前回 目次 登場人物 あらすじ
ブライアンはフォルスト捜査官に小突く素振りをして、密かにメモをワイシャツの胸ポケットに忍ばせた。

『口入れ屋が吐いた。殺人課に狗(いぬ)がいる』

それは急いで書いたもので、半分ちぎれた小切手に書かれたものであった。
署長は文面を読んだ当初はかなり驚いたが、時が経つにつれて口入れ屋の自供に疑問を持った。

「ブライアンとデイビットに拷問されて、嘘を吐いたのではないでしょうか?その理由は、私の所の内部調査室と貴方の特別チームと共同で、徹底的に殺人課の面々を調べたからです。その結果、秘密結社のスパイはいないと判明しました。一人を除いてですが」

「ニック・グランド刑事ですね。彼はグレーだったが、決して秘密結社との接点を我々に見破らせる事はしませんでした。しかし、彼は突然辞職し、忽然と愛犬と共に姿を消しました。強かな男です」

「私も同感です。ニックは、まるで忍術の一つである隠行(おんぎょう)の術を使っているかの如くです。
伊賀流の忍者は石になりきり、気配を消して隠れると、本で読んだ事があります。一体、何処に潜んでいるのやら

「愛犬と一緒ならば、それは困難です。長期間の潜伏は犬にとって非常に辛い状況だからです。ニックは恐らく、愛犬を第三者に預け、秘密結社に合流していると思われます。とするれば、口入れ屋は、殺人課にスパイがいるとは自供しないでしょう。きっと、殺人課には、もう一人のスパイがいるに違いありません」

「ならば、どうして名前をメモに遺さなかったのでしょうか?時間が無かったにしても、せめてイニシャルだけでも書いて欲しかった」

「きっと、口入れ屋は存在を知っていても、名前までは知らされていないのでしょう。秘密結社は、こうした事態に備えて、横の連携を絶っているとみました。仮に一人の同志が逮捕されても、他の連中を知らなければ、自供される恐れは無く、自由に行動が出来ます。時間が掛かりますが、もう一度洗い直さなければ、秘密結社はスパイから情報を基に、我々の警備の隙を突き、ブライアンとイサオ・アオト氏を襲撃します。我々は最悪の事態を避けなければなりません」

「ブライアンは元シークレットサービスですし、イサオさんはお父様が付いておられますから、私どもは秘密結社のスパイを探すことに専念致しましょう」

「ブライアンはともかく、幾らイサオ・アオト氏の父親・猛さんが、元警官でニンジャの末裔と言っても、高齢な上、射撃訓練以外で銃を使用した事がありません。一度連中と戦っていますが、報告書を読む限り、襲撃犯を追い出すだけで精一杯でした。私の見解では、猛さんが
殺しに長けた秘密結社と対峙するのは非常に厳しいものがあります。署長、過大な期待はリスクを招きます。警護を厚くしたほうが賢明です」

「そうですな。警官を増員させましょう」

署長は早速、内線を通じて指示を出そうとすると、フォルスト捜査官が釘を刺した。

「内密に進めて下さい。下手に動いて、秘密結社に我々の動きを察してはなりません。スパイ捜しも同様です」


デイビットとコリンはフォレスターに乗って、病院へと向かっていた。

「ようやく、あの野郎が吐いたんだね。俺のせいで、君とブライアンには苦労を掛けてしまったね。それにマックスにも」

助手席のコリンがデイビット達を優しく労った。

「何を言っているんだ。俺はコリンの恋人だぞ。当然の事をしたまでだ。実は、マックスの方から、どんな手を使ってでも口入れ屋を吐かせろと背中を押してくれたのだ」

「そうだったのか?!あの温厚な人が?」

「俺も驚いた。マックスも、事件の長期化に苛立っているのだろ。犯人は、警察内部で結成された秘密結社だ。法の番人である警察が、金と引き替えに、一般人のに銃を向けるのだからな。怒りを覚えるのは当然だろ。前に言っていただろ、『近い内に引退する』と。彼の中では、この事件が解決したら、その道を歩むつもりなのだろ」

