昨日は、どうも数年ぶりに切れたようです。といっても、あのアキバ通り魔男のような行動をとった訳ではありません。まあ、たまに路上で見かける、ヤーさんが声を張り上げるように、辺り構わず相手に怒りをぶつけてしまったということ。
東京駅日本橋口にあるJR東日本が建てたサピアタワーという高層のオフィスビルに休日に入るには、かなり厳重な警備網の突破が必要です。まず、通用門に入るのにインターフォンで来訪目的を告げる必要があります。そこできちんと訪問先が告げられないとアウト。OKなら初めて通用門のドアが解錠されます。
その後、警備員が入居者フロアーもしくは集中コントロール室に電話して、訪問先の入口のドアが施錠されたままだと、ビジターの場合はそこで足止めされてアウト。しかし、これは納得はできます。誰もいない場所になぜビジターが入ろうとするのか、少々怪しいこととなるからです。
筆者は、この規則にはきちんと従いICカード(スイカと同様なもの)を持った知り合いが入館するまで時間を潰しました。そして、ちょうど通用門ではなくエントランスで出会ったのでそのまま建物内に入場。そして、念のためビジターカードを貰おうと、再度通用門に降りていきました。(この際、ICカードがないと出ることも出来ないので、知り合いに借りて出ました。)その後、警備員と一悶着あったのです。
それは、本人確認とやらを求めるルールを巡ってのことです。筆者は、これまで何度も(有効期限切れの)旧運転免許証を提示し、何の問題もなく入館しておりました。ところが、昨日に限って、今日のところはOKだが次回は有効期間内の運転免許証を持ってくるようにと言われました。そこで、かちーん、と久方ぶりに切れたようなのです。
何故、運転免許証だけでは本人確認できないのか?相手は有効期限切れだという。ここもチョイと納得できませんでしたが、百歩譲って、有効期限切れの何かというのは「有効ではない」のだと、無理やり自分自身を納得させて、有効期間内の健康保険証を追加で提示しました。そこですんなりとOKを出せば良いものを、それでも駄目と言われたのです。
ここでいわゆる怒り心頭に達したらしく、20分ぐらい責任者を呼べとの「騒動」を引き起こし、結局、責任者がやっと現れて、事の顛末を話したところ、「誠に申し訳ありません。これで問題ありません。」と言いながら、深々と頭を下げられ、一件落着と相成りました。
それ以前に同様に切れたのが、例の郵政選挙を巡っての駅の係員との間でした。それは何と某宗教団体系の選挙演説が、改札口が通れないほどに「動員」して行われていたためでした。駅員はその時、見て見ぬふり。そこで駅員に食ってかかってしまったのです。
その前が、行きつけの図書館でのことです。どうも経費節減の一環で県立図書館どうしで所蔵図書や雑誌などの配置分担を行っていたようなのですが、ふと訪れると、いつもはあった読書人と図書新聞がありません。それ以外の一般紙はそれまで通りありました。ここでもカチーン、と来ました。筆者は、1990年以来の、その図書館にあるそれらを含む新聞9紙の読書欄の、いわば「愛読者」なのですが、突如、その中の2紙がなくなったのには驚きました。そこで館長に食ってかかってしまったのです。何も、筆者が新聞の愛読者だったからではなく、図書館というのは図書を一般の人々に紹介し見せる場所なのに、その「図書の情報源」たる専門新聞まで経費節減でカットするとは一体どういうことなのか?ということを巡ってのことでした。これは1ヶ月位して館長から「復活しました。」との話を受け一件落着。以来、その図書館で「顔が売れてしまい」、自分の自制心のなさを思い出しつつ、時に密かに恥じ入ったりしてはおります。
ところで、前置きが長くなってしまいましたが、タイトルの「KY症候群」とは、そういう言葉があるのかどうか不明ですが、KY、つまり「空気が読めない」の略称に絡んでのことです。
今回の3件、決して「空気が読めない」方々といっている訳ではありません。彼らは単に、本来の仕事の目的を忘れてルールに固執しているだけなのですね。KY症候群と書いたのは、最近とみに日本人はKYな人を忌避する傾向が強すぎるのではないかということです。それは症候群を呈するほどに悪化しているのではないだろうか?
