「先生」というなり手が、いわゆる減少傾向。

 

 昭和の時代は「聖職」扱いを受け、親も学校に委ねていた時代。

 

 令和になって目にするのは、その労働力。

 

 「人生時間」の、有効活用なのだろうか。

 

 労働とプライベートを両立させようと、もがきながらも発信力高まったな~。

 

 俄然、デジタル化したとはいえ書類やら、保護者対応が明らかに余計な業務が増えたんだよね。

 

 部活さえも、民間に・・。そりゃそうだ。やったこともない活動を押し付けられる場合もあるらしく。

 

 そのぼやきも聞いたことがある。

 

   実際私も、子どもたちは学校側に委ね「どうぞ、ビシビシ厳しくてよいですから」と、言いながら

 

 PTAを率先して引き受け、学校内の様子をうかがっていたくらい、実は「教育」ってなんだろ。

 

 私が受けた「へき地教育」と重ねながら、回想にふけっていた。

 

 そんな私は今、先生をしている現実がおかしくて・・。

 

 子ども寄りの対応と、私の方が子どもで教わっていること多くて、それでいて楽しいのに

 

 ちょっと。現実はその間の先生間の認識の違いなんだろうな。

 

 転勤という変えられる環境は、運なのかね~。

 

 悪くても、自分さえきっちりとした信念さえあれば、いつか理想の現場に巡り合える

 

 とその前に退職していく方が多き、今の時代。