人は忘れゆく生き物だと思います。
時間が経てば記憶は薄れ、時には消えることもあります。
私の頭のなかの「記憶」のイメージは
ものすごく広い土地に「記憶」という町がある。
興味のある事象の記憶については大都会のように知識という
ビルが立ち並んでいて活気に満ち溢れている。
そして無限にビルが建つ余地がのこっている。
これといって興味のない事象の記憶は平屋の家がちらほら。
住人も新しく家を建てようなんて気はさほどない。
もちろん知らないことやあえて知らないようにしている
ところは「はらっぱ」のまんまです。
最近思うのですがこの「はらっぱ」の状態は
あまり良くないと思うのです。
たとえば、
私は「会計」とか「国際政治」とか「医療」とか
まったく興味がないことは意識的に目を背けてしまうので
知識がゼロなので、わたしの記憶の町の
「会計」とか「国際政治」とか「医療」
については完全に「はらっぱ」です。
でもあるとき少しでも意識的に興味を持って
平屋建ての家ぐらいの知識をを持っていれば、
長い人生ですからいろいろなことが
巻き起こったときにその平屋建てが役に立ち、
その後、平屋が2階建てになるかもししれないと
思ったのです。
ひょっとしたらそれがきっかけでそこに新興住宅が
立ち並ぶかもしれない。
これが人間の幅が広がったという状態でしょう。
でも「はらっぱ」だったらただ「知らない」という風が吹くだけで
なんの成長もない。
だから私にはムリとか私にはこれが限界とか決め付けるのは
記憶という広大な土地に自分でチョークの粉で線を引いているだけなのだ
と気付いたのです。
その日からまったく興味のない話も一生懸命聞くことにして
もちろん興味がないんで100聞いても1~2個しか家が建たないのですが
少しづつ「知らない」という荒野を開発していくことにしました。
興味がない事って、根が浅いからすぐ風に吹かれて
全部消えちゃうように見えるのですが、そこに何かは残っているんです。
(看板とか、門とか、犬とか・・・)
なにかひとつでも知識があればそれは大きくなる可能性がある。
そんなことを最近考えています。

