大切な人はいますか? | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

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50代グダグダちょい悪おやじMr.Gの趣味と海外投資に関するコラムです。
香港を拠点に活動する個人投資家であり、自称「投資戦略予報士」Mr.Gがお伝えする海外投資の生情報。
ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん!

 

 

「大切な人はいますか?」

 

1983年に放映された山田太一さんの「ふぞろいの林檎たち」に出てきそうなタイトルですが、実際にあったその雰囲気のタイトルは2話目の「恋人はいますか?」です。

 

大切な人とは?

 

自分自身を認めて大切に思える人にとって大切な人とは、具体的には以下のように自分の大切さを基準にした大切さがあるのではないでしょうか?

 

自分以上に大切な人

自分と同じくらいに大切な人

自分の次に大切な人

 

自分と比較して、他人が自分と同じかそれ以上に大切に思えるということは素敵なことです。

 

しかし、実際には「いちばん大切な人は誰?」という問いに対して、なにものにも代え難く、心の底から本当にいちばん大切と思える人がぱっと思い浮かぶひとはどれくらいいるのでしょうか?

 

夫や妻、彼氏や彼女、子供や親といった選択肢は一般的です。

 

これは恋愛や婚姻関係、親子の絆(血縁関係)といったものが、自分と他人との関係を評価しやすい一般的な指標だからだと思います。

 

母親にとって子供が自分以上に大切な存在であるというのはよくあることですが、これは母性といういう本能に起因するものだと思います。

 

結婚している人が、自分の結婚相手より大切な異性がいることを公言するのは倫理的ではないので公言するひとはあまりいないでしょうが、現実には家族以外に大切な人が居ることも多いのではないでしょうか?

 

大切な人を持つことは尊いことだと思うのですが、大切な人を持つことは容易ではありません。

 

それは大切な人が見つからないのではなく、自分の大切さが見えていないからかもしれません。

 

やや打算的な見方と感じるかもしれませんが、自分にとって大切な人は、自分のことを大切に思ってくれているひとと考えて相違有りません。

 

血縁もなく、夫婦でもないのに自分のことを自分のことのように大切に思ってくれる人がいたとしたら、それは間違いなく運命的にあなたにとって大切な人でしょう。

 

しかし、自分の大切さが見えていなければ、その自分のことを大切に思ってくれている大切な人の大切さも見えてきません。

 

自分がこの世に生まれてきた大切さを、生きているうちに見いだせる人はどれくらいいるのでしょう?

 

それを感じさせてくれるのも、大切な人なのかもしれません。

 

有能な人ほど、他人からは理解されず、プライドも高いので迎合して歩み寄ろうともしません。

 

他人から大切にされることを鬱陶しく感じたりするのかもしれません。

 

そういう人にとって、孤独は辛いものではないのかもしれませんが、私にとっては辛いものです。

 

既に大切な人が周りにいるにも関わらず、それに気付かなかったり、受け入れることができなかったりするのは不幸なことだと思います。

 

また、建前ではなく本当に大切な人が仮に見つかったとしても、その大切な人を大切にすることは難しく、また大切な人ほど失いやすいということも知っておいて欲しいと思います。

 

だから、もしあなたに本当に大切な人をみつけることができたなら、一生懸命そのひとを大切にしてあげて下さい。