「アレルギー」と耳にした記憶は、2015年あたりから・・。

 

 アレルギーというレッテルを背負って生きている方たち。

 

 私から見れば、現代病だな・・。と、その先駆者として謎だらけだった。

 

 アトピーが流行りだして、うちの子もそうなんじゃないか?と、当時1万円の検査料を

 

 支払い受けさせ、標準値で安心するという。「うちの子に限って」という世代からの脱却で

 

 「もしかしてうちの子も?!」という調査や検査に余念がなかった、そのためのお金は

 

 惜しまないという世代w。はたから見ると過保護と映っても、守るための必須アイテムは

 

 最新情報を取り込む、産まれた瞬間に思った「この世は菌だらけ。どう守るのか?!」という

 

 なぜこの思考が働いたのかがよくわからない直感的なモノ。

 

 この子を死なせるわけにはいかない!という使命感は、母性というところなのか?!

 

 母親業1年目は初めてだらけ反応にどうこたえるのか・・。という

 

 無我夢中で使命感を果たそうとするその姿勢は今になって振り返ると、

 

 そこまでするかという確認だらけ。息してるか?白湯ってなんだ?なんで泣いてるんだろう

 

 と、分析力はそこで培われた。

 

 なので、二男の時はそこまでしてなくていいんだ・・。という事が経験でわかり、

 

 対処法も変化する。しかしそこは子どもだ。親の意図せず違うところで発動させる。

 

 育てるって、1人じゃダメだ・・。と、いろんな人の手を借りることを覚え、

 

 委ねます。お願いします。と、匙を投げだしたわけじゃなく、他人を信頼するという

 

 ある程度の時期にきたらそうせざる負えないほど、私がすべてを知る事や見守る事は

 

 できないこともわかって、それが放任という捉え方も時期相応を無視しての

 

 勝手な〇〇の捉え方ですよ。という、なんかね~。

 

 そう、アレルギーの話ね。

 

  自然に対する免疫がないのかな~と思えるくらい、箱の中で閉じこまれた

 

 環境で育ってきてしまったのかな~と、大人の責任だよな~~。