2007年~2008年にかけてTVで放映された「機動戦士ガンダム00(ダブルオー)」という作品がある。
噂では、2027年に続編が公開される予定もあるとか。
「西暦2307年、人類は枯渇した化石燃料に代わるエネルギー源として宇宙太陽光発電システムと軌道エレベーターを実用化していたが、莫大な建造費が必要なこれらのシステムを所有しその恩恵が得られるのは「ユニオン」、「AEU」、「人類革新連盟」の世界三大国家群のみだった。それらの超大国間には全面的な対決こそないものの熾烈な軍備開発競争による冷戦状態が継続し、また、いずれの国家群にも属さなかった小国は貧困にあえぎ、紛争や内戦を繰り返していた。」
最近この作品をもういちど見直して、現在の世界で起こっている有事と被り考えさせられている。
00(ダブルオー)は、ガンダムシリーズの中でも異色の作品であり、ミリタリー色が強いというか、300年後の地球における未だに続く人類間の戦争や紛争といったものにフォーカスしている。
いわゆる宇宙世紀とかニュータイプといったファーストの流れから離れたアナザーガンダムと言われる作品の中で完成度の高いものとなっている。
ちょうど、「進撃の巨人The Final Season」も見終えたところだが、描かれているテーマに同じ匂いを感じた。
いずれの作品も、「結局、人間というのは争いを止めることができない。」という絶望的な前提に対して、戦争による殺し合いを根絶するために何ができるか?というクソ重いテーマに向き合っている。
こういったクソ重いテーマと向き合ったアニメ作品を観ながら、いま現実に起こっているウクライナ紛争や、パレスチナ紛争というものを目の当たりにすると、ガンダム00(ダブルオー)で出てくるヴェーダ的に修正または清算されなければならない「世界の歪み」というものを感じずにはおれない。
いったいこの現実世界において、戦争を生み出す歪みというのはどこから来ていて、それは人知によって修正が可能なのだろうか?
ガンダム00においては、その世界の歪みを修整し、世界で起こるありとあらゆる戦争を根絶する為に、最強の兵器ガンダムを擁するソレスタルビーイングという私設武装組織が武力加入するという話だが、単純な勧善懲悪的ストーリーではなく、戦争によって傷をもつ登場人物たちが求めるものや、戦う意味や、正義や真実のありかは様々であり、それらが交錯して陰鬱で重いストーリー展開となっている。
そもそも、主人公でガンダム・マイスターのひとりである刹那・F・セイエイは、中東のクルジス共和国という架空の国の元少年ゲリラ兵であり、そのクルジス共和国は隣国のアザディスタン王国との戦争で滅ぼされ武力併合されているにも関わらず、後に刹那が出会うアザディスタン王国の第一皇女マリナ・イスマイールは戦争を好まない生粋の平和主義者で、ふたりの意見は噛み合わないままお互いが戦いに巻き込まれていく中、戦うことだけが自分の生きる道だと思っている刹那にも徐々にマリナの純粋な平和主義が響き始めるとう屈折した設定。
また、ソレスタルビーイングのメンバーであるロックオン・ストラトス(ディランディ兄弟)は刹那がかつて所属していたKPSAというテロ組織の自爆テロで家族を失っており、テロリストに対する憎悪が半端なく、初代ロックオン・ストラトス(ニール・ディランディ)は刹那がKPSAのメンバーだったことを知りいちどは銃を向けるが、その諸悪の根源が刹那を冷酷なゲリラ少年兵として徹底的に洗脳した根っからの戦争屋サーシェスの存在だと知りサーシェスが共通の憎むべき的となる。
このアリー・アル・サーシェスという男は、ガンダム史上でも最低最悪のキャラクターのひとりであることは間違いなく、クルジス崩壊後も傭兵としてAEUやイノベーターを雇い主として最後まで暗躍する。
