その深夜のことであった。
アパートで、コリンはデイビットの胸の上ですやすやと眠っていた。
やがて悪夢を見たのか、コリンは唸り始めた。
デイビットが目を覚まし、コリンの頭を優しく撫でた。
コリンは目を覚ました。
「悪い夢でも見たのか?唸っていたぞ。」
デイビットは、心配そうにコリンの顔を覗き込んだ。
「ああ、14歳の夏の夢を見たんだ。あの忌まわしい金持ちの屋敷の出来事だ。とても苦しかった。高校に入ってから、全く見なくなったのに。何でかな。」
「それは辛かったな。悪夢を見たのは、秘密結社が動いたと聞いたから、寝ている間も緊張していたせいだろう。そうだ、今朝ロボと遊んでいたことを思い出しながら寝てみてはどうだ。」
デイビットは、コリンにお休みのキスをした。
「うん,そうするね。でもその前に、一つお願いを聞いてくれない?子供みたいだと笑わないでね。」
「何だ?言わなきゃ分からないだろ。」
「俺の頬を、両手で優しくポンポンと叩いて欲しい。」
コリンの言葉に、デイビットはコリンが打ち明けてくれた話を思い出した。
14歳の夏、金持ちから解放され、自宅に戻るのを躊躇ったコリンをイサオが勇気づける為に、頬を両手でポンポンと叩いてくれた。
その励ましで、コリンは迷いを捨てて、自宅へ帰ったのだ。
そして、あの時の悪夢を見たコリンは、デイビットに同じことをしてもらい、悪夢から解放されたいと望んでいた。
デイビットはコリンの気持ちが痛いほど良く分かっていたので、微笑み、コリンの望みを叶えた。
「心が軽くなった。有難うデイビット。君が側にいてくれるから、これから良い夢が見られるよ。」
コリンは温かい気持ちになり、再びデイビットの胸の上で眠りに入った。
デイビットはコリンを見守った。
暫くするとコリンの口角が上がり、まるで笑っている様な表情をした。
安心してデイビットは目蓋を閉じた。
翌朝、爽やかに目覚めたコリンは、デイビットと共にブライアンが借りている高級ホテルへ向かった。
ブライアンから情報が入ったと連絡が来た為である。
彼の部屋を訪れると、ジュリアンとブライアンが打ち合わせをしていた。
「ジュリアンが、昨日の報告の後でいろいろと情報を集めてくれた。」
情報屋の親玉であるジュリアンは、あらゆる情報網を駆使して手に入れたものを2人に惜しげも無く教えた。
「口入れ屋が全米から殺し屋を集め、20名近くがこの街に来ています。その他に、英国にも声を掛けていて、向こうの裏社会で有名な殺し屋・エドワードが依頼を受けました。更にエドワードを通して、2名の若い殺し屋がロンドンからやって来ています。」
コリンはその名に聞き覚えがあった。
「エドワードなら、俺が裏社会にいたときに話は聞いたことがある。ベテランの殺し屋だと。」
ブライアンは大きく頷いた。「お前も知っていたか。ジュリアンがあらゆる情報網を駆使して、奴等の行方を追っている。警察は上層部とFBIが見張っているから、秘密結社も警官達に声を掛けられない。だから、外部から殺し屋を呼んで、私達を倒す計画だ。これだけの人数を集めるからには、かなりの決意が見られる。」
「フランスから来た裏社会の人間が借りている邸宅は、今どんな動きをしている?」
デイビットはジュリアンに尋ねた。
「今朝、口入れ屋が訪ねて来た位で、静かだそうだ。私がFBIに邸宅の家宅捜索を頼んだが、借り主と秘密結社、そして口入れ屋が繋がっている証拠が無いので、無理だと言われた。言われてみればそうだ。なんとしても証拠を掴まなければ。」
突然コリンは、大きな茶色の目を見開いた。
何かを思い出したのだ。
「ジュリアン、男娼に知り合いがいる?」
「えっ?いることはいますけど。」
ジュリアンは、コリンの言葉に驚いた。
「エドワードの事で思い出したんだ。奴は美しいものが好きだと聞いたことがある。ハンサムで、ギリシャ彫刻の様な肉体を持った男性をね。仕事の前に、美しいものを愛でるのが彼の習慣だとも聞いた。」
「そうか。その線から探っていけば、エドワードの行方が辿れる。奴の動きが分かれば、秘密結社も見付かるという訳か。貴重な情報だ。助かる。」
ブライアンが感心した。
「迂闊でした。早速、知り合いに聞いてみます。彼は、同じ職業の友達も沢山いるので、彼を通じて調べれば、エドワードが引っかかるでしょう。」
