手術をした後、初めて目が覚めたのは手術室でした。
痛いという記憶しかないのですが、まるで鉄パイプを熱く熱した後、身体中の腰の回り全てに焼き付けられているようで痛いというか辛くて涙が止まりませんでした。
かといってボロボロは痛くて泣けない。ただ、涙が最初に頬を伝ったのは覚えていましたがあとは苦悶の表情ばかりでした。
術後、主治医がベッドのところにきて、足の神経がきちんとわかるかの確認もされました。
神経に触れていると、ここで全く感覚がなくなっているので、感覚があれば手術は成功です。
無事に感覚も確認でき、後は日柄ものです。
とはいえ、そこから3週間はギプスベッドで固定されていたのですからトイレもベッド上です。
浴衣を前と後ろを逆にして手を通すという感じでした。
その当時からT字体がありましたが、元々はふんどしみたいなものだと思っていました。
私の場合、母が付き添ってくれていたので助かりましたが、その代わりに家は父と弟という大変に不自由をかけたと思います。
痛みが無くなればただ、寝ているだけです。
やはり手術をして3~4日間が1番辛いのですが、それを越えれば、段々と痛みは落ち着いてきました。
食事も寝たきり状態ですので、片手で鏡に食事を映しながら頂くようにしていたので、そういうことは今も上手です。
寝たきりでもうどんは上手に食べれます。
学校にいけない間は、お友達たちがノートを毎日科目毎にとっていてくれて1~2週間に一度、病院に届けてくれていました。その中に高校2年から同じクラスだった親友のMちゃんもいました。
本当に友達の存在は大きくて、ありがたいものです。
私はそのノートがなければ卒業出来てなかったでしょうから。
手術をしてから退院するまで約3ヶ月かかり、リハビリも大変でしたが頑張りました。
退院は翌年の2月中旬でした。
それからは自宅に慣れながら、少しづつ登校を始めましたが、すぐに学年末試験がありました。
結果は大惨敗でした。
50人中47番、これは悔しくて一生忘れられません。
後ろに3人いることになっていますが、試験を受けれなかった生徒は自動的にゼロ点ですから、実質本当の順位はビリと同じです。
授業に参加してないのですから、点数が悪くても仕方ないのですが、悔しかったですね。
それ迄勉強を好きだと思ったことはありませんでしたが、人というのは、今まで出来てたことができなくなった時に、無性にやりたくなるものです。
不思議ですね。
それからの私はひたすらに努力をしました。
腰が何時間も座っていられなかったので、机のイスの代わりに床に毛布をひき、そこに膝だちになって勉強をしました。
高校3年の初めての中間テストで、50人中12番、学年でも30番以内に入ったことは嬉しかったですね。
この時のことが、人は努力すれば、ある程度のことはできるという私自身のベースにもなっていると思います。
この時は、まだ大学受験するんだと諦めていなかったんです。
ところが、月日を重ねるうちにどうしても間に合わないというなかで、「英語」が好きだった私に、学校側から、選択肢の1つとして、ある専門学校を紹介されました。
その専門学校の今でいう、オープンスクールのようなのに何回か行ってるうちに、「ここに行きたい」と思うようになりました。
就職先が良かったのです。外資系の銀行や、大手企業の名前がかなりありました。
学校側からは、私の他にもう一人推薦された子がいて、クラスも違い全く知らなかった生徒さんでしたが、それをきっかけに仲良くなりました。
毎週土曜日に行われるプレ授業に2人で行きました。
そして学校側から全て書類も用意してくれて受験クラスではありましたが、進路が決まったのが私が最初でした。
でもこの時に進路が決まっていたことが良かったのです。
この後、無情にもあの「事件」が起こります。
そう、2回目の手術を受けなければならなくなった原因が、実は病気ではなく事故だったのです。
つづく
