歴史を変えた発明の歴史「電気・電話・自動車・飛行機」 | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

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ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん!

アニメ「Dr. STONE」は、謎の現象により、全人類が一瞬で石化してしまった世界(ストーンワールド)。石化から数千年後に目覚めた天才高校生・石神千空が、仲間と共に科学の力を使って文明を復活させ、石化の謎に迫っていくというストーリーだ。

 

文明がリセットされた世界には、当然の事ながら電気やスマホ、病院、車などのインフラは存在しない。主人公の千空は頭にたたき込んできた科学の知識を使い、火薬や鉄、ラーメン、発電機などを次々に発明していく。

 

現実世界では、我々が今や日常的に使用していて生活に不可欠でまるでこの世を支配しているかのような電気というエネルギーが、トーマス・エジソンによって実用化されてからまだたったの150年くらいしか経ってないというのは驚きだ。

 

電気の無い世界がどんなものかを想像することは困難だが、2017年公開のコメディ映画『サバイバルファミリー』を観れば突如として電気が使えなくなった場合に我々が経験するであろう不便を知ることができるだろう。

 

 

電気のない世界を描いた『サバイバルファミリー』で大活躍する自転車という超アナログな乗り物ですら、実用化も原型であるドライジーネの発明から200年ほど、チェーン駆動による実用的な自転車の開発から140年ほどしか経っていない。

 

電気の実用化とほぼ時を同じくして、電話機という画期的な通信手段が実用化された。

1882年には、エジソン電気照明会社(ゼネラル・エレクトリック(略称: GE)社の前身)が創設されている。

それまでは手紙しか通信手段がなかった世界に有線による電話という超絶便利な遠隔通信手段が爆誕してから150年近くかかって携帯電話というものが世界中に普及したことになる。

 

少し驚きではあるが、それより前の1801年にイギリスのリチャード・トレビシックが蒸気自動車を製作し、1804年には蒸気機関車を発明している。

電気よりも前に移動手段として馬に変わる蒸気機関が誕生していたということは興味深い。

 

人間にとって、移動手段は蒸気、エンジンなど動力のない時代には陸上では馬、水上では手こぎや帆船くらいしかなかった。高速移動手段の発明は、後に電気と通信の発明によって、人類のコミュニケーションネットワークがめざましい進歩を遂げるまでは、人類の進歩の基幹となる技術開発だったと言えよう。

 

通信は、電話のない時代には手紙しかなかったわけだから、電気の発明と共に出現した電話という道具は、人類の遠隔コミュニケーションを移動手段に依存せずに格段に進歩させた。

 

蒸気で動く自動車の発明は、案外古く、1769年。日本はまだ江戸時代。ヨーロッパでは馬車が人や荷物を運ぶ主な道具であった時代に、フランスで、ニコラ・ジョセフ・キュニョーにより、蒸気で走る自動車が発明されたとされている。

 

現在、主流となっているガソリンエンジン駆動の自動車が誕生するのは、1885~1886年。

日本は明治時代になっている。
 

蒸気自動車、電気自動車が混在していたころに、ドイツ人のゴットリープ・ダイムラーは4ストロークエンジンを開発し、1885年に木製の二輪車にエンジンを載せて試走に成功、翌1886年に四輪車を開発している。同じ1886年、同じくドイツ人のカール・ベンツがガソリンエンジンの三輪車を完成させて実際に販売した。

 

このように、今からおよそ150年くらい前、19世紀の後半に、多くの科学技術は開花し実用化された。

特に、電気の発明は我々人類の生活を大きく変化させたと言える。

 

ちなみに、ノーベル賞で有名なアルフレッド・ノーベルが、ニトログリセリンからダイナマイトを発明したのもこの時期だ。

 

飛行機による有人初飛行が実現するまでは、まだ数十年の年月が必要で、1903年12月17日にアメリカのライト兄弟が飛行機(動力を備えた重航空機)「ライトフライヤー号」による世界初の本格的な有人飛行を行った。

 

