日本という国がなぜ生まれ、独特の言語コミ二ケーションは、
私たち昭和時代に習った漢文理解と今は漢文そのものを教えない方向なのかな?
というくらい、使用用途が最近では、意味わかって使っているのかな?という
適切なのか、ただ単に流行しているのか?!
差別化を図ろうと、常にいつの時代というか私たちの頃からかな?
わからないような暗号という名のカタカナ語と短い言葉で、古い世代との違いを
見せつけていたような気がする。
年を重ね、さっぱり今のカタカナ語や擬態語がさらに変容され、一時の
ささやかな抵抗語録なのであろうから、率先して取得しようとする気はないところ。
しかし、「ババァ」や「老害」と呼ばれたのなら、いささかびくつつ年齢になったのだなと
認識される。今のところはないが、おばあちゃんとか、ちゃん付けされる方がまだ許せる。
この歴史は、私たちの頃からあったような気がする。
私は使わないが、積極的に使い、あんたと私は違うんだよ!というメッセを送り付け
られているような気がするところだが、ババァも圧倒的経験値で、その強さと
イケメンによるか弱き女性を演じる術を取得しているんだよな~。
日本語って海外から見たら難しいらしい、比喩や曖昧さを兼ね備えているので
言霊として、それによってダメージ食らう方も多く・・。
私世代って、本の読破量を競っていたところで、その言葉の読解力が身についた
ところだけれど、使用方法は適切なのかいまいちわからないところで
俄然、今の方たちは本を読まない!傾向であり、漫画から学んだよ!と、
漫画は、セリフだよね。場面でこのセリフを使うのか!という事を学んだのであろうか。
というと、否定されたって感情的になって突き返していくのよね~。
さらにいえば、今の子どもたちはYOUTUBEというんだろうな~。
悪くはないんだけれど、フェイクとか見抜けずに成長してしまったら!!