コミュ障が金儲けをするための最強ツールは自分の「作り込み」 | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

Mr.Gの気まぐれ投資コラム

50代グダグダちょい悪おやじMr.Gの趣味と海外投資に関するコラムです。
香港を拠点に活動する個人投資家であり、自称「投資戦略予報士」Mr.Gがお伝えする海外投資の生情報。
ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん!

 

「作り込み」とは別の言葉で「マーケティング」とも言えるし「プロデュース」とも言える。

 

また「作り込み」のは殆どの部分は、そもそも作り込まれているわけであるから、作り込まれたウソで成り立っている。

 

「作り込み」の原則は、“相手が望んでいること(情報)を提供する”というところにある。

 

“相手(大衆)が望んでいること(情報)であれば、別に事実でなくとも良い”というのが作り込みのポイントと言える。

 

まず、人々は一般的に他人の不幸を望んでいる。

 

それは、その情報によって相対的に自分がまだマシに見えるからかもしれない。

 

特に一見全てを手にしているかのような著名人の醜悪なスキャンダルや不幸は人々の興味をそそる。

 

また、人々は肩書きやブランドというものを容易に信用しやすい。

 

たとえ、ウソであっても、自分が話しを聞いて納得し、感動させられた相手が、相応の肩書きや会社やブランドを背負っていると安心する。

 

なので、肩書きや経歴というものは往々にして詐称される。

 

まだ記憶に新しい「ショーンK経歴詐称事件」はその典型的な例として挙げられるだろう。

 

ショーンK氏は、マスコミが作り込んだ(プロデュースした)都合の良いキャラクターだったに過ぎない。

 

正直、私はショーン氏のルックスや落ち着いた声や話し方、差し障りの無いコメントの内容が、わりと好きだったかもしれない。

 

何しろ男前だ。

 

たとえ本当の事であっても、聞く相手は必ずしもそのことを快く思わないばかりか、心証を害する恐れすらある。

 

つまり、一貫して正直に思ったことを話したり、ありのままの正直な自分を見せようという姿勢は、一見誠実な行為なように思えるが、その行為によって他人は必ずしも幸せに感じない事を考えると、実はそうでも無いかもしれない。

 

真実とはいつも残酷で不愉快なものだ。

 

 

マーケティングとは、みんなの聞きたい情報をたとえそれが真実からかけ離れていようとも、言葉巧みにいかにもそのことが常識であるかのように伝えることによって、大多数の消費者の興味を引くところから始まる。

 

これが、昔から使われている「常識というエサで大衆を釣る」という一般的な手法であり、そういう技術が存在し、それによって社会は動いているということを知っていた方が良いだろう。

 

経済の世界では、この常識をエサに大衆を釣る方法は非常に有効であり、漫画「インベスターズZ」においても高度経済成長期のマイホームブームを例にそのカラクリが取り上げられている。

 

当時は、マイホームローンで一戸建てを買っておけば、将来必ず値上がりし、誰もが幸せになれるというある種の幻想を常識として大衆に植え付けることで、マイホームブームをバネとした高度経済成長を当時の政府は見事に成功させたのだ。

 

 

ビジネスの世界で金銭的な成果を求めるのであれば、この作り込みの技術を学ぶ必要がある。

 

法人と言うよりは個人。 さらに最近特にありがちな「コミュ障」傾向のある若い人たちが、個人で金銭的な成功を収めるためにはこの「作り込み」の技術は不可欠だと言えよう。

 

ちなみに、世の中で若い起業家が食い物にされる、いわゆる「起業家セミナー」的なもので語られるSNSで自分を如何によく見せるか?的な技術は、その「作り込み」の基礎を教えるているようにも思えるが、ここでわたしが言う「作り込み」の技術というのものは、見せ方の技術だけで解決するものではない。

 

そもそもその「起業家セミナー」そのものが講師の自らの作り込みによって集客されている訳なので、そのイリュージョンのカラクリを教えてしまうというところに矛盾があるのに気付くべきだ。

 

少なくとも作り込まれた講師から学べる作り込みの技術で、その講師以上のカネは稼げないだろう。

 

人に教えを請うまでもなく、だれでも自分を作り込むことは可能だ。

 

自分という人間が、生きてこの世に存在している限り、他人が自分に期待し、求めている何かは必ず存在する。

 

その意味を持たない人を神は決して生かしていてはくれない。

 

その、求められる何かに真剣に向き合ったときに、自分をどのように作り込むべきかはわかるはずだ。

 

経歴を詐称したり、ウソをつくことを何でもかんでも推奨するわけではないが、たとえば、恋愛の世界で自分の好きな人が自分のことをより好きになってくれるように、たとえ真実の自分とは異なるとしても、相手の望む自分を演出し、相手の望むものを提供しようとするような行為を考えたときに、程度にもよるだろうが尊い自然な行為として認められるだろう。

 

これは、恋愛といった感情がベースにあるから許されるものなのだろうか?

