万年2位の系譜その1のオマケ トヨタTS010 1993年ルマン24時間レース出場車 | sarthe24のブログ(30度バンク研究所byBAMヨコハマ)

sarthe24のブログ(30度バンク研究所byBAMヨコハマ)

お気楽趣味人のテキトーに興味を持ったもののブログです。

イメージ 1

イメージ 2

万年2位の系譜その1として1992年のルマンに初出場ながら2位に入ったカシオカラーのTS010を紹介いたしましたが、今回はそのオマケを紹介致します。
1992年の雨のルマンで初出場ながら見事2位に入賞したことでトヨタTS010の世間的な評価は確立されたと思います。後に聞けばそれは薄氷を踏む状態であったことはその時は知る由もありません。
鳴り物入りの新Cカーもついに1992年で崩壊してSWCは消滅。日本国内のJSPCもほぼ開催不能な状態でした。
ルマンに関しては1993年からついにGTカーが復活ということになりました。しかしGTだけではやはり耐久レースのご本家としてはいささか役不足ですので3.5LNAの新(?)Cカーをカテゴリー1、ポルシェ962を始めとする旧Cカーをカテゴリー2、前年参加車不足を救った単座の小さなオープントッププロトをカテゴリー3、GTカーはカテゴリー4としてクラス分けされました。

優勝大本命はカテゴリー1のトヨタTS010と前年優勝のプジョー905です。あとはカテゴリー1車がコケればカテゴリー2のトヨタのターボCカーかポルシェ962類といったところでした。
前年はプジョーに対して善戦したトヨタは2年目とあって大いに期待されました。
ドライバーはEアーバイン/関谷正徳/鈴木利男の36号車を始めとしてラファネル/アチソン/ウォレスの37号車、リース/ラマース/ファンジオ兇裡械弦羲屬箸修Δ修Δ燭襯疋薀ぅ弌爾任靴拭
特に鈴木利男は当時は日産の契約でしたがルマンのみ特別にトヨタが助っ人で借り出すほどの気合が入っていました。
しかし実は36号車がトムス、37号車はTRD、38号車はトムスGBと3つのチームに分かれていたのでした。コレが実戦ではまとまりを欠く状態になったと見られています。
マシン自体もエンジンやシャーシに改良が加えられ、またタイヤもプジョーと同じくミシュランに変わってプジョーよりマシンは上ではないかという評価もありました。

本番のレースではまず予選ポールを狙った36号車がアーバインのアタック中にコースアウトしてアタック失敗でポールポジションはプジョーの手に渡るという事からケチがつき始めました。
ここでトムスの舘は再度アタックを主張したそうですが、TRDやトヨタ首脳が本番に向けての温存を主張して実現しませんでしたが、もし実現していれば楽勝でポールだったというお話も有ります。
決勝レースでは序盤にアーバンがトップを走りましたがそのうちにドリンクボトルが転がるトラブルを始めとしてマイナートラブルが出て徐々に遅れ始めました。38号車のリースは夜中にGTカーに追突されてリアセクションを壊して長いピットインを強いられ、37号車は日曜日の朝にミッションが完全にロックしてコース上でリタイヤとなりました。
それでも36号車が長い間3位に踏みとどまっていましたが、ついに日曜日の午後になりミッションが音を上げてピットで交換を強いられついにレースはプジョーの1,2,3独占となって幕を閉じました。期待された36号車は何とか4位には入りましたがついにTS010はプジョーに勝つことが出来ずにルマンから去っていきました。
ミッションに対する懸念は当初から有って対策は施されたとのことですが、それはリンケージ回りだけでミッション本体への対策は結果的に不完全であったようです。
究極のCカーとして生まれたTS010はこれを最後に走れるレースが無くなったためサーキットから去って行くことになります。実際私は1993年のルマンの現場にいたのですが、TS010の走りはF1的な動きでプジョーよりコース上では速く走っていましたし、他の旧式Cカーとは別次元の走りをしていました。また低く、スリムに肉を絞ったスタイルは後のTS020の少々醜いスタイルとは対象的に機能美にあふれていました。結果は残りませんでしたが個人的には好きなレーシングカーの一つです。

ちなみにカテゴリー2ではサードチームのトヨタ93CVが総合5位に入りクラス優勝を果たしています。

モデルは1992年モデルと同じくIXO製の1/43量産ミニカーです。出来は最新の技術を使ったレベルではありませんが10年近く前の発売当初としては上等な出来でした。低くまた絞られた美しいスタイルが良く再現された秀逸なミニカーと思います。残念ながら今では入手は困難です。(特にNo36)
最新技術を駆使したTS010をSPARKあたりでどうでしょうか国際貿易殿!