素敵(ステキ)とは、あなたが素敵だと思うことや感じるものであり、素敵なものと素敵ではないものの境界やその基準には相当個人差がある。
ちなみに、今でこそ「ステキ」は、非常にすぐれているさま、心を引かれるさまといったプラスの意味で使われているが、元来は程度がはなはだしいという意味で、必ずしもいい意味で使われていたわけではなかったそうだ。
素敵な人生とはどんなものだろう?
他人のことをひたすら思いやり、他人の幸せを願って、その為に一生懸命に生きる人生はきっと素敵なものに違いない。
残り少ない余生を考える上で、生きがいとなる何かを見つけることや、そのモチベーションを維持し続けることは容易ではない。
あるひとが、自分は今までの人生にとても満足しており、家族や友人といった自分を支えてくれた人間関係に心から感謝していて、自分の為にこれから死ぬまで何かをしたいという強い願望はないと感じているひとが、ぽつりと「それでも素敵なことを求めて生きていきたい」と言っていたのが印象的だった。
どうすれば、より沢山の素敵を身にまとい、素敵な人生を送れるのでしょうか?という問いに対して、私は瞬時には答えることができなかった。
「素敵」という概念は、そのひとが感じるそのひとの基準であり、そのひとの「美意識」や「そのひとの心が求める何か」であり、私にはそれが具体的にどういうものかを察するのが難しかったからだ。
世の中には私の目から見ても、素敵なひとも素敵でないと思えるひとも沢山いるが、心から素敵だと思えるひとはおそらく僅かしか居ない。
そして、その基準は私にもわからない漠然としたものだ。
本物の素敵な人というのは、おそらく外見だけでなく、内面の素敵さがなければ成り立たないのだろう。
いくらお金を沢山持っていようが、元々の外見が美しかろうが、何か特殊な才能に恵まれていようが、それらは素敵を手に入れる為の絶対的な要素ではないように思える。
このことについてしばらく考えてみた結果、もしかすると「素敵」というのは物質的なものではなく、そのひとが纏っている空気のようなものであり、その素敵な空気感をもたらす妖精を引き連れているかのような感じなのかもしれないと思った。
そのような素敵感に溢れた妖精たちをどうやったら集めることができるのか?
やはり、ステキな心がステキな気を生み出し、ステキの妖精たちを呼び寄せて身に纏い、ステキな空気や光を放つのだろう。
ステキな心は、カネでは買えないし、努力したからといって手に入るものではない、その人が元々持っているステキの芽が育つかどうか?といったところだだろう。
それを実現することは容易ではらさそうだが、それでもひたすら素敵を求めて生きる人生というのは、ステキなことには違いない。