バレンタインデーとおっぱいはなんの関係も無いが、ふと最近おっぱいについて語っていないなと思い出したので書いてみることにした。
そういえば、ここ数年おっぱいに関する研究は全く進んでいない。
(単に研究する機会がなかっただけなのだが・・・。)
コロナ期間中は検疫の観点で不特定多数のおっぱいに触れることには問題があったが、おっぱいは見るだけではその価値は計れないし、研究もできなかった。
そして今は、おそらくこんなことを書いているだけで「不適切にもほどがある」というか、おっぱいの研究など真面目に実践していたらタイーホ間違いない。
「おっぱいは大きさで語ることはできない」という点については酒の席で時々議論する機会はあるが、それでも男女ともにサイズに拘る傾向があるのは否めない。
特に外国人の男性は巨乳に価値を見いだしている輩が多いような気はする。
白人など、おそらくは人種的なスタンダードの違いがあるのだろう。
そのせいかどうかは知らないが、タイ人のねーちゃんとかは、かなりの高確率で豊胸手術と鼻の整形をやっている。
ねーちゃんたちの海外への進出率と、豊胸手術率は相関関係があるかもしれない。
個人的な拘りは、大きさではなく形とバランスだが、堅さというか張りに拘りがあるという友人もおり興味深い。
男性のおっぱいに対する価値観には、ひとにより相当な差が有り好みや理想のおっぱいは千差万別だ。
そして、おっぱいの価値は金銭では計りきれないものであり、基本的にはその金銭では計りきれない価値は上がり続けていくことだろう。
バレンタインデーを前にして、日経平均株価は記録的な高値をつけ、1ドルはサクッと150円を超えたが、これからどれだけ円安が進もうとも、おっぱいの価値は普遍で永遠だろう。
問題は、女性にとってのおっぱいの価値観と男性にとっての価値観は、根本的に異なっており、それぞれが理想を追い求めた時に、その価値観が乖離してしまう可能性があるということだ。
そういう点では、おっぱいの豊胸手術のような加工が普及するのは、見た目だけがそこそこの偏った価値観というかマジョリティー派のおっぱいを大量生産する事になり、その結果オリジナルのマニアックなおっぱいとの遭遇率が下がってしまう恐れがあるからだ。
わたしとしては、あくまでオリジナルの良さに拘りたい。
研究対象としてのおっぱいは、私にとってはセクシャルな観点だけではなく、もはやそれを超越した霊的な神仏のような存在である。
宗教的だと思われるかもしれないが、わたしはおっぱいの存在とその計り知れない魅力(魔力)によって支えられて生きているといっても過言ではない。
聖バレンタインデーに(神聖な)おっぱいにこのような思いをはせる私はやはり頭がどうかしているに違いないが、きっと私のおっぱいを巡る旅々は死ぬまで続くのだろう。
おっぱいの価値は永遠だ。