「どこからその情報を仕入れた?俺はコリンよりも長いこと裏社会にいたが、エドワードに関してそこまで深く知らなかったぞ。」
デイビットは鋭い眼差しをコリンに向けた。
コリンは、デイビットの問いに申し訳なさそうな顔をした。
「前の恋人で、俺を裏社会に誘ったリチャードだよ。俺がこの世界に入る前だから、8年以上遡る話だけど、武器密造をしていたリチャードに、エドワードから仕事依頼があったんだ。当時、彼は米国に慣れていなかったせいか、彼にいい男娼はいないかと聞いてきたんだって。そこで、リチャードは友人を紹介したって話を聞いたことがあったんだ。」
「昔の話に俺は嫉妬しないぞ。それにしても、リチャードは裏社会に限らず色んな世界に顔が広い男だったな。」
デイビットは何時もの穏やかな目付きになり、裏社会にいた時の友人を思い返した。
コリンにとって、前の恋人・リチャードは過去の人であり、コリンの心の中に自分しかいないことは、デイビットは十分に知っていたので、嫉妬深い性格だが何とも思わなかった。
気になったのは、コリンが裏社会の話をした時に妖しい色気を出した事であった。
「ねえ、みんな、この話は、イサオに内緒にしてくれないかな。お願いだよ。」
「分かった。私からの提案としておくよ。」
ブライアンは笑って承諾した。
デイビットとジュリアンも「内緒にする」と約束してくれた。
コリンは、まだイサオがコリンが裏社会にいた過去を知らないと信じ込んでいた。
=====
秘密結社と殺し屋達は、新しい隠れ家への引っ越しの準備を着々と進めていた。
ルドルフは準備を見届けると、明け方近くにトーマスの家を出て、大通りまで歩き、タクシーを拾うと、恋人のマリアンヌの自宅へ戻った。
シェインは、殺し屋達にトーマス邸と最初の隠れ家を結ぶ穴を埋めさせた。
朝日が昇った頃、シェインは、居間に監禁していたトーマスと執事夫妻の様子を伺った。
3人は目隠しと両手両足を縛られ、高級ペルシャ絨毯の上に座らされていた。
SIG SG553を持った殺し屋に見張られた上、トーマスの過去の悪事も暴かれてしまい、3人は生きた心地がしなかった。
シェインは、執事の部屋から持ってきた目覚まし時計をセットして居間の床に置き、トーマスの両手を縛っていたヒモを解いた。
「思ったより早くお前の家を出ることになった。いいか、1時間はそのままじっとしていろ。1時間経ったら、目覚まし時計が鳴る。その後は、お前は執事達の縄を解いて良いし、この部屋から出ても良い。以前言ったように、お前達が誰にも俺達の事を話さなければ、無事に元の生活に戻れる。分かったら、肯け。」
トーマスは首を立てに振り、承諾した。
シェインは、見張りの殺し屋を伴い、邸宅を出た。
トーマスだけ縄を解き、執事夫妻の縄をあえて解かなかったのは、時間を稼ぐ為である。
玄関前に止まっている大型トラックの荷台に乗った。
荷台には、銃器類の他に殺し屋達が既に乗っていた。
大型免許を持ち、秘密結社と通じている刑事の運転で、大型トラックはトーマス邸を出て、新しい隠れ家へと向かった。
隣家を見張っていた、ジュリアンの手下は庭を手入れする業者の車と思い込み、ナンバーを控えなかった。
数十分後、大型トラックは新しい隠れ家へ到着した。
広い敷地には、20人程の男達が悠々と住める白色の邸宅と、プライベートビーチがあり、シェインは満足していた。
既に、エドワードをリーダーとする先発隊が昨日隠れ家へ到着し、シェイン達を首を長くして待っていた。
トラックが玄関口に到着した音を聞き、彼らが出てきた。
「これ程の大邸宅に住めるとは、山本に感謝だな。」
エドワードがトラックから降りてきた山本に礼を言った。
「家主のスワンスン夫人が新しい男が気に入ってくれれば良いんだけどね。夫人がお気に召さなければ、俺達はここを追い出されるかも知れないし。」
山本は心配していた。
スワンソン夫人から、格安でこの邸宅を貸す代わりに、一番若い男を紹介するようにと言ってきたからだ。
「問題ない。俺が見立てた若い警官は水もしたたるいい男だ。先のことは気にせずに、荷ほどきをしてこい。」
シェインは山本の不安を取り除いた。
「邪魔が入らず、ここまでこれた。やはり、殺し屋・アルフレッド・ハンは逃げたな。」
シェインは微かに安堵した様子で言った。
「俺も一晩中邸宅の周辺を見張ったが、怪しげな人物は近寄らなかった。当分は大丈夫かと思う。」
