スティーブンキングの「MIST」に見る”見えないもの”の恐怖 | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

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香港を拠点に活動する個人投資家であり、自称「投資戦略予報士」Mr.Gがお伝えする海外投資の生情報。
ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん!

我々人類は、現在新型コロナウイルスという目に見えない敵の恐怖にさらされている。

 

9年前の東日本大震災の時に経験した、原子力発電所の事故による放射能の恐怖と同じく、人間は見えないものの脅威に弱い。

 

多くの賢明な方が、あまり出歩かずに家に引きこもって映画を観たりゲームをしたりして暇を潰していることだろうが、かくいう私も某アマゾンとヤフオクにハマってしまっている。

 

某アマゾンプライムでは、タイムリーな映画が無料で観れるように絶妙な選択がなされており、たとえばクラッシックだが、ウイルスで世界が滅ぶ小松左京先生の「復活の日」や、スティーブンキングの「MIST」などいま観ると考えることが多い。

 

アニメだが、人気の「鬼滅の刃」など、26話までプライムで無料視聴できるのだが、主人公が人食う鬼と戦い、鬼に噛まれて鬼になってしまった妹を守るストーリーも、見方によっては見えない強大な敵と人類が戦う話と言えなくもない。

私が感じた「鬼滅の刃」の本質的魅力は、キャラのアニメ的魅力や映像の素晴らしさはさておき、退治される鬼という化け物が、元は人間だったと言う悲しさだろう。

鬼滅についてはまた改めて書きたいと思う。

 

ここでは、「MIST」について語りたい。

 

ウィキから引用させて頂くと、この「ミスト」(The Mist)はスティーブンキングの小説「霧」を原作とした、2007年の米SFホラー映画であり、監督・脚本は過去にキング原作の「ショーシャンクの空に」や「グリーマイル」といった名作を手がけたフランクタボランである。

 

MIST=霧という題名にあるとおり、深い霧に包まれた街で巻き起こる怪異と徐々に秩序を失う人々が描かれている。

 

この映画が公開された翌年2008年には、皮肉にも米サブプライムショックに端を発する「世界同時恐慌」に見舞われており、世界は霧の立ちこめて出口の見えない金融危機という化け物と対峙することとなる。

 

今回の、中国武漢で発生したと見られる新型コロナウイルスの世界への拡散によって引き起こされているいわゆる「コロナショック」に端を発する経済危機も、まだ出口がどこにあるのが全く読めない霧の中である。

 

この「MIST」を観て考えて欲しいことは、我々が今まさに映画の中の登場人物のようにいつ晴れるともしれない霧の中で、正体のはっきりしない恐ろしい化け物と対峙しているということだ。

 

この映画「MIST」の中では、そういった極限状態のなかで人間がどのような状態になっていくかが皮肉によく描かれている。

 

最も勇敢に最初に霧の中をリスクを背負って逃げ出そうとする人。

リスクの大きさを示し、リスクを取らず慎重に行動する事を主張する人。

化け物の存在を否定する人。

自分だけが助かろうとする人。

自分を犠牲にしても多くの人を助けようとする人。

宗教的な暗示にかかる人。

最後の最後にどうしようもなくなって逃げようとする人。

最後まで頑なに逃げない人。

 

「見えない恐怖」とは、視覚的な情報が遮断されていて何が起こっているのか分からないのに生命の危機に直面している状況と言って良いだろうが、この映画のMIST=霧が示唆するところは、視覚に留まらず情報そのものが無いなり、錯綜して、正しい情報が得られない状況のことだと考えられる。

 

人間という生き物は、目に見えない(正体のわからない)恐怖に対してこれほどにも弱いということをしっかり認識した上で、もし全てが見えていないのでなければ、見えている正しい情報を少しづつ認識してそれを元に判断をすべきだろう。

 

危機に直面していることは事実だとして、その原因や正体や、対策が全くわからない状況において、危機を脱するためにすぐさま判断して行動しなければならないとすれば、ぼぼ運頼みになってしまう。

 

特にこの映画が示唆している化け物とは、新型コロナウイルスに例えられなくもないし、それをきっかけに起こりうる金融危機とも言えなくはない。

 

我々は、いったいこの「コロナショック」という霧に隠された危機について、今現在どこまでの正しい情報を知っていて、何が見えていないのだろうか?それすらはっきりしないのが怖い。

 

この映画のなかで、最後にどういった行動を取った人が生き残ったかは、皮肉ではあるがひとつの回答には違いない。

 

一番大切なことは、どんな状況になろうとも、最後の一瞬まで絶望しないことなのかもしれない。