「そうかもね。イサオを撃ったのは、前の相棒のニックだものね。マックスは、かなりショックを受けたからね」

「だから、マックスの事は気にするな。今は、捜査に集中しよう。口入れ屋は色々と吐いたが、新しい潜伏先を知らされていなかった。俺達が手に入れた殺し屋達の情報を手繰り寄せて、秘密結社の居所を見付けて、シェインをFBIよりも先に倒す。そうすれば、コリンの過去はFBIに気付かれる事も無く消える」

「そんな事をしたら、君が殺人罪に問われてしまうよ。俺、そんなの嫌だ」

コリンは運転席のデイビットの太ももを左手でギュッと掴んだ。

「忘れたのか。俺は元スパイナーだぞ。シェインが先に撃った事にして、正当防衛で倒したと主張するのは朝飯前だ」

信号が赤になり、デイビットはブレーキを踏むと、そっと自分の右手をコリンの左手の上に置いた。
コリンは気持ちが解れ、太ももを掴む手を緩めた。

「君の気持ちは有り難いよ。でも、俺だって、裏社会にいた人間だ。例え、シェインが俺の過去をFBIにばらしても、嘘を突き通せる自信があるよ。あの写真が、シアトルの金持ちの家で取られたものだとは分かりっこないさ。それに、シェインを撃った所で、ルドルフがいるだろ」

信号は青に変わり、デイビットはハンドルに手を戻し、アクセルをゆっくりと踏んだ。

「そのルドルフだが、口入れ屋によれば、秘密結社の創立者・ウェルバーが海外逃亡してからは、ルドルフがリーダーに代わったそうだ。しかし、実際はシェインが秘密結社を仕切っている。ルドルフは名前だけで、メンバーや殺し屋達はシェインを頼り、依頼人のミーシャも常に彼の側にいるという。お目出度いことに、ルドルフはその状態を察していないそうだ。」

コリンは大きな目をパチクリとさせた。

「へえ~、秘密結社はゴタゴタしているんだ。だから、俺達を再襲撃しないのか」

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隠れ家に潜伏しているシェインは、口入れ屋がブライアンとデイビットに痛い目に遭わされ、FBIによって病院に運ばれた情報を既に得ていた。

「ブライアンとデイビットが、暴力を振るうなんてな。あの野郎共、かなり追い詰められているな」

「ブライアンがシアトルに飛んだそうじゃないか。口入れ屋が何か吐いたからじゃないのか?」

ミーシャが心配した。

「口入れ屋は吐かなかった。ブライアンがシアトルへ向かったのは、数日前に口入れ屋があちらの裏社会の人間と会ったという情報を掴んだ為、その裏取りに行っただけだ。例え、向こうで殺し屋をスカウトした事実を知ったからと言って、ここの居場所が分かるわけではないし、そんなに用心する事はないさ。今回の一件で、ブライアンとデイビットは、警察に出入り禁止となったしな」

「二人だけか?コリンは?」

「警察への出入りは自由なままだ。騒動の時は、アパートで寝ていただとよ。昨日の写真の事で、あのガキ、よっぽどこたえたのだな。子犬みたいなアイツでは、大した戦力にはなるまい」

シェインは鼻先で笑ったが、直ぐに真顔に戻った。

「しかし、今回の一件で、一匹狼の刑事は自宅謹慎処分となった。貴重な情報源が署にいられなくなったので、殺人課の情報収集が厳しくなった。同志の警官にコッソリと探らせるが、連絡手段を考えると、今迄の様にはスムーズにいかなくなる。それに、俺達は消えた殺し屋二人を未だ発見していない。色々と手を打っておかないといけないぞ」

「FBIにも仲間がいるが、警察の動きも把握しないといけないものな。ブライアンのところに忍ばせたアレはどうだ?」

「アレは素人だ。俺の指示には従えるけども、自分からは動けない。こっちへもたらされる情報は大したものでは無い。まあ、お陰で、ブライアンのパソコンは俺に筒抜けになったがな」

