それは、長男の入学式を終えて 帰宅する列車の中での出来事。


   車中、4時間程の 長いなと感じるか短いと感じるかはその中での過ごし方。


   年齢を重ね、たった入学式という大きなイベントが終了した安堵感は 体に染みいる疲弊を感じずにはいられず、


   即、睡眠・・・。という反応に変わる。



   自由席だったけど、平日ということや時間帯のおかげで  2人掛けの座席は1人で独占できていた。



   春休みという渦中もあり、小さい子を連れた 母子状態もちらほら・・。


   案の定、子どもが騒ぎ出す光景も 気にならなくなってきた私のお年頃。


   なぜなら私にも経験があったから。



   幼い子供たちを連れて移動するということは ものすごく気ぉ使った故に 母も大変だと思ってしまう。



   今では、えらいな~と思ってしまうほど



   騒ぎはするけどその対処法に脱帽でした。



   生後数7~8カ月の子が、ほぇ~~んと響き渡る車内。


   お母さんといっても、30代くらいであろう母が 抱っこひもを取り出し 装着する過程の中で


   お兄ちゃん(3歳くらい)に


   「ねぇ~ここの留め金カチンとしてくれる?」と、自分ではできない範囲?なのだろうか、


   お兄ちゃんにその作業の手助けをした。


   あった、カチンとつなぎ合わせるだけでいいことは、抱っこひもであるかぎり、今の型だと


   母1人でできるよう仕組まれているはずだ・・。



   あえて、やらせている教育なのか?




   目を閉じながらそのやり取りを聞いている自分。



   ああ~ほんとに困った時、きっと私に声をかけてくれるであろうし、わたしも「やりますか_」と


   声をかけるであろう。その待つ時間帯は、暖かい目としてみ見守っているつもりだった。



   悪戦苦闘の末の5分くらいなのかな?



   「できたよ~~」という声が聞こえた。



   「あ~ありがとう。最後にやっと褒めてあげることができた・・」と、聞こえるような声(周りへのアピールか?)で、



   デッキのほうへと移動する親子・・・。



   いや~~なんて素敵なんだろうと思った。



   15年前、私なら いそいそと いちもくさんで・・迷惑な目といして感じられた他人の目で デッキへといそいそと


   移動してだであろう・・。



   その時代、そこに居合わせた露骨な迷惑視線に 翻弄されていた自分がいた。



   でも、今は違う。



   私も気にならなくなりました。



   決して無関心じゃないのよ。