これから先のことはわからなが、こうなりたいとかこうでありたいとか夢や希望を語るのは自由。


  そのために今すべきことを考え行動する。


  密かなアドラー心理学、目的論が遂行されているような気がする。


  私自身は、フロイドの思考が根本的にあるんだけど、アドラーを少しずつ受け入れ理解しようと


  努めている。


  もちろんこれは哲学なのだから、正解というわけではない。


  「共同体感覚」という思想は、かつての私の小さいころにあった感覚。


  たまたまそういう環境だったせいか、それは強く感じる。その反面、わずらわしさ、


  他人がそこまで介入する?という、おしつけや決めつけに モヤモヤした気分になることがしばしばあった。



  時代は確かに進化する。


  進化というか、新しい思考の受け入れ態勢と言った方がしっくりくる。


  今現在、小さいころにあった「共同体感覚」は、残念ながら感じられない。


  個人が尊重され、ご近所付き合い、他人との距離感・・。


  一緒に何かしよう!という、有志の集まりは 人不足に悩まされる。


  いつしか、「めんどくさい」という 体裁が定着したような。


  手間暇かけるより、合理的に。利己主義が多くなったというべきか・・。


  そもそも私もこの部類。


  ここに来てそれでいいんだろうか?


  あまりにも、悪い方向に行って 横暴になってきたような社会。


  同情はするけど、他人事。


  だから、自己責任とか自己確立を教育として 子どもたちに教えなければ・・。と、


  いろいろ思う中で、


  10~12年スパンで 人の思考が変わる。


  教育は3年。


  確実に物質的から●●的に変わる。


  危惧するのは、犯罪に目的論が使用されてしまうこと。


  それは犯罪なのですよというラインを踏み越えてくる。


  そのラインって誰が決めてあるのか?


  そんなの教えられていない!


  知らない・その行動一つの先を想像もしないこと。



  市役所が脅迫メールを受けて 業務妨害をした事件。


  犯人は20代。とても幼稚な脅迫メール。


  何とも身勝手であり、どんだけの人に影響を与えたのか・・・。


  もしかしてその反応を伺っていたのか。


  1人が起こした行動は、時として大勢の人を動かす。


  いいことだっtたらよかったのにね・・。


  未然に防げることを躊躇し、事がおこってから対処します。という


  なんとも言えない時代になったな~。


  困ったことに、あきらかにわかっているのに 声を上げないこと。


  勇気ある告発も、1人じゃダメ。

 


  まとめると・・・。


  この作業が私は苦手。



  こういうところから、克服するのが私のタスクであるのよね。