「手を打つ前に、リーダーの意見を聞かなくて良いのか?そう言えば、今日ルドルフは来ていないな」

ミーシャが辺りをキョロキョロした。

「今日は来ない。検査の為だ。大分前に、同志である医師から連絡を受けた。ルドルフは一応は入院患者だ。いくら、医師の協力で抜け出しても、こう何度も続くと看護師達が怪しむだろ。病院にジッとしている時も必要だ。今回は俺達だけで進める」

「それなら、一つ考えがある」
ミーシャがシェインに提案した。

その提案を聞いて、シェインは「それは良いぞ」と同意した。
早速、実行に移すべく、外でプラスチックの容器を洗っている山本を呼び出した。

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デイビットは長年裏社会いた頃からの習慣で、建物に入る前に一回りしてチェックする。
今日もフォレスターで病院を一周した。

「警備が増員された。フォルストの奴、ブライアンのメモを見てくれたな」

警官の姿は見なかったものの、気配を感じていた。

「殺人課に秘密結社の内通者がいるなんて、俺も驚いたよ。フォルストの奴、ちゃんと調べないからこんな事になるんだ」
コリンはむくれた。

「FBIはそれなりにやっていた。秘密結社の方が上手だっただけだ。捜査関係者の素行調査から、メールや私的な電話回線までもチェックしたのに、一切怪しいものが出てこなかったのだからな」

「イサオの部屋に行っても大丈夫かな。もし、内通者に聞かれたら」

「それほど詳しい話をしないから平気だ。それに、フォルストがイサオの病室を調べているだろう」

デイビットは病院内の駐車場にフォレスターを止め、コリンと共に降りた。

イサオの病室には、サラもいた。

「やあ、どうしたんだ?連日早い時間にお見舞いに来るなんて」

イサオが驚きつつも、二人を迎えた。

「もしかして、コリンの身に又何か起きたの?」

サラは、悲しげな表情を見せた。
一昨日発見された爆弾の横に置かれたコリンの写真の一件を知っていたので、サラは胸が張り裂けそうになった。

「そうじゃないよ。デイビットとブライアンが、独自に口入れ屋と面会してね。その件で話がしたかったんだ」

コリンはサラに優しくハグし、彼女を落ち着かせた。

「口入れ屋から情報が手に入った。シアトルで殺し屋を雇ったと。裏取りの為、ブライアンは現地に飛んだ」
デイビットは、今朝の収穫をイサオとサラに伝えた。

「逮捕されてから、のらりくらりとFBIの追求をかわしていたと聞いたわよ。よく供述してくれたわね。どうやったの?」

サラの驚きに、デイビットが例えをあげた。

「北風と太陽だ」

サラは戸惑った表情を浮かべた。

「何て事だ。脅しと懐柔か」
イサオが代わりに答えた。

「その通りだ。俺が口入れ屋を締め上げ、ブライアンが小切手をちらつかせた」

「全く、呆れたわ。で、秘密結社の居所は分かったの?」

「残念な事に、口入れ屋は秘密結社のアジトを知らない」

「肝心な情報を知らないのね。もしかして、貴方の締め上げ方が足りなかったんじゃないの?」

けしかけるサラをイサオは窘めた。

「駄目だよ、サラ。逮捕した人間に暴力を振るうのを推奨するなんていけないよ。これ以上そんな事をしてしまっては、デイビット達が捜査に協力出来なくなるだろ」

「既に、ブライアンは捜査から離れることになった。しかし、俺は暫くの間は捜査本部への立ち入りを禁じられただけだし、コリンはお咎め無しだから、平気だ」

「そうなのか。無茶をしないでくれよ」

「所で、猛さんはここには何時来るのか?」

「サラと交代で午後からだよ。それまでは、家のことを手伝ってくれているんだ」

「最近のお義父さんは、庭の手入れに夢中なのよ」

「それを聞いた僕は熱中症にならないかと心配しているけど、親父は昔から好きだったから、何時間も庭いじりをしても平気みたいなんだ。伊賀の自宅では野菜菜園を作っていたしね。何か用事があるのか?」

