1990年リリースの名曲「愛は勝つ」で有名な歌手のKANさんが、61歳の若さで亡くなられたという訃報が流れてきた。
今年3月に日本では数十例ほどしか症例がない「メッケル憩室がん」を公表し、闘病していたそうだ。
ご冥福をお祈りする。
このKANさんの「愛は勝つ」が爆発的に流行ったバブル末期の1990年に私は1度目の結婚をした。
結婚の直前に不安になった彼女から「婚約を白紙に戻してほしい」と言われ、絶望的な心境に陥ったが、KANさんの「かならず最後に愛は勝つ」という歌詞に励まされ、彼女の意思を諦めずに求婚を続けた結果、無事に結婚することができた事を思い出す。
当時は、「愛してる」などという言葉を口にすることも恥ずかしかった33年前の昔話だ。
この曲に励まされて、同じように恋愛や結婚の壁を乗り越えた経験をした人たちは数えきれないだろう。
KANさんが亡くなられたこの先も、きっとこの曲は歌い続けられていくに違いない。
心配ないからね君の勇気が
誰かにとどく明日はきっとある
どんなに困難でくじけそうでも
信じることさ必ず最後に愛は勝つ
改めてこの歌詞を噛みしめてみると、「愛」というものは、人間の気持ちであり、人類固有の感情だが、「愛が勝つ」ということはその愛という感情が敵対する何かを駆逐して打ち負かすことが可能なような印象も受ける。
ここではその敵対するものは、くじけそうになる「困難」であり、その「困難」によってくじけそうになる自分の感情であろうと思うが、「困難」というのはたとえば恋愛においてうまく伝わらずすれ違ってしまう気持ちのようなことだろう。
特定の相手との恋愛など関係性の中で発生する困難という敵と、愛というエネルギー兵器の役割を考えた場合には単純で理解しやすい歌詞だが、現実にはこの「愛」という未知数のエネルギー兵器の攻撃対象が多岐にわたり、その影響が必ずしも「困難」というものを乗り越えるために有益に働くとは限らないと考えると、それほど簡単な話ではない事に気付く。
愛という漠然とした(相手をむっちや好きで全てを理解し受け入れたいと願うような一方的な)感情と敵対する困難とは、愛以外の要素で成り立つこの世の全ての現実なのかもしれない。
だとすれば、「愛」というエネルギー兵器による敵対勢力との戦いは、この世の終わりまで果てることはないのだろう。
そして、永久に「愛の勝利」は実現しない。
愛は常に愛によって解決できない全ての困難を自動的に敵として認識し、愛という兵器がある限り、愛のない世界を延々と作り続けてしまうからだ。
それでもなんの根拠もなく「最後に愛は勝つ」と信じることが、ある種の宗教のような意味を持ち、そして愛の力を信じて、無限に存在する困難と闘い続けることができるのであれば人類は捨てたものではない。
この歌が世界中でこの先100年後も1000年後も歌われ続けて、今よりも愛に満たされた平和な世界が実現していることを心から願う。