魂のありか | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

Mr.Gの気まぐれ投資コラム

50代グダグダちょい悪おやじMr.Gの趣味と海外投資に関するコラムです。
香港を拠点に活動する個人投資家であり、自称「投資戦略予報士」Mr.Gがお伝えする海外投資の生情報。
ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん!


自分は感情的な人間だと思う。

よく興奮して怒るし、辛かったり、悲しかったり、悔しかったりして涙するし、馬鹿みたいに笑ったりもする。
そして答えもないのに悩んだり、行き詰まったり、落ち込んだりする。

ありがちな人の裏切りに怒りを覚えながらも、知らず知らずのうちに自分自身が平気で人裏切ったり、傷つけたりしてしまう。

愛するひとたちを幸せにしたいと願いながら、それが思うように叶わなず苛立つ。

心に誓ったことや夢を簡単にあきらめてしまうような優柔不断さ。

そのくせ、そういった自分を棚に上げて他人には偉そうなことを言う。

自分の都合で平気でうそをつき人を欺く。

どうしようもない人間だが、相田みつを的に言えば、「人間だから」の一言で終わってしまう陳腐な話だ。

そう、人類は多かれ少なかれそんなもんだ。

人類ほど愚かで感情的な生物は、地球上には人類しか居ない。

その愚かで感情的な人類という地球上の知的生物の存在価値というのは、いったい誰のためにあるのだろうか?

地球上のほかの生物の生体系を考えると、おそらく人類の存在価値は同じ人類の為にあるものではない。

ウオシャウスキー姉弟監督のSF映画「ジュピター」では、全宇宙の支配者(宇宙人?)によって10万年前から栽培され、人口の爆発とともに〝収穫”される予定だったのが人類という設定になっている。

宇宙の支配者にとって、いかなる高度な科学技術を以てしても最終的に手に入れることが困難であったのは、〝時間”= 永遠の命だったのだ。

そして、人類はその永遠の命を得るために栽培され、いずれはその命の材料として収穫される運命にある生物だったというわけだ。

そのためには、宇宙の支配者たる高度な知的生物と同様のDNA構造を持った生物が必要であったというのは理解できる。

〝命”という重いテーマを扱った松本零士先生の名作「銀河鉄道999」でも、機会人間が人間から魂を取り出してエネルギーとして飲むというストーリーがあったが、機会人間ですら永遠の命を得るために人間の魂が必要だったというのは興味深い。

機会の体と永遠の命を手に入れるためにメーテルと旅をつづけた鉄郎は、最終的にそれを拒絶し、限りあるからこそ価値のある「限りある命」を選択する。

メーテルが宇宙の支配使者「プロメシューム」の娘であり、機会帝国側の人間としてプロメシュームによって遣わされた使者であったというところも、映画「ジュピター」の設定と被る。

映画「マトリックス」においては、人間は機会が支配する世界において単なる電池として取り扱われ、その魂=思念は電脳の仮想世界をさまよい続けているといった世界観だった。

マトリックスでは明らかに「攻殻機動隊」が参考になったと考えられるが、今から考えると「銀河鉄道999」的な要素も多分に見られる。

さて、人間に魂(たましい)はいったいどこに宿っているのだろう?

マトリックス的に言えば、人間の魂は単なるデータとプログラムだ。

確かに人間の思考や判断はある種のプログラムであり、記憶はデータなすぎないし、肉体や感覚を制御する機能はOSのようなものだ。

人間は死んでしまうと、その魂と呼ばれるプログラム的なものは肉体と共に滅び消え去ってしまう。

しかし、愚かな人間は、はるか昔からそれを認めたくなかったのだろう。

輪廻や転生、霊魂という目に見えないものの存在、それらは人間が自分や誰か愛する人の思念が肉体と共に滅びず永遠に生き続けることを願った結果生み出されたものに違いない。

個人的にはあってほしいと思う。

AI(人工知能)の開発が盛んだが、AIの開発にとって最大の壁はこの魂というオカルトな部分だろう。

AI搭載のロボットが登場するSF映画「チャッピー」では、学習能力を備えたドロイドがまるで人間の子供のように成長する姿がコミカルに描かれている。

そのAI搭載ドロイド「チャッピー」が成長の過程でもっとも固執したのは、バッテリーの破損により5日しか持たない自分の肉体から新しいボディーに自分のAIプログラム=魂を移し替えて生き延びることだった。

アンチエイジングがブームだが、せいぜい実際の年齢より10歳くらい若く見える技術や、10年くらい長生きすることくらいは可能だろう。
しかし、これから先人類が飛躍的に死ななくなるような「永遠の命」を生み出す技術の到来は人類によっては成しえないような気がしてきた。

人間の魂は、プログラム化できないほどに愚かでオカルトだからだ。

たぶん、人類を最初に栽培した誰かが、それを自分たちの利権として収穫するために、コピーガードをかけているのだろう。