「秘密結社の雇った殺し屋の中に、日本からやって来た男がいる事が分かった」

「何ですって?!」
サラは再び驚いた。

「名前は?東京から来たのか?」

「詳しい事は分からない」

イサオの問いに、デイビットは秘密結社の内通者に聞かれてはまずいので、あえて曖昧な答えをした。
デイビットと目を合わせたコリンは、日本語でイサオとサラに話した。

「さっき、デイビットが口入れ屋から得たばかりの情報だから、ここだけの話だよ。その男は山本と名乗っているんだって。歳は25歳。小柄で細身の男で、日光から来たそうだ。暴力団に所属していたけども、数年前抗争に負けたのをきっかけに、親戚を頼ってアメリカへ渡ったと、口入れ屋は言っていたそうだよ」

コリンはデイビットに目をやった。
彼は大きく肯いた。

「日光?」
イサオは訝しんだ。

「イサオ、何か知っているの?」
コリンはイサオの反応は意外に感じた。

「コリンは日光に行った事がなかったんだね」

イサオはコリンが2年前に日本に一度だけ訪れたことを知っていた。
コリンはイサオには、「友人の葬儀」の為に来日したと言っていた。
しかし実は、コリンは前の恋人・リチャードと仲間の命を奪った殺し屋を追って日本へ渡ったのであった。
その時、コリンは東京周辺しか滞在していなかったので、日光について何も知らなかった。

「日光は
昔から景勝地として有名なんだ。観光都市でもあり、昔サラと一緒に日光東照宮と日光周辺を観光したことがあるんだ。素晴らしい所だったよ。夜は静かだったし、治安は良かったよ。暴力団抗争が起きる場所じゃない。だから、口入れ屋の話に疑問を持ったんだ

サラも「その通りよ」と言った。

「俺もそう思っていた。かなり前になるが、日光東照宮には俺も訪れた事がある。新緑が綺麗だった。危険な市では無かった」

デイビットもイサオの意見に同感であった。
続けて言った。

「日本から来た男について、俺達はもっと知りたい。その為に猛さんに協力を仰ぎたい。元警察官なので、何か情報を得られるかと思うのだ」

「親父は三重県伊賀市のごく普通の警察官だったけど、剣道で警察の全国大会に何度か出た事があって、県外の警察官達と交流があった。2年前に親父が入院した時には、元署長が東京から見舞いに訪れたりして、定年退職した後でも警察関係の人間と繋がりがあったね。寡黙そうに見えて、意外と親父は社交性があるからな。そのコネクションを生かせば、山本とか言う男性の事がもっと分かるかも知れないね。それに、兄貴は警視庁の元幹部だ。日光の警察に知り合いがいるかもね。兄貴にも聞いてみたらどうだい?僕からも、連絡入れてみるよ」

「それは助かる。何か分かったら、直ぐに連絡を入れる」

デイビットとコリンは病室を出ようとした。

「ねえ、山本って男は、どんな人相なの?暴力団にいたから、いかつい顔しているの?」

サラが尋ねた。

「細かい事までは聞いていないが、鼻筋が通った男で、飄々としているらしい」

イサオは視線を上にした。

「イサオ、何か思い当たることがあるの?」

サラが夫に聞いた。
イサオはサラの鋭い突っ込みに一瞬焦ったが、冷静に答えた。

「ああ、20年前かな。飄々とした日系人に会った事を思い出したんだ。20代半ばの若者だった。彼も鼻筋が通っていたね。一度しか会っていないけど、印象に残っているんだ。彼が話術に長けていたのと、バイクに乗せて貰ったからかな」

「イサオ、バイクの免許持っていないでしょ?」

「後ろに乗っけて貰ったんだ。男同士だったけど、夜遅かったから、気にしなかった。彼がスピードを出したので、楽しいよりも、怖くてしがみついていたね」

イサオは笑うと、皆つられて笑った。

イサオは嘘を付いていた。
その日系人と会ったのは20年前ではなく、17年前なのである。
その男も、コリンと深く関わっていた。
続き