「好きベース」に相反して「嫌いじゃない」という言葉を発しながらも、維持してきた
生活力は、昭和の時代からの払拭という、平成時代の子どもたちへの願いは、
「自己肯定感」とか「承認欲求」を受け止める「親」の立場と「個人」の立場は違うなと
感じるという、感覚ベースの視点は根本的なところからの「そもそも論」が勃発し、
机上の空論の世界観の中に、運よく携わった者からして、あ~~経験と実践と言葉の
操り方は、時代と共に価値観としての変化をどう受け止め、継承とするならば変化は
否めないところを、スルーする方と自分の課題じゃないとスライドさせる方と、それを
受け止める側は・・・という世代になった自分は、退く選択もあるのだよな~と
集団的圧力からの解放は、静かだった・・。からこその後世の行くヘヲ見守る時間と
共有できる部分は、有難いんだけれど、言語統制の部分で、日本語が・・・・・・。