今年に入ってから、『自尊心』について、そらちゃんが記事を書くことが多い。
受け取る必要のある人がたくさんいるのではないかと思う。
そして、お客様の中にも、どうすれば他と比べることが無くなるのかと、悩んでいる人が多くいらっしゃる。
自尊心が満たされていないと、自分を人と比べてしまう、ということに気がつける人は、こちらからのアプローチに直ぐに取り組もうとするが、気がつけないと、受け取ってもらえない。
私自身も、辛さ、苦しさ、といったものの中から、自分のちっぽけな自尊心を知ることになったのだが、その苦しさの元が、自尊心である、ということに気づくまでに、少し時間がかかったと思う。
そして、それに気がついたときに、ようやく、そらちゃんが以前から言っていた、『自分自身を満たす』ということを、実行できるようになったのだ。
それからは、自分の中のちっぽけな自尊心が発射されるのを、つぶさに観察し、そして
りえ 「お、ここにも居たか、ちっちゃな鼻○そ自尊心め。」
と、笑って拾い上げ、ポイッとするようになった。
発射されれば何度でもこの作業を繰り返す。
繰り返す内に、どんどん小さく、少なくなり、自分がどんどん楽になっていくのを感じるのだ。
自分の自尊心が満たされていないとき、「人と比べる」ということが、ほとんどではないか、と思う。
例えば、自分の目の前で人が褒められたりすると、何だかムズムズし、「私にだって出来るもん。」とか「私だって知ってるもん。」とか思ったりする。
これは、ただ目の前で誰かが褒められたというだけの事実なのに、なぜか自分が否定されているような気分になり、そこにいちいち自分を参加させて、「自分も認めてもらいたい。」欲が、発射されるのだ。
また、「知らない。」「分からない。」と言えない。
そうだ、人が注目されると、何故か嫉妬する、ってのもある。
このことは、以前そらちゃんも記事で書いていたっけ。
実はこれ、私にも経験がある。もちろん、私は嫉妬する側だ。(←威張るな)
人が注目を浴び、褒められたり賛美されているのを見ると、心がジリジリとして焦燥感を味わうのだ。
(「人」というのは、知っている人や近しい人間に対するもので、芸能人や有名人では起きない。)
そのころ、自分の心の動きに焦点を当てていたので、このジリジリ感も拾い上げた。
とにかく、この作業が、本当に大変だった。
そして、その解決方法が、『自分自身を満たす』だった、ということに繋がるまで、時間がかかったのだ。
時間がかかっても、そこに行き着けて、本当に良かったと思っている。
だって、本当に心が楽なんだもん。
いらない自尊心に心が惑わされることが、無くなったんだもん。
どうしても人と自分を比べてしまい、辛かったり苦しんでいる人がいたら、是非、『自分自身を満たす』ということに取り組んで欲しいと思うのである。
頑張れ、みんな!
頑張れ、私!
なのであ~る。
← まずは、自分の自尊心が損なわれていることに気付けるかどうかが大事で、その判定には、人と自分を比較するかとか、嫉妬心があるかが使えるよ。今日もポチッとよろしくお願いします!