姉の余命宣告についてはこちらをご覧ください。
姉の遺品の整理と同時並行で進めたのが姉の友人や同僚向けの偲ぶ会の企画・開催です。姉はここ数年インドカレーにはまって色々なお店を食べ歩いていたので、偲ぶ会もインド料理屋で開催することにしました。姉と週末に出かけた感覚で楽しい会にしたかったからです。
参加者ひとりひとりに姉との思い出を語ってもらったのですが、自分や家族が知らなかった姉の一面が垣間見れてとても新鮮でした。会社では自分よりも後から入ってきた人の面倒をみて信頼されていた姉。年齢や役職に囚われず誰にも平等に接し、仕事で直接関わりのない人とも仲良くなってしまう姉。DVに悩んでいた友人が恋人と別れられるまで根気よく相談に乗ってあげた姉。友人とちょっと高級なレストランに行く時に着物でばっちり正装して周りを驚かせた姉。とにかく活動的で、闘病中も色々な人と交流していたことを知り、自分よりもよっぽど人生を謳歌しているように感じられました。
途中参加者のひとりが冗談混じりに「お姉さまはよく『弟に叱られる』って言ってましたよ」と話したのを聞いて、実はとてもショックでした。身体が辛いことを最後の最後まで自分に伝えず我慢していたのは、自分から何か言われると萎縮してしまっていたからではないか。だとしたら自分が姉を殺したも同然だと感じたのです。その友人は「そうやってはっきりものを言ってくれる家族がいたのは羨ましい」とフォローしてくれましたが、今でも自分の心の中で引っかかっています。
別の友人には「病人として見られたくない」「家族に弱いとことを見せたくない」と姉は話していたそうです。3人兄弟の一番上で幼少期はリーダー格だったので、自分は常に強い存在でなけれないけないという重圧を無意識のうちに感じていたのかしれません。
成人してからは自分の方が姉に色々と(今考えれば自分の意見の押し付けだったのですが)アドバイスをしていたので、自分の方が頼れると勘違いしていましたが、偲ぶ会に参加された方のエピソードを聞いて、姉の方が数倍も責任感の強く、相手を思いやりながら、時には自分を犠牲にする人だったということを思い知らされました。姉がもし生きていたら今度は自分が姉にアドバイスを乞いたい、そう感じました。<続く>
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