインは休む暇が無いな。俺も関係しているから、協力する」
ミーシャが申し出ると、シェインは「助かる」と一言述べ、受け入れた。
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アトランティックシティの情報は、マイアミの情報屋の親玉であるジュリアンの耳にも届いていた。
ジュリアンはその情報を持って、ブライアンの定宿に訪れた。
「消えた殺し屋達は、カウボーイハットの男に大金で誘われて、その街に移ったのではないかと考えています。探偵も同じ見解です。本人は現地に飛んで行って調査をしたかったそうですが、依頼人が犯罪組織を怖がって、拒否されてしまいました」
「そりゃ、そうだろう。3つの犯罪組織が絡んでいるのだ。怖がるのは無理もない」
デイビットは依頼人の心情を理解した。
コリンは過去の出来事を思い出した。
「俺が裏社会にいた6年前も、そいつらは仲が悪く、1つの組織から、俺がいたグループに武器の密売を依頼された事があったよ。その時は、手打ちをして落ち着いたんだけどね」
ジュリアンが背景を説明してくれた。
「手打ちを主導したボスが急逝してから、再びぎくしゃくし始めたんだよ。現地の知り合いに聞いたところ、殺し屋を探しているのは初めて聞いたと言っていましたが、彼らの事だからやりかねないとも答えていました。カジノの収益で、潤沢な資金源がありますからね」
「ジュリアンの情報網は全米中を網羅しているな」
ブライアンは感心した。
「へへへ。ここ迄くるのに何十年も掛かりましたよ。因みに、カウボーイハットの男の情報は、私の片腕で、ポルノショップのオーナー兼情報屋からもたらされたものです。彼の元従業員で、現在は射撃場のインストラクターをしているトムという男から聞いた話です。トムも彼にスカウトされましたが、銃の腕前は良いけども人を撃った事がないので、断ったそうです」
「トムは、顔を見たのか?」
ブライアンがジュリアンに質問をした。
「いえ、生憎、スカウトされたのが、明かりの暗い射撃場な上に、男は深々とカウボーイハットを被り、色の濃いメガネを掛けていたそうで、はっきりと顔が見えなかったそうです」
「それは残念だ。しかし、これではっきりと、消えた二人の殺し屋と秘密結社とは関わりがないと分かった。私達は、山本の行方と、秘密結社の居所を探そう」
ブライアン達は部屋を出て、捜索を再開した。
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日が暮れる頃、日用品を買いに行く準備をしていた山本に、シェインが近づいた。
「お前が働いていたポルノショップに、トムって男がいたか?」
「俺が入った時には、トムは射撃場へ転職していたよ。ポルノショップには、彼のガールフレンドが働いているから、トムはしょっちゅう遊びにきている。オーナーとも仲が良いし。とても明るい男という印象だね。彼と何かあったのか?」
「いや、ジュリアンの情報について、ちょっと気になってな。トムは人を撃った事が無いのに、カウボーイハットの男にスカウトされたというのが、引っかかるんだ。お前も奴から話を聞いたんだろ?」
「そうだよ。まあ、トムは昨年開催された大手銃器メーカー主催の全米射撃大会で、クレー射撃の部で第3位の実力だからね。そこに目を付けられたんじゃないかな」
「予選で数十万人が集まる大会で、第3位なのか。凄いな。スカウトされるのも無理はないか」
「シェインだって凄いじゃないか。確か、早撃ちの部で第1位だったんだろ?」
「あれは、俺が刑事だった頃の話だ。もう10年以上前になる」
シェインは、珍しく照れくさそうな表情をみせた。
「おっと、そうだ。出発前に、君に聞かなきゃと思っていたんだ。このメモ、殺し屋達に頼まれたリストなんだ。今、ネットや外出が制限されているから、俺にこれも調達してくれと。大丈夫だよね」
差し出されたメモには、日用品の他に、アダルト関連の物品が多く記されていた。
「買ってこい。外出は制限しているし、あんまり我慢させるのも体に良くないからな。それにしても、色んな注文があるな」
