子どもという名の人を授かったとき。どう親としてなのか、人生の排として何を教えるべきか、何を伝えるべきか。
その時代背景とともに思考を考慮して、しかもそのこどもがどう認識して、自立するものかと見届けるもの一理あるよな。。と
思いつつも、令和という年号が変わったとたん、「昭和」という時代はなんとなく排除され、でも、総理はバリバリ昭和じゃん!
と、その思考と思想のバランス、¥。
幸いにも、私は融合されてることを感じずにはいられない。
古き新しい時代のたぶん境界線だとするのならば、
明らかに新を求めながらも
古いよなーと思うところの
調整役をつき買ったものと思い、
ハザマのか中で
学んだこと。
未来に対しての
新たなる展望は
必要jな愛かと思うこの頃。
その辺のことろ、
安倍首相より
発信できるんじゃないかって。
なぜなら、
バズるわけないとう自負と思うが重なったとき
どういう、今でいう
ネット何とかなる世代は
所詮・・・・・。