うる星やつら2ビューティフルドリーマー | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

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香港を拠点に活動する個人投資家であり、自称「投資戦略予報士」Mr.Gがお伝えする海外投資の生情報。
ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん!

久々にアニメネタです。

「うる星やつら」という高橋留美子先生の漫画を知らない人はあまりいないと思うが、1984年に公開された劇場版「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」を見ていない人は多いのではないだろうか?

 

なぜかこの前の週末に、アマゾンプライムで無料閲覧可能な映画をサーフィンしているうちに、不思議な巡り合わせで35年ぶりにこのアニメを観ることになった。

 

この劇場版アニメが、「ルパン三世カリオストロの城」に匹敵するような名作であったような記憶はあったが、実はあの攻殻機動隊の押井守監督作品だったと知り驚愕。

 

35年という月日を経ても衰えない面白さがある。

なんと言っても作り込みが細かくマニアックだ。

BGMも良いし、原作のラブコメ的世界観を崩さずにミステリー調の深みを持たせ、さらにラムちゃんの純真無垢なあたるやその仲間に対する愛が心に響く素晴らしい作品と言える。

 

さて、問題はこの直前に観ていた映画、トムクルーズ主演の「バニラスカイ」だ。

先日テレビで深夜にやっていたのを観ながら寝てしまったので、もう一度観ようと思って、また途中で寝てしまい、3度目に続きを見始めたが、また寝てしまい4度目でやっと完結した。

 

2001年公開のキャメロンクロウ監督作品でキャメロンディアス、ペネロペクルスも共演。

3度も観ながら寝てしまったのは作品がちょっとわかりにくい単調な展開だったのもあるが、興味深いことに夢を題材とした作品だったことだ・・・。

キャッチコピーは「あなたが想うあなた自身は幻に過ぎない…

映画の中でもイケメンでモテモテのトムクルーズは、自分のアイデンティティーとも言えるイケメンの顔を失って自分をも失ってしまう・・・。

 

オチ的には、冷凍保存された人間がプログラムによって幸せな夢を見続けるというSF的なものだが、最後に主人公が夢の中に留まり続けるか現実の世界に戻るかの決断をする場面は、後で偶然観ることになる「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」の最後にあたるが迫られた決断の場面と非常に似ている。

 

「バニラスカイ」は1997年のスペイン映画「オープンユアアイズ」のリメイク作品だが、1984年のビューティフルドリーマーの方がまだ10年以上古いことを考えると、ぱくったのかと思えるほど酷似している部分があり気持ち悪い。

 

ちなみにヒロイン役のペネロペクルスは猟奇的な印象を与えるキャメロンディアスとは対照的にむっちゃカワイイ。

 

このバニラスカイとビューティフルドリーマーが何となく似ているということに気付いている人は少ないのではないだろうか?

 

さて、この「バニラスカイ」からの「ビューティフルドリーマー」は奇跡的な繋がりで観たのだが、じつはその前にTVシリーズの「うる星やつら」第1話が無料だったので偶然観たのがきっかけとなった。

 

1978年から少年サンデーに掲載された40年前のストーリーだけに、さすがにTV版第1話の記憶は全く無く、なぜラムちゃんが何しに地球に来たのか?も観るまで思い出せなかった。

人間の記憶とは曖昧なものだ。

 

それから懐かしく思い、かつて観て面白かった記憶のある劇場版ビューティフルドリーマーを探して見始めたのだが、「バニラスカイ」→「うる星やつら」TV版第1話→劇場版「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」というこの順番で見なければ気付かないいくつかのことの恐るべき偶然の連続性に驚いた。

 

「バニラスカイ」も「ビューティフルドリーマー」も誰かにとって「幸せな夢」を実現するということがどういうことなのか?という共通のモチーフを持っているが、誰かにとって「幸せな夢」というのは誰かにとっては幸せでない、もしくは望まないものが存在すらしない歪な世界でもある。

 

「バニラスカイ」では冷凍保存と夢をパッケージで販売するLE社のサービスエージェントが夢を司り、「ビューティフルドリーマー」では無邪鬼という妖怪が人の夢を具現化する。

これはバニラスカイに出てくるLE社のエージェント(たぶん実在しない)

LE社の提供している夢のバグを解決するサービスエージェント。

主人公のデービッドに目覚めて現実に戻るか、夢の中に居続けるかの決断を迫る。

 

ビューティフルドリーマーの無邪鬼(むじゃき)

ラムの夢を具現化する妖怪。大阪弁で話す(声優は藤岡琢也)。

 

人類の長い歴史の中で多くの人(アドルフ・ヒトラー、ゴーダマ・シッダールタなど)に夢を見せてきたという彼は、人間の願いで作られた夢を人間自身が暴走させることに疲れてしまい、引退しようと考えていた時、水族館に一人で佇むラムと出会う。そして、そこで彼女の一点の穢れもない夢を聞き、その完成を最後の大仕事として実現させようと決める。

 

 

本来ヒトの思い描く「幸せな夢」はシンプルなものなのかもしれないが、それが第三者によって具現化されるとき、それはある種のバグを生み出して、場合によっては邪悪なものに転じてしまう。

 

そして、どちらの主人公も最終的には現実の世界を選択する訳だが、それは所詮ヒトが夢の世界では生きていけないということなのかもしれない。

 

無邪鬼が諸星あたるに見せたいくつかの悪夢のシーンの中に、あたるが地球の命運をかけたラムとの鬼ごっこで、ラムの角をつまみ損ねるというのが一瞬出てくるが、それがTV版の第1話を観ていなければあのあたるとラムが最初に出会った大切なシーンだとは思い出せなかっただろう。

 

偶然によって良いことも悪いことも繋がっていく現実の世界とは異なり、夢の世界では何度でもやり直しがきく。

 

しかし、何度やり直しをしてもそれが最良の結果になるとは限らないのが現実の世界であり、夢の中に生きている限りは最良の結果を追い求めてそれを繰り返す無限ループに囚われる。

 

それはそれで人間には耐えられない事なのかもしれない。

 

偶然の連チャン映画鑑賞が教えてくれた、偶然の現実的必然性とでも言っておこうか。