シェインはあきれた表情で、メモを見た。
「彼ら、俺がこの街のポルノショップで働いていた過去を知っているみたいなんだ」
山本が恥ずかしそうに言った。
「俺は話していない。ミーシャもそうだ。エドワードも人の事を周りにペラペラと喋る男じゃない。分かっているだろ」
「すると、俺がポルノショップでニックと出逢ったと話した時に、誰かに聞かれたのかな?確か、君の部屋で話したんだよね」
「殺し屋の一人が聞き耳を立てたと言うことか?あの時は、ドアの外に人の気配は無かったぞ。仲間を疑うんじゃない。多分、ルドルフが殺し屋達に話したんだ。アイツもあの場にいたからな。全く、口が軽い男だ」
吐き捨てるようにシェインは言った。
「おい、これから俺も一緒に外へ行く。運転を任せたぞ」
「君も欲しいのか?」
「馬鹿、違う。これから会わなければならない人がいるんだ」
ルドルフの入院している病院で、高齢の外科医が勤務を終えて、夜のとばりが下りた駐車場を歩いていた。
この日は満月であり、夏の夜空を彩っていた。
自分の車に乗り込むと、後部座席に人の気配がしたので、外科医は咄嗟に緊急脱出用ハンマーを座席の脇から取り出した。
「おっと、俺だよ」
後部座席から聞き覚えのある声がした。
「年寄りを驚かさないでくれよ。シェイン」
外科医が安堵の表情をして、緊急脱出用ハンマーを元に戻した。
「病院の警備が厚くなったね」
外科医が溜め息交じりに言った。
「ああ。俺のダチがFBIに捕まって、吐き始めたからな。でも安心してくれ。奴は秘密結社について殆ど知らないから、ドクには累が及ばない」
外科医は、警察の嘱託医だった30年前に秘密結社の同志となっていた。
10年前に大病を患い、年齢の事もあり、嘱託医を辞めると同時に秘密結社の活動を休止した。
しかし、秘密結社とは僅かながらも縁が続いていた。
秘密結社の創立者であるウィルバーがリウマチに罹った時、優秀な神経内科医を紹介したのは彼であった。
「ルドルフの様子はどうだ?」
「表面上は大人しくしているよ。私の前では、アジトへ行けなくて悔しいことをぼやいている。FBIが逐一、カルテを見ている。先日は、病院職員に化けて病室まで来ていて、我々を監視していた。そろそろ彼らに感づかれる。彼を退院させないといけない」
「そうか。当分は自宅療養が必要としておいてくれ」
「そうするよ」
「今夜ドクに会いに来たのは、ルドルフに言付けを頼みたいからなんだ。『アジトを変えた』と伝えておいてくれ」
シェインはメモを外科医に渡した。
「分かった。おや?住所が2つ書いてあるね」
「最初の所は、仮住まいなんだ。もう少ししたら、次の場所へ移る予定だ。それじゃ、俺はここで」
「ちょっと待ってくれ。一つ聞きたい事がある。ウェルバーの墓は何処にある」
警察は、ウェルバーは外国へ逃げたと見ていたが、外科医は彼の末路は分かっていた。
「知っていたのか?」
「3年前に秘密結社のナンバー2が亡くなってから、ウィルバーはおかしくなっていったからね。金で殺しをやるようになり、彼の暴君振りに歯止めが利かなくなった。そんな彼に、ルドルフや君達が不満を持っていることは薄々知っていたよ。それに、ウェルバーは国外逃亡する男では無いし、第一あの病身じゃ持たない」
車内は一瞬沈黙が走った。
「この件が片付いたら教えるよ」
「有難う。ウィルバーは恐ろしい奴だったが、30年前に、警察官だった私の妻が亡くなった時だけは、とても優しく支えてくれた。まあ、それが秘密結社に入ったきっかけだった訳だが。せめて、その時の恩返しをしたい。墓に花を一輪手向けたいんだ」
「・・・。約束は必ず守る」
外科医が車を止めている駐車スペースの隣に、一台のバンが止まった。
運転しているのは山本であった。
シェインは、後部座席からそっと抜け出すと、隣のバンへ移った。
バンは静かに発進した。
車が遠くになるまで見送ると、外科医は車を走らせ、帰路へ就いた。
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