本日の、ネトフリでみた映画。

 

 沈黙 -サイレンス- - Wikipedia

 

 感想が難しい。今、この時に見るとはなんというお導き・・。

 

 徹底的、無宗教だが社会人になった途端、あちこちからの勧誘を体験し、結婚した頃にキリスト教と出会った。

 

 仲人の奥様が熱心な信者だった。ソフトなイメージで私も言われるがまましばらくの間、料理を習う名目で

 

 通った教会。妊娠した頃から自然とフェイドアウト。子どもが通う幼稚園で再会しかが、

 

 どこか違うと、アーメンと説法は受け入れなかった。子どもが小学生の頃中良くなった方が、長崎出身でまさに信仰していた。

 

 そう、「長崎」というキーワードで思い出された。映画を見ながら、差別だよな~排除だよな~と思いつつ、そのやり方は残忍で

 

 この時代に生まれてこなくてよかったというくらい、きっと当時はあの踏み絵という今でいう「物」に対するただものではない

 

 心情が重なって踏めない方もいるであろう。仏(ぶつ)と物(ぶつ)、日本語を関連付けすると実に、面白い。

 

 神(かみ)と紙(かみ)も、なかなかなもんだ。

 

 何にすがるというか、どこか自分を守るための信仰だったり、それを咎めるのもあるよな~という。

 

 良心とは。と、今のところの行きつくところ。良心(りょうしん)と両親(りょうしん)。これまた興味深い。

 

 映画を見ながら、色々飛んで考える時間もまた、良い良いと。

 

 江戸時代で、通訳って。すごいな~と思う今日この頃。