今の日本や日本人の平和ボケしたアホさを象徴した沙慈クロスロードという登場人物も興味深い。
ガンダム00において、『戦うことしかできない主人公』である刹那に対して『戦うことができない』もうひとりの主人公として取り扱われている。
量子コンピュータ「ヴェーダ」や「GN]ドライブの」設計者とされるイオリア・シュヘンベルグの謎に首を突っ込みすぎたせいで、沙慈の姉である記者の絹江・クロスロードはサーシェスに殺害されて天涯孤独になるわ、明るく快活だった恋人のルイス・ハレヴィもチームトリニティ(ガンダム)のテロ行為によって家族と左腕を失い、ガンダムとソレスタルビーイングを恨む敵となるし、散々な目を見ているにも関わらず、戦いと戦争の根源となっている悪から目を背け続けた結果、より悲惨な事態に巻き込まれていく沙慈の姿は、今の世の日本と日本人そのもののように映る。
300年後の世界においても、相変わらず紛争の種になっているのはエネルギー問題であり、軌道エレベーターという途方も無い建造物による太陽光発電がエネルギー供給の主力となった未来において、かつては化石燃料の供給で潤っていた中東の国々が干されて紛争が絶えなくなり、それを西側が撲滅する図式など、なんとなくSDG’sとかで地球環境を守る為にカーボンフリーを実現しよう!みたいな綺麗事で脱化石燃料を推進している今の世の中とも被る。
ダブルオーに出てくる干されて悲惨な中東の国々は、イスラムっぽい感じの国々で神を信じているが、その神にすら見放されたようなボコられ方をする。
ネット回線も遮断され、リアルな情報は入ってこないが、今現在イスラエルのガザ地区で起こっていることを彷彿とさせる。
アメリカがイランに空爆し、ロシアがシリアに空爆し、イスラエルはガザ地区のハマス勢力を民間人共々駆逐するべく攻撃を続けている。
戦争やテロを心から憎み、それを根絶する為に、絶対的な武力によってそれを鎮圧するという考え方は、基本的にゲリラ的なテロ思想であり、仮にそれがアンチテロリズムとして正当化されたとすれば、今現実の世界で世界の紛争に軍事介入することを厭わない(或いは望んでいる?)米軍と同じとも言える。
問題は、「いったい誰が戦争を望んでいるのか?」ということであり、戦争を望む者たちを根絶しない限り戦争は無くならない。
ガンダム00では、ヴェーダと呼ばれる量子コンピュータとその生体端末であるイノベイド(とそれが進化したイノベイター)という今で言うところの生成型AIとそれと連動した生体端末のようなものが世界を変革しようとして暗躍し、ソレスタルビーイングや人類を裏で動かしており、それにこの作品から15年経った今起こっている現実の戦争に重ねてみると、もしかしたらヴェーダようなAIによるシミュレーションの元に行われていて、我々人間の心理は巧妙な情報操作によってある方向に誘導されているのかもしれないと思えてくる。
ガンダム00の2ndシーズン最後では、進化し、暴走したイノベイターのリボンズが、諸悪の根源として駆逐され一旦大団円を迎えるが、それで世界の争いが無くなったというわけではない。
結局、ガンダム00においても、進撃の巨人においても、人間の愚かさ故に戦争の根絶は難しいという結論に達しているように思われるが、争いを生み出す根源とどのように戦うのか?あるいは戦わないのか?という課題をリアルに叩きつけてくる。
いまこの瞬間に世界で現実に起こっている戦争や、どのような名目であっても行われている大量虐殺行為も、深読みすればヴェーダの意思でなくとも、誰かの意思やシナリオに基づいて起こっている事に違いなく、正義がどちらにあるかという単純な議論ではなく、純粋な平和主義でもなく、自分たちには関係のないことだと目を背けるのでもなく、戦争に向き合って、それを起こしている根源を絶たなければならないというのはアニメでなくとも本来そうあるべきだと改めて考えさせられた。