どうやら2年前にも同じような事を言っている。
よくよく思い出すと、この10年くらい同じ事を言い続けているような気がする。
見方を変えれば、10年前から私だけでなく日本の国家破綻の可能性に警鐘を鳴らす人はいたわけだが、円の暴落やハイパーインフレ、国債の破綻など、幸いにもこの10年起こらなかったということだ。
10年前から、日本国債が破綻するという人と、破綻しないという人の議論はあったが、今のところ破綻しないと言っていたひとの論理が勝っていたかのように思えなくもない。
しかし、本当にそうなのだろうか?
私を含め、日本人のだれも日本の財政が破綻することなど願ってはいない。
日本円というものの価値が半永久的に世界でも最も安定したものであることを願っている。
ただ、残念ながら一国の通貨が半永久的な価値を持ち続けるなど幻想に過ぎない。
日本国内のマイナンバーや、CRSなど国際的な税の徴収漏れを防ぐネットワークが如何に普及しようとも、それは国家単位の財政上の問題であり、個人はしぶとく自分たちの資産をどのように守っていけるかを考えないわけにはいかない。
ちょうど10年くらい前に、あるひとと10年後に日本の財政が破綻するかどうかで口論になって、1,000万円賭けようという話になったのを思い出したが、今年元号が変わり、来年の東京オリンピックが無事におわってまだ何ともなければ、1,000万円を払わなければならないところだ。
しかし、これも見方を変えれば、既に数字上日本の財政は破綻しており、ただ赤字でも国債を発行し続ける事で架空の数字に支えられて崩壊はしていないというのが現実かもしれない。
実質的に破綻していても、外見上取り繕われて完全に崩壊しなければ良しとする考えは、愛情は既に冷え切っており関係は崩壊しているにも関わらず体裁上離婚しない「仮面夫婦」と似ている。
実質上夫婦関係が破綻しているにも関わらず「仮面夫婦」を続けて行くことは苦痛であり、幸せな結末を迎えられるとは思えない。
日本経済にとって大切なことは、国民がその実態と実質的な財政状況を認識した上で、どう生きて行くかを個々に判断していくことなのではないかと思う。
国は国としてひとつの生き物として形を保って生きて行かなければならず、国民は国家の単なる部品ではなく、ひとつの生命体として生き延びて行くために必死で努力をしなければならないことは間違いないだろう。