お金持ちになったらどんなことにお金を使いたいですか?
普通に生活できる必要十分以上のお金を稼ぎたいとしたら、あなたにとってそのモティベーションとなるものは一体なんですか?
普通にお金を稼いでいるひとたちが、これからそれ以上のお金を稼ごうとするモティベーションは、一般的に「それを有効に使うこと」を前提としていないような気がします。
全体としてみれば、既に自分がお金持ちだと思っている以外のひとで、「お金持ちになりたくない」という人は少ないように思います。
そのような、できればお金持ちになりたいと願う他力本願な方々のモティベーションは、
「お金の為に仕事に拘束されることから逃れたい」とか、
「自由になって好きな事をしたい」とか、
「無いよりも、沢山あったほうが安心」など、
どちらかと言えば夢というか、タラレバ的な自由を漠然と求めていて具体的なビジョンが圧倒的に欠如しているような気がします。
使うビジョンの無いお金を、大切なものを犠牲にしてまで稼ぐ必要はないでしょう。
お金持ちでないひとが、お金持ちになって失う大切なものは、案外多いかもしれません。
一方、お金持ちになった人は、必ずしも具体的なビジョンがあったから金持ちになったとは限りませんが、自分の自由になるお金を一体どのようなことに費やしているのでしょうか?
もちろん、豪華な家や食事、高級なクルマ、服、貴金属、海外旅行・・・など半端なく高額な消費が目白押しに違いありませんが、実はそれら一般的に贅沢と思える消費は、彼らにとっては、「自分の自由になるお金を使って楽しんでいる」というものではないのかもしれません。
その富裕層が、仮に経営者であるとすれば、ハイクラスの消費の大半は交際費という経費のカテゴリーでビジネス目的だろうし、資産性の高い家やクルマなどは法人の名義になっている場合が多いでしょうし、投資的な意味合いも含まれます。
つまり、それは経営者本人が個人的に好きで散在していて、その消費で満足しているとは言えないのかもしれません。
経営者ノルマというか、必要経費として自動的に消えていく類のものです。
では、そういったお金持ちはそれ以外の本当に自由になるお金を何に使うのでしょうか?
実は、意外なことに、「たいして何にも使わない」・・・という感じがしています。
多くのお金持ちは、一般人と比べると遥かに多くのものを消費したり所有していますが、自分が本当に消費したい欲求というものはあまり強くなかったり、案外ケチだったりします。
経営上の利益が増えると、それに伴って経費も増えていきますが、それを資産性の無いものに対して単純に浪費していくと、経営が予期せぬ外的要因によって、傾いたときにそれを立て直す体力が無くなります。
そういった時の為に、流動性のある資産をある程度手元に残しておこうという意図がどうしても働くのかもしれません。
この現象を、「経営者の経営上の経費リスク」と私は呼んでいます。
そう考えると、実は、金持ちの人生というのは予想以上に退屈なものに見えなくもありません。
例えば、カリフォルニア・ランドバンキングの大手であるプロフェッショナルランド社のオーナーであり、大金持ちのRonとRandyというユダヤ人の兄弟を見ているとそのように思えます。
彼らは、「新しいことを何もしない」という理念とも言える方針を貫くことで見事にリスクを回避しています。
ただ、彼らの圧倒的な強みは、自由になるお金を大量に持っているが故に、圧倒的に(投資の)チャンスに恵まれているという点です。
これは、それを意図して彼らがお金を稼いだりケチったりしているのかどうかわかりませんが、ビジネス上のチャンスや面白いことは、一体どこに転がっているかわからないし、いつ現れるかもわからないが、彼らはいつでもそのチャンスがあれば即座に投資することができるという事です。
一方、普通の生活を送っている一般ピーポーは、金持ちのように自由に消費や所有ができないが故に、消費欲求に満ち溢れています。
既に沢山持っているお金持ちのひとたちとは異なり、一般ピーポーにとっては、新しいものを手に入れたり、経験することがお金を得る為に働くモチベーションになりがちです。
ですので、消費の為に稼ぎ、稼いだお金をせっせと消費します。
結果としてお金は貯まらないばかりか、最悪借金まみれになります。
一般的に、消費のモチベーションを高める要素は、かっこいいこと(女子の場合かわいいこと)、おもしろいこと(たのしいこと)、きもちいいこと(快楽的なこと)・・・の3つに集約されると考えられます。
消費経験の浅い、どちらかと言えば若い人ほど、この3つの要素に連動した消費のモチベーションはおそらく高いと言えるでしょう。
個人差はあるものの、経験の無いものに対して、ひとは比較的貪欲です。
しかし、その若年層の消費欲求もバブル期から比べるとかなりレベルが低くなっているようです。