この19世紀末から怒濤のように発展を遂げた今に引き継がれる科学技術は、20世紀に入り遂に人間が空を飛ぶに至り、残念な事にその後世界を巻き込む戦争にその技術は惜しみなく投下されることになった。

 

特に飛行機は開発されてすぐに第一次世界大戦に投入され、戦中に大きく発展し、信頼性も向上した。そして戦後には飛行機による本格的な輸送が開始され、旅客機としての利用も始まった。

 

 

【電気の実用化】

 

今日の電化生活の基礎を築いた人物は、発明王トーマス・アルバ・エジソン(1847年~1931年)だろう。

生涯を通しての発明品は、なんと約1300点もあり、特に有名なものとしては、以下のようなものがある。

 

・1877年:音を記録・再生する「蓄音機(フォノグラフ)」を発明。

・1879年:木綿糸を炭化させた「カーボンフィラメント」を用いた電球を約40時間、連続点灯させる。

・1880年:竹フィラメントによる、白熱電球の長寿命化(600時間にまで延長)に成功。

 ※ちなみに世界の竹を調査して選ばれたのは、京都八幡村の竹だったそうな。

・1889年:のぞき眼鏡式映写機「キネトスコープ」誕生。これはスクリーン上に映写するのではなく、箱の中を覗いて観る仕組みで、基本的には一人ずつしか鑑賞できなかった。なお、上映した動画も、エジソンが作った「キネトグラフ」によって撮影された。

 

また、電話機の実用化(距離が離れると音が不明瞭になる電話を、長距離通話可能にした)、発送配電機器、配電方式の設計を行い、1882年には、エジソン電気照明会社(ゼネラル・エレクトリック(略称: GE)社の前身)を創設、さらに世界最初の大規模な中央発電所(パール・ストリート・ステーション)を開設。同じ年の9月4日、初の送電が実施された。

当初、給電された電灯の数は400個ほど。それがわずか1年後には、10000個を超えるまでに急成長した。

 

【自転車の発明】

 

1813年、ドイツのカール・フォン・ドライス男爵が“ドライジーネ”と呼ばれた木製のベロシフェールにハンドルを取り付け、走りながら曲げられる足蹴り式の二輪車を発明した。

現在ではこれが自転車の発明とされている。

当時の記録として、ドライジーネは37kmを2時間30分で走ったそうで、これは時速15km/hに相当する。
イギリスのリチャード・トレビシックは1801年に蒸気自動車を製作し、1804年には蒸気機関車を発明しており、驚くことに自転車はそれより後に開発された乗り物ということになる。

 

車輪の発明は、紀元前3500年頃のメソポタミア文明に溯るが、二輪でバランスを取って走る乗り物が生まれるまでにそれから5000年もの年月を要した。

「ジャイロ効果」というものに人間が気付くのに車輪の発明から5000年もかかったということだ。

 

舗装されていない荒れ地を快適に車輪で走るためにはゴムタイヤの発明を待たなければならない。

実用ゴムタイヤの発明は、1939年C.グッドイヤーが天然ゴムと硫黄を反応させて優れた強度と摩耗性を持つ材料を発見し、その後空気入りタイヤに発展する。


【自転車の実用化】

 

1879年にイギリスのローソンが前ギアと後ギアをチェーンで結ぶ駆動方式を発明。この方式を利用して1885年にジェームス・スタンレーの甥のジョン・ケンブ・スタンレーが“ローバー型安全自転車”を発売し“セーフティバイシクル”と呼ばれこれが現在の自転車の原型となった。
オーディナリーとセーフティは優劣を競い合ったが、安全性、スピード、走行性能などいずれの面でオーディナリーは劣りやがて消滅した。
ちなみに、“BICYCLE”の語が商品名として登録されたのは1869年で、この頃から自転車をバイシクルと呼ぶようになったと考えられている。バイシクルは普通名詞ではなく誰かが作った造語で、2個の回転部分を意味していると思われる。

 

【電話の発明】

 