エドワードも緊張が少し解れた様子であった。
殺し屋達が、トラックから荷物を取り出している最中、若い警官が到着した。
シェインが言うように、ハンサムな男だった。
「光栄です。貴方のお役に立てるとは。」
若い警官は、シェインに両手で強く握手した。
刑事を辞めて10年経つが、秘密結社にいたので、現在も警察に強い影響力がある。
この若い警官は、秘密結社と接触を持ちたかったが、経験の浅い巡査だったので、そのチャンスに恵まれていなかった。
FBIが『秘密結社は金を貰って人殺しをする組織』と言っても、彼は信じる事が出来ず、憧れの気持ちを捨て切れなかった。
その組織から、上司を通じて密かにスカウトされた時は、言葉にならない位に驚いた。
例え、この邸宅の家主の相手と聞いても、彼は組織の一員になれるのならばと、喜んで引き受けた。
引っ越しの作業が終わりかけの頃、スワンスン夫人を乗せたロールスロイスが到着した。
運転手が後部座席のドアを開け、右手を差し出した。
夫人はその手に引かれて、車から降りてきた。
今年で80歳と聞いていたが、日に焼けても艶やかな肌、引き締まった身体を白色で統一された服で纏い、腰まであるロマンスグレーは毛先まで滑らかであった。
しっかりとした足取りで歩きながら、周りの殺し屋達を品定めするかの様に空色の目で見ていた。
殺し屋達は、夫人に圧倒されてしまった。
「40代に見えるぞ。最近の美容外科は進歩している。」
ミーシャがシェインにこ小声で言った。
「俺も思った。あの身体なら、バイクのカタナを簡単に運転出来るな。」
シェインも夫人のオーラに押されっぱなしであった。
山本が夫人の元へ駆け寄り、シェインを紹介した。
「彼はシェインと言って、俺のシューティングゲームで知り合った友達です。他の人達は、彼の紹介で知り合った仲間です。」
「初めまして、シェインさん。お話はかねがね聞いておりましたわ。」
妖艶な笑顔を見せ、低く透き通った声で、夫人はシェインと握手した。
とても力強かったので、シェインは内心驚いた。
「スワンスン夫人、この夏はここの別荘をお借りできて光栄です。心から感謝致します。お礼の替わりと申しましょうか、私の大切な仲間を紹介致します。」
シェインは、夫人に若い警官を紹介した。
若い警官は緊張した面持ちで挨拶をした。
夫人は微笑んで握手をしたが、直ぐに「失礼。」と言って、シェインの後ろに立っていたミーシャにロシア語で話しかけ、皆を驚かせた。
「貴女はロシア語が話せるのか。」
ミーシャは困惑していた。
「私は亡命ロシア貴族の末裔なの。祖父母からロシア語を教えて貰ったわ。貴男はフランスから来たのね。初めてのマイアミは如何かしら?」
夫人はミーシャの発音から、フランスに長くいたことを察した。
あっけにとられている若い警官に、山本が優しく声を掛けた。
「夫人がお昼と、これを持ってきたから呑もう。」
山本はドンペリを手にしていた。
シェインが瞬時に取り上げた。
「これは後だ。まだ荷ほどきが済んでいない。それにしても、夫人は一番若い男を見抜く力は凄いな。君、これに気落ちせず、今後も俺達に協力してくれ。」
シェインが若い警官を慰めた。
若い男は残念そうな表情で、談笑する夫人とミーシャを見て、その場を去った。
前の隠れ家にいた口入れ屋にその話が伝わったのは、間もなくのことであった。
「わははっ。その婆さんに会ってみたいものだな。」
「そっちはどうだ?」
シェインの問いに、口入れ屋は、まだジュリアンの配下の者が見張っていることを伝えた。
「それなら、お前もそろそろ引き上げた方が良いな。FBIはお前が殺し屋を集めていることを嗅ぎ付けたからな。金を振り込むとFBIにばれるから、これから山本をピザの宅配人に化けさせ、お前の家に金を運ばせる。」
「頼んだぞ。しばしの別れだな。」
口入れ屋は携帯を切ろうとした。
「あれは準備したか?」
シェインの言葉に、口入れ屋は焦った。
「あれか。置いた。安心してくれ。」
口入れ屋は嘘を付いて、携帯を切った。
「いけねえ。うっかりしてしまった。肝心なものなのに、俺としたことが。」
口入れ屋は慌てて、隠れ家の駐車場に止めてあるバンから、小ぶりの段ボール箱を運び出した。
箱の中から、時計の音がチクタクと漏れている。
その箱を隠れ家の真ん中に置いた。
「FBIがこの箱を開けたときの顔が見物だな。」
口入れ屋は大声で笑った。