私の人生で腰の手術を今まで2回受けてきました。股関節は1回です。
 
そのなかで1回目はここ数日に書いてきましたが、実は2回目は完全な自分の病気が悪化したのではなくて、完全に「事故」でした。
 
 
文化祭も終わり、進路も決まり、成績もずっと上がっていて勉強が楽しいっていいな~とこのまま自分の人生を明るく開いていくんだ~という感じでいた頃です。
 
体調も良くなってきてはいましたが、階段の多い学校では私の身体には負担が多かったので1回目の退院後、学校に通ってからは生徒が禁止されている「エレベーターの使用禁止許可」を担任の先生が校長先生やいろんな先生に根回ししてくれて許可されて使わせていただいていました。
 
通学し始めて半年も経つし、そろそろ階段も使わないとと、教室から職員室迄わずか1階分でしたので、友達数人が付き添ってくれて階段で行きました。
 
これが事故の始まりです。
 
 
当時、退院時から杖はまだ使っていたので、友達が私の左右にいてくれましたが、
なるべく自分の足と杖でゆっくりと降りていました。
 
私の学校は中高一貫校の女子高で、普段から挨拶が「ごきげんよう」ですから、中学生には堅苦しいのでしょう。
 
ましてや授業で礼法の時間もありますので、元気盛りの中学生が発散する場所は階段くらいしかなかったのではないかと思います。
 
職員室から出てきた中学生が一目散に階段に向かって飛びあがるように一段ぬかしで勢いをつけて上がって来た時に、前をみていなかったのでしょう。私の目の前で杖に気が付いたのでしょう。慌てて避けたみたいですが、私の左側にいた友人にぶつかったのです。
 
その後は6~7段残っていた階段を下まで落ちたのは私でした。
 
それも腰の悪い左側の神経にあたっていた左足から落ちたのです。
 
足がとかいうよりも腰への激痛が走り、慌てた友人はそのまま担任の先生を呼びに行ってくれて、職員室に近かったこともあり何人もの先生が出てこられましたが、状況が状況だけに、保健室で寝かされたものの病院へ連絡するとすぐに来るようにとのことで、丁度授業がなかった担任の先生が病院まで送ってくれることになりました。
 
車の中で何がなんだか、私自身受け入れられなかったのではないでしょうか。
 
ただただ結果が怖くて・・・・
病院に運び込まれた後はそのまま検査入院となりました。
 
学校ではその後、翌週の月曜に中高での朝礼の時に、「学校内では絶対に走ってはいけない」との話があったそうです。
 
落ちた後すぐに普段は穏やかで絶対に大きな声を出さないNちゃんが、「ちょっと貴女、まちなさいよ!」と怒鳴っていたのは聞こえましたがその後のことは痛くて覚えていませんでした。
 
検査を受けた私は、これまた辛い決断を迫られていました。
 
どうやら手術したところと別のところが悪化してしまったようで、最初のヘルニアの手術では済まない、病名も今度は「限局性癒着性脊髄膜炎」というものでした。
 
手術内容は、前回のにプラス骨盤から骨をとって脊髄に移植するというものです。
 
今度の手術では傷は縦だけでなく横にもつくし、骨盤をとることによって体型も変わってしまうとのことでした。
 
検査も造影剤を入れてのレントゲンで今なら医学の進歩でなんともないのですが、当時は副作用で嘔吐やら頭痛やらで大変でした。
 
もう、お先真っ暗なんてものではなくブラックホールから強いバキュームカーが遠征しにきてて、私のことを吸い込みそうな感じと表現すればいいのでしょうか。
 
もうしばらく誰とも話したくなくて、、、特に親には事故でこんな目にあってしまったのですがら申し訳ないやら私も辛いやらで、、、言葉になりませんでした。
 
両親とも話し合うというよりは手術を受けないと私の人生まだまだこれからを考えたら受けるしかないという選択しかなかったのです。
 
これは本当に辛い選択でした。
 
 
誰が好き好んで自分の身体を切り刻んで欲しいと思いますか?
 
それも骨盤から骨をとるなんて考えられますか?
 
またカメの甲羅のようなギプスベッドに今度は6週間の寝たきりです。
 
もう言葉になりませんでした。
 
その後、検査入院から退院して学校に行った時、真っ先にお友達に一緒にいてくれてありがとうとの感謝と同時にこれからのことを報告しました。
 
お友達は本当に宝だなッと私はこの時に深く深く学びました!
 
そして2回目の手術がなんと12月20日に決まりました。
 
実は1回目の手術が昨年の12月19日でした。
 
私の中でこの日にちを聞いた時に、ぶるっとしました。
 
というのも私の中で受け入れられなかった今回の一連の出来事が、何か意味があったのかなって感じ始めていました。
 
ぶつかって来た中学生の責任にするつもりもありませんでしたが、自分の責任だとは思っていましてもやはり受け入れられない部分があって友達の前とか家族と一緒の時よりも一人になった時のギャップが大きかったのではないかと思います。
 
腰から骨とったらどんな体型になるの?水着なんて着れないとか、こんな自分は恋愛なんて関係なくなったとか、
 
私は千人でも神様でもありません。ただの高校3年生でした。
 
 
今思うと随分と大人な対応をしてきていたんだなって、無理していたんだなって思います。
 
ですからこの時の私は普通ではなかったんだと思うのです。
手術後順調なら、新しい専門学校にももっと早くに行けたのに、、、
 
術後、リハビリで躓いたんです。
 
つづきます。
 
一度にupできなくてチョコチョコですみません。
やはり思い出しながら、時には感情まで紐解いています。
 
振り返りもいいのですが、間違えたくなくてすみません。
また更新しますね。
最低1日2~3回は更新しますので、お読みいただくと嬉しいです。