とある研修を学んでわかったというか、そうだよな~としみじみ思うのは

 

 声は「生きた言葉」だと。

 

  子どもたちとのやり取りもLINEが支流で、対話だと思っていたやりとりも、

 

 「おばさん構文」だと言われ、ぇ?と思ったらやっと理解したところは、

 

 文字を使用した対話を求めていて、会話しているようなテンポの良いやり取りなんだな

 

 と、勝手に理解したところだが違うのか?

 

 つい、すぐさま返信は必要ない緊急性の低いとこちら側で判断した際に、タイムラグが

 

 発生するのだが、若い方の間ではすぐさま返信が常識となっているらしく、

 

 思い出すのが、息子が中学生の時。(10年前)

 

 「なんかね、すぐ返信しないといけないらしいんだ‥」と言って、

 

 「いったいそんなルール誰が決めたのさ?」と突っ込んだら、お友達らしい。

 

 当時、まだまだ携帯を持たせるって、タイミングを計らう親が多かった。

 

 我が家は早い方で、長男がもったタイミングで 「ついでに」という発想だったw。

 

 なので、子どもたちに広がる携帯ルールーは親とは違うんだなという認識の違い。

 

 まぁ、子どもたちの世界観なんだろうねと、依存しない程度に・・・は、

 

 高校生となった時、色々トラブルがあったらしい。

 

 私たちは、メールの対話より話した方が早いよね!という声の電話交流が

 

 圧倒的。ほぼ愚痴や不満とかの発露となるがスッキリするという利点がある。

  

  今や子どもたちは、電話が苦手という事態にまで陥り、その原因もわかるところ。

 

 生きた声は、そのとおり生々しいし感情が乗っかると威圧的に聞こえたり、声の大きさ

 

 だったり、高低差だったり・・。どう聞こえるのか?

 

 恐怖の先入感があるため、それならチャットで・・・。という、らしい。

 

 この文字のやり取りは平坦なはずなのに、言葉の配列次第では誹謗中傷と受け止めてしまう

 

 その時の目にした時の当人の心情次第なのであろうか?

 

  よく言う見なきゃいいとか、電源オフにしなさいとか。そこから離れる。

 

 それが正解なのだが、人間というものなかなか決別できないでいる人の方が多く、

 

 すごい展開になっているなという印象を持つところ。

 

 私は「君の声が聞きたい」という、声フェチだったりするw。