段々と、ひしひしと感じずにはいられない、老いに向けて

 

一段と薄れるのが「記憶」。あの時はこうだったと思う事は、あくまでも自分視点。

 

一緒にいた方に聞くと、また違った視点に驚かされる。

 

「あんときの、さる子はずっと離婚するって叫んでたんだよw」

 

・・・。そんなこと言っていたんだ~と、発信した人はそこで完結しているから

 

記憶から抹消されるんだな。そう、いじめっ子がそんなことしたっけ?あるいはそういう事も

 

あったかもな~くらい。

 

でっ、今にわかに問題になっているのが「高齢者の主張が通らない。死ねと言っているのか!」

 

という市の方針に対しての反対者の声。

 

住民説明会も「ただの形」で、反対意見も真摯に受け止めている演技力は残念ながら・・。

 

かえって逆なでするような、まるでマニュアル化された台本通りの決まり文句しかない。

 

高齢者の意向に沿うと、その維持費・人件費だけでも莫大な費用がかかり、1日に何人利用するんだ?!

 

という計算というか統計を取って、丁寧な説明すればいいその労力さえも、人材がいないのかも

 

しれない。

 

誰も死ねと言っているわけじゃない。この言葉をリアルに聞いたのは10年前位。

 

なんだか、希薄になってきたしな・・。と言う。

 

当時の私は誰も死ねって言っているわけじゃないのに、希薄だとも思っていないし。

 

でも、これからはそうかもしれんな~くらい。

 

そして10年後。

 

コロナでさらなる希薄というものを感じずにはいられない。

 

先人たちの知恵を活用し、発展してきた陰にはワンマンというか今でいう権力を使って、

 

なりあがった方たちも、潔く世代交代すればよかったものの、

 

優越感がたまらんおであろうな~。俺の一声で!!みたいな方のほうが、しぶといのかもしれない。

 

歴史上、そうなるのも無理ないのか・・。という事も、知っている。

 

それを後世に伝えるわけでもなく、散々聞かされた昔話と武勇伝は

 

私で止めているw。

 

便利になったよな~これ以上何を求めるの!と思ったら、

 

ロボットのような人工知能とかAIとか。いよいよ40数年前に読んだ

 

SFの世界観になるのか?!これはこれで面白かったような気がする。

 

今は、与えられた時間の有効活用として、毎日活動中。