ルマン初めて物語 シグマMC73 1973年ルマン24時間レース出場車 | sarthe24のブログ(30度バンク研究所byBAMヨコハマ)

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1973年、ルマン24時間レースに初めて日本から参加したシグマMC73という2リッタークラスのスポーツカーがありました。
元トヨタの社員であった加藤真氏が代表を務めるシグマオートモーティブは1972年の富士GCに生沢徹のドライブでGRDを走らせた後、1973年には自家製のシグマGC73/MC73にフォードBDAエンジンやトヨタ2TGを搭載して富士GCに挑んだのでした。
生沢徹といえば1960年代より本場ヨーロッパのレースで活躍し、当事日本レース界の大ヒーローでした。今から思うに、その扱いとカッコ良さは小林可夢偉の比ではなかったような・・・。
まだスーパーカーブーム前なので子供がレースに興味があると言うのは稀でしたが、生沢選手を応援することは王や長嶋を応援する野球好きの子供と同じことでした。
そんなシグマと生沢選手が栄光のルマン24時間レースに日本から初出場することになったのです。
 
最近は色々な事に手を出してしまってまとまりが無いのですが本来このブログはミニカーと自動車レースがメインテーマだったのです。特にルマン24時間レースは私の専門分野なのですが、そうなるきっかけを作ってくれたクルマそのものです。ちなみに私のsarthe24はルマン市の存在するフランス SARTHE県と24時間の24の事で、4輪車の24時間レースが開催される公道も含んだコースはSARTHEサーキットと呼ばれています。

さてシグマは当初トヨタ2TG1.6リッターエンジン+ターボでルマンを走る予定でありましたが、不成績で恥をかくことを恐れたトヨタがエンジン提供を辞退することで後のマツダの日本車初のルマン制覇のきっかけとなったのは皮肉でしょうか?マツダ12Aエンジンを搭載していながらTOYOTAのロゴがウイングに有るのはその影響です。
トヨタに振られて困ったシグマは生沢徹の人脈等などで何とかマツダから12Aエンジンを引っ張り出して無事ルマン初出場を果たしました。
ドライバーは我らがヒーロー生沢徹と1972年の富士GCチャンピオン鮒子田寛とフランス人のF2ドライバーPダルボの3人でした。

当事まだ東洋の島国の域を脱していなかった日本のモータースポーツ界からポッと出てきたシグマが大苦戦するのは火を見るより明らかでしたが、何と予選は13位という好順位。これには裏が有って、軽量なGC仕様の車体と地元人ダルボのドライブによるものでした。そして軽量なことは脆いことの裏返しで大いに決勝でしっぺ返しに遭うのでした。

生沢徹のドライブで記念すべき日本車初ルマンをスタートしたのち、サスペンションのトラブルを初めとした様々なトラブルに繰り返し襲われ、最後は13時間経過の夜中にクラッチトラブルでリタイヤとなりました。週明けの読売新聞のスポーツ欄の片隅に小さくシグマがリタイヤに終わった記事が出ていたのを覚えています。当時モータースポーツには全く無知の新聞も日本からのルマン初挑戦は少しだけでも話題になったのです。
ひいきの生沢選手のシグマがルマン24時間に出るということで、注目はしていてもインターネットも無い時代に日本にルマンの情報などリアルタイムに入るわけがありません。海外のレースの情報は毎月一回のオートテクニック誌とカーグラフィック誌、隔週発売のオートスポーツ誌以外には皆無の時代でした。TV朝日が生中継をしたのなんてそれから15年くらい後の話です。


その後間もなく世間はオイルショックに見舞われ、レースなどもってのほかの風潮となり、さらに日本のレース界では富士GCの相次ぐ事故で3人のドライバーが立て続けに亡くなるという不運も重なって大きく縮小するのでした。

その中、シグマは翌年もMC74マツダで参加し、度重なるトラブルに見舞まわれた結果、周回数不足で完走扱いにはならなかったものの最後まで走り続けたのでした。その時のドライバーの一人が後のミスタールマン寺田陽次郎選手でした。
そしてこれらの事が1991年のマツダ787Bによる今のところ唯一の日本車の勝利に結びつく事になるとはまだ誰も知らないのでした。
 
またシグマはその後1975年まで3年連続でルマンに出場した後にしばらくレースの世界の表舞台からは姿を消していましたが、SARDとしてレースに復活して1990年に再びルマンに帰って来ることになります。そして1994年に後一歩で総合優勝の2位を獲得した後に1997年までルマンに挑戦を続けました。そして紆余曲折を経ながらも現在までスーパーGT選手権に出場を続けているという息の長いチームです。
 
モデルのほうはエブロから発売された生沢徹コレクションの1/43のレジン製量産ミニカーです。このクルマはだいぶ昔にビザールのレギュラーシリーズやマツダルマンコレクションからも発売されていました。多分原型などは同一で、今回のエブロ製もミニマックス社の生産と思われます。細部の意匠が昔発売されたモノとは多少違っていますが、細部のつくり自体は最近発売されたエブロの製品のほうが上でしょう。ルマン仕様ならではの補助灯が迫力ですね。
 
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