恋愛が上手くいくためには、お互いの「作り込み」努力は重要だ。

誰もが本当の自分を愛して欲しいと願ってはいるが、相手の生々しい本当の姿を愛することは容易ではない。

 

たとえば、「投資」や「世界経済のカラクリ」やお金の事を教えるセミナーの講師が、たとえ金融機関に勤める専門家でその話しの内容が非常にまともであったとしても、普通のサラリーマンが講師ではではインパクトはさほど無い。

 

やはり、「ユダヤ人富豪」「アラブ人富豪」「インド人富豪」といったバカでもわかるようなキーワードがほしいところだ。

 

「サラリーマン」だとしても、副業や投資で何億も稼いでいる「スーパーサラリーマン」でなければダメだろう。

 

「3年で10億稼いだスーパーサラリーマンが教える究極の投資術」なんていうのはいい。

 

「アラブ人富豪と結婚した普通のOLが教えるお金のカラクリ」なんてのはどうだろう?

 

いわゆる、よくある啓発本の題名のようなものだ。

 

かつては、「銀座のママが教える・・・」といった海外投資本も存在したが、当時はわたしも興味を持ったものだ。

 

もちろん、そういうものに食いつくときには、その殆どが「作り込み」されたものであると理解した上で、読むひとは読んだ方がいいだろう。

 

恋愛と違って、ビジネスでのこういった「作り込み」は、度を超すと「詐欺」と言われル可能性がある。

 

恋愛でも、草食っぽくみえて実はそうでない「草食詐欺」とか、既婚なのに結婚相談所に登録して女を騙す「結婚詐欺」というのもあるが、個人の作り込みや盛り方は、あまり度を超した作り込みによって他人の金銭的利害に関わると詐欺なりやすいと考えられる。

 

投資業界でよくあるのは、金持ちの成功者に見えて実はそうでもないというケースだ。

 

儲かる投資話をする人が、みすぼらしい貧乏そうな人ではだれも話しを聞いてくれない。

 

なので、金融の世界の常識は「見た目と肩書き」で成り立っている。

 

そして、その作り込みは巧妙を極め、殆どのひとがそのウソを見破ることはできない。

 

これから金融の世界で生きていきたいと願う若者達は、金融の知識や運用の技術を真面目に勉強するより先に、自分の作り込みの技術を学ぶ必要がある。

 

金融や投資や保険の業界で生きている人たちの大半は、金融商品や保険商品を販売して得られる手数料で生きており、運用で生きているわけではない。

 

世の中で純粋に運用だけで生きている人たちはほんの僅かしか居ない。

 

金融はカネになるが、それは、自分のカネになる金融商品を多くの純粋な素人に販売することによってのみ得られるカネであって、その世界で生きていき成功を収めるためには、相当高度な作り込みが必要とされる。

 

そして、悲しいかな、顧客のメリットが如何に少なくとも、それが合法的な商品であれば、自分の手にする手数料がより大きいものを売ることになる。

 

作り込み技術とそのカラクリを熟知していれば、結果的に投資商品や保険を営業マンに勧められて購入することはまず無い。

 

探して探して世界の隅々まで探して、その中で最もよいと思われるものを買いに行くしかない。

 

メディアも営業マンもどんな業界でも一般的に使われる「作り込み」の技術は、悪とは言い切れない。

 

自分がそこから何かメリットを享受する側であれば、間違いなく必要なものだからだ。

 

ただ、それは作り込みによって惑わされ、搾取される側の、末端の大衆からすれば、何のメリットもないばかりか、殆どの場合は損をさせられることになる。

 

最近のひとたちは、ボランティア活動など社会貢献に興味を持つ人たちが多いように感じるが、社会貢献とは、持っていない人たちに自分の持っているものから与える事であり、作り込みによって搾取されるのは与えているのではなく、奪われているのだと知るべきだろう。

 

しかしながら、その事実を認識した上で「奪われたくないから何も信じない」「奪いたくないから作り込まない」という方針を堅くなに貫いていては、お金を稼ぐこともできず、夢であるところの社会貢献として与えることすらできない。

 

より多く与える為には、より多くを奪わなければならない。

 

お金というものは、勝手に子供を産んで増えたりはしない。

 

ここに結論として、究極の投資術の奥義が隠されている。

 

もしお金を増やしたければ、

 

自分は作り込んで惜しみなく奪い、作り込まれた奴からは何も買わない。

 

世の中には作り込まれていないひとの方が、作り込まれたひとよりも遙かに多く、100倍も1,000倍も居るだろうと考えられる。

 

わざわざ大衆が一般的な常識に従ってフォローしてしまいがちな作り込みに同じように同調するのではなく、冷静に作り込みのない人間や情報を探せば必ずそれは見つかる筈だ。

 

そして、自分は黙々と自分の人生のゴールに一番近い何かに到達できるよう、日々作り込みに励むことだ。

 

悲しいことだが、「作り込み」は悪いことではないと思う。

 

生きていく上で必要なだれも教えてくれない技術だからだ。

 

特にコミュ障系の我々にとっては、それしか生き延びる手立てがないのかもしれない・・・。