「かっこいいこと、おもしろいこと、きもちいいこと」が20年前と比べれば、そこそこのレベルのものが、当たり前にその辺に転がっていて、いつでもコンビニで買えるような感じになってしまったのかもしれません。
成功してお金持ちになった人たちにとっては、コンビニで買えるようなレベルの「かっこいいこと、おもしろいこと、きもちいこと」は興味をそそられないばかりか、お金を払う価値すら感じられなくなっています。
特に、富裕層にお金を使わせたいと思っている商品やサービスの提供者や仕掛け人たちは、いかにこの「かっこいいこと、おもしろいこと、きもちいこと」を高度に演出して、富裕層にお金を消費してもらうかに躍起になっていると言ってもいいでしょう。
現実は、かつてはブームとなった「富裕層ビジネス」という薄っぺらな名前で呼ばれていたマーケティングも完全に化けの皮がはがれてしまい、今は何をすれば富裕層が食いついてくれるのか全く分からない混沌とした世の中になってるように思われます。
そもそも、本物の富裕層が他人に演出された何かに乗っかって金を無尽蔵に消費するような時代ではありません。
それほど、この世の中の現実は不透明で変化に富んでいるのです。
まぁ相変わらず、見栄とスケベ根性で金を消費するケースというのはあると思いますが・・・。
半面、エセ金持ちが、如何に自分が金持ちであるかを演出し、見せびらかして、貧乏人から金をだまし取るような荒んだ世の中になってしまっています。
「かっこいいこと、おもしろいこと、きもちいこと」は、誰かにそのコンテンツを提供されて、どれだけお金を使ったかではなく、「自分の中にその要素を見つけ出すことができるかどうか?」が大切なのかもしれません。
ヒーローの出現を待っても時間の無駄だし、ヒーローのマネをしてもヒーローにはなれません。
つまり、自分が覚醒してヒーローになるしか無いのです。
自分自身が、かっこよくて、おもしろくて、きもちよければ、自分はそのようなものにお金を払う必要はありません、それどころか、他人が自分にお金を払ってくれるかもしれません・・・。
エセ富裕層の真似事をして、ムダ金を使うのもやめたほうがいいでしょう。
そんなことをしていると、詐欺師の餌食となり、永久に勝つことができなくなるばかりか、地獄の底に突き落とされることになります。
本当の「かっこいいこと、おもしろいこと、きもちいいこと」に必ずしもお金がかかるという訳ではありません。
お金で手に入るものなど、本当のお金持ちにとってはたいして興味の湧かないものです。
そんなものを、なけなしのお金をはたいて手に入れるより、自分たちで新たに作りだして、金持ちのおっさんらに見せてやればいいんです。
お金持ちになることで圧倒的に有利なことは、「投資のチャンスに恵まれる」という事ですから、そのチャンスを手に入れるためにお金を稼ごうとするのが王道と言えるでしょう。
そして、少額でもいいから消費ではなく投資を実践すべきです。
お金が沢山無ければ投資ができないというのは間違いです。
お金は少なくても多くても投資はできますが、多い人ほどチャンスに恵まれて有利だと言うだけです。
才能に恵まれた人でなければ成功できないのであれば、だれも努力する必要はありませんが、才能のあるなしに関わらず成功のチャンスがあるからこそ、人は努力する意味があるのだと思います。
投資ということを考えると、投資の本質は決してかっこよくもなく、たいくつでつまらなく、そして全く快楽的ではありません。
せめて、「国債を買うとモテる」くらいのことが実際にあればよいのですが、あり得ない話です。
「NISA」を始めるとかっこよくてモテたりするのでしょうか?
それもあり得ません。
メディアの提供するイメージは、まさに詐欺師が演出するカッコよさと同じで中身のないものです。
せめて、投資家といもののイメージが多少なりともかっこよければ救われるのですが、例えばサッカー選手のようなスポーツマンと比べると、投資家のイメージはどうしても単なる「せこいおっさん」です。
目立たずにこそこそ儲ける地味でせこいおっさんが投資の世界では案外強いのです。
この考察からわかる教訓は、おそらく、「かっこいい投資家」や「面白そうな投資話」、「快楽的な儲け話」には注意しなければならないという事かもしれません。
投資は決して、「かっこよくも、おもしろくも、きもちよくもない。」ということを知ったうえで、それでもなぜ投資をしなければならないかを考えることが重要です。
投資は学ぶことはできません。
未来を予測するチカラと実行するチカラを身に着けるしかないのです。
そして、地道に稼ぎながら同時に投資を続けていくことが、将来成功してより大きなチャンスに巡り会える唯一の可能性なのかもしれません。
持たざる者が持てる者と対等に勝負できる戦術は限られています。
そして、持てる者の世界には常に上がいるわけですから、その戦術を取らなければ、持てる者ですら、いつかは負けることになるのです。