「憲法9条を改正したほうが戦争が防げる」という漫画が話題になっているという記事を見つけた。
http://netgeek.biz/archives/105253
他国からの侵略を防ぐためには憲法で認められた正式な軍隊と軍備が必要で、改憲が必ずしも戦争を助長しないという点をわかりやすく説明しているということで注目されているとのことだ。
漫画でこのような説明をされると、ほーそうだなぁーと妙に納得してしまいそうだが、冷静によく考えてみると、なにかおかしいし、とても危険な思想が根底にはあることが否めない。
我々日本人は、世界では今現在でも起こっている侵略や武力衝突、テロといった、いわゆる有事にほぼ無関係、無関心なまま平和な生活を送ってきた。
戦後日本経済の復興に貢献した朝鮮戦争が1950年、ベトナム戦争に米国が軍事介入したのが1965年、
もう少しで核戦争の発端となり得た1962年のキューバ危機をピークとする米ソの対立、1987年のイランイラク戦争に米軍介入、1991年対イラク湾岸戦争・・・2001年の同時多発テロ・・・・米国アフガニスタン侵攻、2003年イラク戦争・・・今も続くシリア内戦・・・など主要な戦争に我が国が戦後しかたなく同盟国となった米国はほぼ関与している。
そして、現在最も深刻な問題は、実は米中の冷戦かもしれない。
ロケットマンこと金正恩の北朝鮮と米国の対立は何かウソっぽいものを感じる。
上記の漫画を読んで気になるのは、中国と北朝鮮が明らかに日本を攻撃したり軍事的に侵略する可能性がある国であるというとらえ方だ。
可能性という点では、日本の自衛隊は明らかに中国と北朝鮮を仮想敵国と想定している。
かつてはソ連が仮想敵国であったように。
この部分は、多くの国民が今は知らないうちになんとなくそう感じているに違いない。
しかし、これも冷静に考えてみれば、かつてはソ連が仮想敵国だったのも、現在に於いて中国や北朝鮮が仮想敵国とされてるのも、米国にとってであり、日本はその軍事同盟国としてそれにならっているだけではないのか?
まず、仮想敵国のいいかげんな設定根拠に関する危険性。
隣国に限らず自国以外の全ての国が軍事的には仮想敵国化する可能性があり、ある意味そうなってしまったのが北朝鮮のなれの果てかもしれない。
軍備を持っていて、自国や同盟国を侵略、もしくは理由もなく攻撃したり危害を及ぼす可能性のある国は全て軍事的には仮想敵国となりうる。
そして、国の防衛や軍事行動、そもそも戦争の歴史という事に対する経験や知識が圧倒的に不足した日本人が、目の前に立ちはだかる具体的な脅威に怯えて、単純に右傾化しがちな部分を後押ししている点も極めて危険な表現である。
もし仮に中国だろうが北朝鮮だろうが、イスラム国だろうが、どこかの国が、軍事的な攻撃やテロ、軍事的侵略行為を日本に仕掛けてくる可能性があるとしよう。
もちろんその可能性はゼロではない。
その場合、日本国や国民が取れる行動は、以下の3つしかない。
1)戦う、もしくは防御する
2)逃げる
3)無抵抗なまま攻撃される(侵略される)
対抗しうる十分な軍備を備えて威嚇するという方法は、1)の戦う意志を見せることによって相手の戦意を挫くという防御に当たる。
威嚇するにしても、戦うにしても、防御するにしても、いずれにしても軍備は必要である。
そして、いずれの目的にせよ、軍備はより敵にとって脅威となるのが好ましい。
北朝鮮側にとって、脅威なのは日本ではなく、米国であり、彼らがミサイルを撃っている目的は米国に自分たちが侵略されることを恐れての威嚇とも考えられる。
つまり、見方を変えれば、米国が侵略者であり、北朝鮮はその圧倒的に戦力が異なる侵略者に向けて核ミサイルという軍備を持ち、威嚇をしているとも言える。
それは明らかに国際社会において許されないテロ行為ではあるが、我々が思っているように、あたまがどうかしている独裁者の金正恩が、単に自爆行為を行っているといわけでもないのかもしれない。
さて、件の漫画に話を戻すと、憲法9条の改正によって、自衛隊を正式な軍隊として認め、戦争放棄の概念を捨てる事によって、軍事的威嚇力が増すので、戦争は起こりにくくなるというような説明だが、この軍備による国防絶対論は、銃社会の米国が、合衆国憲法によって市民の武器の保有を認めているのと似ている。
理不尽な暴力から身を守るために武装するという概念は、日本人には今は無いと思える。
米国では、最近でもラスベガスでの乱射事件で過去の銃乱射事件の殺傷記録が更新されたのが記憶には新しいが、そういった一般市民に銃の所持を認める歴史的な銃社会の弊害に対する議論や規制が起こってはいるのの、未だ自分の身は自分で守るという思想が深く根付いている。
それと比較すると、日本人は国家に依存する度合いが高すぎる。
軍隊や警察だけが武器を持って市民を守る体制というものを、米国人の多くは信用していない。
国家権力が市民に銃を向けてきた歴史を知っているからだ。
漫画では、永世中立国スイスの民間防衛についても言及しているが、スイスの民間防衛の概念は、国民皆兵制度に基づいており、中立を守る自国が侵略の危機にさらされた場合には、全ての国民が銃を持って戦うというものである。
一家に一丁小銃が備え付けられていて、その使い方を民間人が訓練されている。
もし、日本という国が、憲法を改正して自衛隊を正式な軍隊化するかどうかに関わらず、外敵の武力に対して武力を持って戦うという方針に傾くのであれば、国民にはそれなりの覚悟が必要だ。
この漫画を読んで空恐ろしく感じたのは、今の日本が、そのような覚悟も自覚もないまま、平和憲法を改正し、自衛隊は、軍隊として認められ、攻撃されたときの自衛行為だけではなく、同盟国の援助名目で積極的な軍事行動が取れるようになり、国民が望むと望まないとに関わらず、同盟国である米国の意図に流されて有事に巻き込まれるような近未来が予見されるところだ。
全てのことが、何となく、知らない間に、なし崩し的に変わっていくということがいちばん恐ろしい。
いずれにしても、日本が軍事的な危機にさらされているという事は事実だ。
そしてその理由は、日本が平和憲法を保持しているからでも、自衛隊が専守防衛だからではない。
そして、日本の武装が足りてないからでもない。
中国と北朝鮮からの危機があるとすれば、それは日本が米国の同盟国であるからに過ぎない。
そして、いちばん深く考えなければならないのは、戦争が起こったときに誰がいちばん得をするのか?ということだ。