と、この30年間の推移を非難する方が、私より年齢がの世代。

 

 この30年間は、私にとってリアルに見聞きし、その時に思った違和感は「私はこんな大人になりたくはない」と

 

 実行や行動をしてきたんだけれど、ここにきて小休止を与えられたので、振り返ってみると

 

 うわぁ~断片的にしか思い出せない!と、そういえば過去は振り返らないタイプだった!と、常に前向き姿勢で

 

 変わってくれるであろう事を願っていた理想とは、そうはならない現実があり、コロコロ変わる制度の中でも、

 

 なんか、いいタイミングでここまで来たんだな~と結果、よろしかったところなのだが。

 

 私の指針による影響を受けたであろう、子ども目線は、成人真っただ中の今対話することによって

 

 解き明かされる、お互いの言い分の折り合いをつけている最中。

 

 母ではなく、先生だったな。という。像を演じちゃったのかもしれない。

 

 教育に熱心だったのは、私のエゴや劣等感の払拭だったのであろう。

 

 ここにきて、自己肯定感キャンペーンが発動されている。~すべき、レッテル張りや感情論に強烈違和感を抱きつつ、

 

 距離感覚が今でいう「希薄」と、捉えられちゃうんだよな~。

 

 サービスの度合いも、これって必要?自分でできるはずじゃんとして排除され、お節介は厄介となり、お裾分けは

 

 有難迷惑に変わった。

 

 なので、その狭間にいるであろう私から見たら、カオスな世界だなと思うので 何が正しいのか?思いやりとは押し付けなのか?

 

 と、個人レベル(1対1)で対話するのは得意な方なので、それを活かして探求中。

 

 不特定多数の場面が苦手になったみたい・・。と、しばらく面識・会っていなくても、電話という肉声は

 

 メールより暖かいな、と感じる今日この頃。