珍しく続いている「朝活」の一環としての

 

 コンビニまでの散歩。

 

 朝5時に起きて、炊飯ジャーのスイッチを押して出発。

 

 静かな朝が来る前のあの暗さの中、色々思考が巡るのでちょうどいい。

 

 雪解けが一気に進み(昨日の気温が高かった!)、滑りそうな路面だったところも

 

 スイスイ行けちゃうよな~。と、小さな感動の連続。

 

 今日の頭の中に浮かんだテーマは「無関心」。

 

 愛の反対は無関心だと知ったのは江原さんの本を呼んだ時期。

 

 抽象的なので具体的には?となった時は、あ~あの時か~?!とか、

 

 振り返るときかもしれない。

 

 のちに、岡田氏が無関心世代とささやかれているらしいことを知ったのはごく最近。

 

 無関心な振りをしているだけで、実は色々傍観しているっていうのが本音のところ。

 

 「人の振り見て我が振り直せ」が残っているのかもしれない。

 

 一昔は助け合いという精神の中、協力するというのもそれに乗っかってくるが、

 

 利用されている?!っていう言動が見られ、それなら関わらない方がいいという結論に

 

 結び付けたり、例えば、部活の送迎も今じゃ当たり前の親としての務め?!になったが

 

 私の頃はまだまだで、これじゃ部活入りたくても入れない子も増えちゃうだろうなとか

 

 思いつつ、やりたいことはやらせたいという親の思いもあり、ほんと送迎というのは

 

 親が免許持っているのは当たり前というものに変えて、子どものためならと奮闘し、

 

 ポツリポツリと働く母も増えだし、送迎ができない時のどうするか?は、他の方に頼んだり

 

 するところなのだが、そこまで親同志が仲良くなっているか?!というところ。

 

 学年が違えば、躊躇したりするところ。

 

  お迎え頼んだのに忘れられたという話を聞いて、私がその子を乗せたことは

 

 幾度かあり、今じゃ携帯があるので連絡はとれるものの、私が小さい頃はなかったよなと

 

 そして今じゃ部活ではないが、送ってあげるよ~という行為は禁止になっているところもある。

 

 たとえ顔見知りでも・・・。なので、部活動はいろんな局面の中、衰退していく部類なのだろう

 

 かっ!!と、部活動排除方向に誘導していく今の親たち世代。に見えてしまう。

 

 は、あくまでも私の見方。だから、大谷のように救世主が現れて・・というのが

 

 スポーツ界全体の推奨にもつながるんだよな~と、30分の散歩で脳内との対話まで

 

 私自身も回復傾向だなと感じる事ができる活動で、何よりと思うのであった。