KY、つまり空気が読めないのを恐れて、逆に空気を読みすぎることが、病的なほどに進行しつつあることを少々危惧しております。そこまで仲間内と群れないと安心できないのかと。。。もっと自分の好きなこと、自分が考えることは、他人の好みや意見がどうあろうと、堂々と主張すべきではないでしょうか?筆者が昨日久し振りに切れたように。
このKYなる流行語により、ますます最近の若い人は特に、表面的な馴れ合い、それも段々と自分に近しい人間とだけの馴れ合い、群れあい、に堕して行っているのではないかと感じています。
昨日も東京駅の日本橋口にあるレストランで若い人が大勢並んでおりました。先週も六本木の東京ミッドタウンのピザレストランで同様な行列が出来ておりました。両方とも、グルメ雑誌か何かで紹介された店のようなのです。
何故に、雑誌で紹介されたからと言って、多分1時間は待つであろうその店に「大挙」して足を運ぶ人間がいるのか? 筆者のような気短な人間にはとても理解出来ません。
憶測するに、雑誌で紹介されたレストランに行ったこと自体が、若者にとって価値を持つのではないか、それは、翌日仲間内でランチを食べる時に、その種の話題で「空気が読める」ように自らをしておくための、ある種の強迫観念のようなものがあるとしたら、これはチョイとやっかいな現象ではないかと思った次第。。。
もっとも、筆者のように家事全般にKYなため、家人からボコボコとやられっぱなしになるというのも、いささか問題ですがね。
東京駅日本橋口にあるJR東日本が建てたサピアタワーという高層のオフィスビルに休日に入るには、かなり厳重な警備網の突破が必要です。まず、通用門に入るのにインターフォンで来訪目的を告げる必要があります。そこできちんと訪問先が告げられないとアウト。OKなら初めて通用門のドアが解錠されます。
その後、警備員が入居者フロアーもしくは集中コントロール室に電話して、訪問先の入口のドアが施錠されたままだと、ビジターの場合はそこで足止めされてアウト。しかし、これは納得はできます。誰もいない場所になぜビジターが入ろうとするのか、少々怪しいこととなるからです。
筆者は、この規則にはきちんと従いICカード(スイカと同様なもの)を持った知り合いが入館するまで時間を潰しました。そして、ちょうど通用門ではなくエントランスで出会ったのでそのまま建物内に入場。そして、念のためビジターカードを貰おうと、再度通用門に降りていきました。(この際、ICカードがないと出ることも出来ないので、知り合いに借りて出ました。)その後、警備員と一悶着あったのです。
それは、本人確認とやらを求めるルールを巡ってのことです。筆者は、これまで何度も(有効期限切れの)旧運転免許証を提示し、何の問題もなく入館しておりました。ところが、昨日に限って、今日のところはOKだが次回は有効期間内の運転免許証を持ってくるようにと言われました。そこで、かちーん、と久方ぶりに切れたようなのです。
何故、運転免許証だけでは本人確認できないのか?相手は有効期限切れだという。ここもチョイと納得できませんでしたが、百歩譲って、有効期限切れの何かというのは「有効ではない」のだと、無理やり自分自身を納得させて、有効期間内の健康保険証を追加で提示しました。そこですんなりとOKを出せば良いものを、それでも駄目と言われたのです。
ここでいわゆる怒り心頭に達したらしく、20分ぐらい責任者を呼べとの「騒動」を引き起こし、結局、責任者がやっと現れて、事の顛末を話したところ、「誠に申し訳ありません。これで問題ありません。」と言いながら、深々と頭を下げられ、一件落着と相成りました。
それ以前に同様に切れたのが、例の郵政選挙を巡っての駅の係員との間でした。それは何と某宗教団体系の選挙演説が、改札口が通れないほどに「動員」して行われていたためでした。駅員はその時、見て見ぬふり。そこで駅員に食ってかかってしまったのです。
その前が、行きつけの図書館でのことです。どうも経費節減の一環で県立図書館どうしで所蔵図書や雑誌などの配置分担を行っていたようなのですが、ふと訪れると、いつもはあった読書人と図書新聞がありません。それ以外の一般紙はそれまで通りありました。ここでもカチーン、と来ました。筆者は、1990年以来の、その図書館にあるそれらを含む新聞9紙の読書欄の、いわば「愛読者」なのですが、突如、その中の2紙がなくなったのには驚きました。そこで館長に食ってかかってしまったのです。何も、筆者が新聞の愛読者だったからではなく、図書館というのは図書を一般の人々に紹介し見せる場所なのに、その「図書の情報源」たる専門新聞まで経費節減でカットするとは一体どういうことなのか?ということを巡ってのことでした。これは1ヶ月位して館長から「復活しました。」との話を受け一件落着。以来、その図書館で「顔が売れてしまい」、自分の自制心のなさを思い出しつつ、時に密かに恥じ入ったりしてはおります。
ところで、前置きが長くなってしまいましたが、タイトルの「KY症候群」とは、そういう言葉があるのかどうか不明ですが、KY、つまり「空気が読めない」の略称に絡んでのことです。
今回の3件、決して「空気が読めない」方々といっている訳ではありません。彼らは単に、本来の仕事の目的を忘れてルールに固執しているだけなのですね。KY症候群と書いたのは、最近とみに日本人はKYな人を忌避する傾向が強すぎるのではないかということです。それは症候群を呈するほどに悪化しているのではないだろうか?
KY、つまり空気が読めないのを恐れて、逆に空気を読みすぎることが、病的なほどに進行しつつあることを少々危惧しております。そこまで仲間内と群れないと安心できないのかと。。。もっと自分の好きなこと、自分が考えることは、他人の好みや意見がどうあろうと、堂々と主張すべきではないでしょうか?筆者が昨日久し振りに切れたように。
このKYなる流行語により、ますます最近の若い人は特に、表面的な馴れ合い、それも段々と自分に近しい人間とだけの馴れ合い、群れあい、に堕して行っているのではないかと感じています。
昨日も東京駅の日本橋口にあるレストランで若い人が大勢並んでおりました。先週も六本木の東京ミッドタウンのピザレストランで同様な行列が出来ておりました。両方とも、グルメ雑誌か何かで紹介された店のようなのです。
何故に、雑誌で紹介されたからと言って、多分1時間は待つであろうその店に「大挙」して足を運ぶ人間がいるのか? 筆者のような気短な人間にはとても理解出来ません。
憶測するに、雑誌で紹介されたレストランに行ったこと自体が、若者にとって価値を持つのではないか、それは、翌日仲間内でランチを食べる時に、その種の話題で「空気が読める」ように自らをしておくための、ある種の強迫観念のようなものがあるとしたら、これはチョイとやっかいな現象ではないかと思った次第。。。
もっとも、筆者のように家事全般にKYなため、家人からボコボコとやられっぱなしになるというのも、いささか問題ですがね。