年を取ると、若い頃には聞こえていた音域が、聞こえなくなるそうです。
そんなアプリがあって、皆で聞いてみた所、やはり若者にしか聞こえない音は、私には全く聞こえず、若者には普通に聞こえていたのでした。
そんな風に、ある人には感じる事が出来るけど、他の人には感じられないという域があります。
感じられないからと言ってないわけではなく、感じられる人はその感受性があるというだけのこと、特別なことでも何でもないのです。
目が良くて、遠くまでや細かい所、動いているものまで見えるとか、鼻がよく効いて、臭いがかぎ分けられるのと同じ様なものです。
そして、ある部分においての感受性があるからといって、全てにおいての感受性が高いわけではありませんし、人格的に優れているから感受性が高くなる訳ではありません。
若年齢だからこそ聞こえる音域があるように、未熟だからこそ、弱っているからこそ感じられる感受性もあるのです。
ところが、一部の人は、自分が感じられないものを他人が感じていると、それを『特別だ』と思ってしまうことがあります。
超人的なものだと勘違いし、その人をあがめたりします。
こんな風に、その感受性が特別のものだと勘違いをされがちで、人を動かすのに使えることを、本人が学習していきます。
また、自分でも、自分は特別なのだ、選ばれた人間なのだと思うようになります。
こうして、「自分には分かる」と言って、人をコントロールしようとし始める人物が出来上がるのです。
でも、違うから。
一つの面において、感受性があるだけだから。
人格的に優れているわけでも、特別な存在でもなんでもないから。
目が良いとか、耳が聞こえるのと同じで、受け取った情報を処理する頭や人間力がないと、全く意味がないから。
もしも、誰かに『自分には分かる』といってコントロールされているなと感じた時や、人の言う事を検証もせずに信じ込みそうになっていると感じる時は、まずは距離を置いて下さい。
自分の人生に責任を負う覚悟がないから、他人のコントロールに乗っかるわけですから、自分の人生に責任を負う覚悟を決めて下さい。
そうして、再度、相手との関係や、相手の行動(言葉ではない)を、冷静に眺めてみる事を、お勧めします。
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