どこかで、「安楽死」は認めてほしい自分がいる。
「痛み」には、心の痛みより肉体的痛みの方が、一番つらいんじゃないかって。
しかし、肉体的痛みは通り道ではない。
その個人に与えられた肉体的痛みは、当事者ではわからない苦痛。
しかし、投影というもし自分だったら・・・。となると、その苦痛に耐えられるであろうか・・。
相手のその事情と苦痛を聞いていると、よくぞ生きている!耐えているね!えらい!すごい!という
賞賛しか浮かばない。
私なら耐えられなく、あ~・・・と、思うであろう事柄も、相手も同じだったことを受け止めて、
心の病みは、医者より他人。
肉体的痛みは、他人より医者。
とは、言えない混濁した世の中。