影法師 | aqua-moon

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水野理紗
声優*ナレーション*舞台
水月 秋
書きもの*シナリオ*小説


※ネタバレもあるので、未読の方、これから読まれる方はご注意下さい。

百田尚樹さんの
「影法師」
読み終えてから文庫本のカバー写真を見て、深呼吸した。この夕日に輝く金の稲穂の波を見つめている彼のことを思う。


「永遠の0」の時もそうだったが、"ヒーロー"の死から物語は始まる。

「影法師」の磯貝彦四郎は文武両道、人柄も良く、非の打ち所がない完璧なヒーローだ。
ただし、嫡男ではないという生まれながらの枷を持つ。
嫡男でない限り、婿や養子に行く以外に家族を持つことが許されない。

そのせいもあるのか、彦四郎には己への執着が薄いように見えた。
「何も為さずに終わるかもしれぬ」
その言葉は、彦四郎自身、一番感じていたかもしれない。

命がけで嘆願する、命をかけて責任を取る、
命という言葉が、言葉だけではない重みを持っていた時代。
命をかけても成したいこと、
それが彼らのいう「夢」だった。

主人公の勘一は、その「夢」を見つけた。
彦四郎には見つけられなかった夢、
まっすぐに夢を語る勘一が、どれほど眩しく映っただろう。

そして、愛する人を救える立場にある勘一のことが、どれだけ羨ましかったか。
いつも冷静な彦四郎が、みねのことに関してだけは感情的になるのが、人間らしく愛おしい。

勘一は「彦四郎になりたかった」と言うが、
彦四郎もまた、勘一になりたかったかもしれない。

影になって、二人を守ろうと決めた彦四郎の想いが、切なく胸を打つ。
でもそれは、自己犠牲に見えて、そうではない。
勘一を守ることは、託した夢と愛する人を守ること。それこそが、彦四郎の、命をかけて成すべきこと、生きる理由だったから。彼に迷いはなかっただろう。

そういう生き方もある。
夜になれば、影法師は消えるのだ。
その刹那、
大坊潟の、夕日に光る金色の稲穂の波を見つめる彦四郎の姿は清々しい。