1861年、ライスはフランスのシャルル・ブルサールが雑誌に発表した「音声の電送」という発想を引き継いで研究を進めたが、その発明が日の目を見ることはなかった。

1871年になると、イタリアのアントニオ・メウッチが、重病の妻との会話を目的に電話を発明する。ところが、経営していた会社が倒産し、資金難に陥ったことから、電話機の特許申請料を払えないという悲運に見舞われた。さらに、それから5年後の1876年1月、あのトーマス・エジソンも電話機の特許を取得しようとするが、書類の不備が原因で、こちらも特許を取得できなかった。

電話の発明者とされるグラハム・ベルが、アメリカの特許庁に特許を出願したのは、エジソンが書類不備となった1ヵ月後の1876年2月14日。ベルに遅れること2時間、電話のもととなる機器を発明したイライシャ・グレイも特許を出願したが、アメリカの制度では先に特許を出願したものを優先するため、電話機の特許はベルのものになった。
 

【ダイナマイトの発明】

 

1846年に発見されたニトログリセリンは、鋭敏な爆発物で爆薬としての実用は困難であった。

実用できる爆発物には、多少の衝撃に反応せず、経時劣化を起こしたり化学変化を起こしたりしない安定性が必要とされた。

アルフレッド・ノーベルは1866年にニトログリセリンを珪藻土にしみ込ませ安全化し、さらに雷管(パーカッション)を発明して爆発のコントロールに成功した。

1875年にはニトログリセリンと、同様に爆薬である低硝化綿薬(弱綿薬)を混合してゲル状とし、珪藻土を用いたときと同様に安定化するのに成功した。

これはゼリグナイト(ブラスチングゼラチン)と呼ばれる発明品であり、不活性物質である珪藻土の使用をやめ、爆薬の威力を高めるものであった。彼はこれらの製品を事業化し、多大な利益を得た。ダイナマイトという名前は「力」を意味するギリシャ語δύναμις(dunamis)に由来する。

 

【自動車の誕生】

 

自動車が誕生したのは1769年。日本はまだ江戸時代にあたる。
ヨーロッパでは馬車が人や荷物を運ぶ主な道具であった時代に、フランスで、ニコラ・ジョセフ・キュニョーにより、蒸気で走る自動車が発明された。この初めての自動車 は、軍隊で使われる大砲運搬のために造られた重くて大きな車体で、スピードは10km/h以下だったといわれている。

 

電気自動車の歴史は、ガソリンエンジン車より古い。

電池は1777年、モーターは1823年に発明されており、1873年にイギリスで電気式四輪トラックが実用化されている。史上初の時速100㎞超えを達成したのは、なんと電気自動車だった。1899年にジャメ・コンタント号が時速105.9km/hを達成している。

 

現在、主流となっているガソリン自動車が誕生するのは、1885~1886年。日本は明治時代になっている。
蒸気自動車、電気自動車が混在していたころに、ドイツ人のゴッドリープ・ダイムラーは4ストロークエンジンを開発し、1885年に木製の二輪車にエンジンを載せて試走に成功、翌1886年に四輪車を開発している。同じ1886年、同じくドイツ人のカール・ベンツがガソリンエンジンの三輪車を完成させて実際に販売した。

 

19世紀に発展を遂げたこれらの技術はすべからく大戦に投入され、その中でさらなる進化を遂げた。

 

戦後は、その技術が戦争の為ではなく、人々の生活を豊かにする消費社会の発展に寄与し、我々の生活の中に電気やエンジンで動く自動車、旅客機などが当たり前のように存在する時代となったが、20万年に及ぶ人類の歴史の中で、たかが100年という一瞬に起こった変化に過ぎない。

 

その100年の間に、人類の生活レベルは科学の進歩と共に格段と向上し、人口は爆発的に増えた。

それと同時に、地球の環境や生態系は破壊され、人類以外の多くの生物が絶滅した。

 

さらにその後の100年は、コンピュータに代表されるデジタル技術の進歩によって大きく変わることとなるが、その変化も1990年からたった30年程度の間に起こった出来事である。

 

そして、その僅か30年間に起こったデジタル化が我々の生活の質を向上させたのかどうか?

今一度振り返って精査してみる必要がありそうだ。