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こんにちは、こがね母です。
5月25日
この日の朝もいつも通り急いで餌場に向かいました。
3ヶ所目の餌場でのことです。
猫達が食べてる3メートル程先に見慣れない猫がフラフラとぎこちない足取りで現れ、やがて座り込みました。
その様子を見ていた私は急ぎ猫の元へ駆け寄りました。
どうしたの?
背中をそっと撫でると背骨が今にもゴツゴツと音を出しそうな程に手の平に痛々しく感じました。
どうしたの?
大丈夫かい?
猫の顔を覗き込む私を見えていないんじゃないかと思う目を向け、声にならないかすれた声でひと鳴きました。
抱きかかえ餌場に移動して目の前にスープを差し出しても食べようとしません。
明らかに成猫なのに軽くて、座り込んだ姿は小さく、今にも壊れそうでした。
どうしよう
我が家はもういっぱいなのに
このままにしていたら
この子はきっと死んでしまう
こんな姿になるまでさまよっていたの
声さえ出ないほど鳴いたの
その目は見えているの
置いては、帰れない。
見捨てれば私はきっと後悔し続け、この餌場に立てなくなる。
猫達を真っ直ぐに見れなくなる――
キャリーも何もない。
まだ朝の5時。
近場の預かりボランティアのSさんに連絡するも出ない。
さぁどうする。
自転車の前カゴの荷物を後ろに移し、その子をそっと前カゴの中に入れて雨避けのビニールカバーをかぶせました。
暴れる様子も鳴きわめく元気ももうありませんでした。
ごめんよ。
まだ朝の給餌が2ヶ所残っているから回らないといけないんだ。
待っている猫達がいるから少しの間辛抱してね。
心配しなくて良いからね
さすがに次の餌場までは前カゴを押さえながら歩いて移動しました。
Sさんが着信に気付いて連絡をくれ、急ぎキャリーを持って駆けつけてくれました。
キャリーに移し最後の餌場での給餌を終わらせやっと帰宅です。
ごめんね、我が家はもういっぱいだと分かっていても見捨てる事なんて出来なかった、と娘には伝えました。
娘だってきっと私と同じ決断をしたと思います。
娘はやっぱりね、みたいな顔をしていました。
保護した猫を連れ、病院に向かいました。
O医師も彼を見るなり驚きを隠せないようでした。
いったいどれだけの日数飲まず食わずだったんだろう。
脱水が酷すぎて補液では間に合わない。
静脈から点滴しないと駄目だね。
去勢はされているね。
熱はないよ。
状態が状態でしたからやはり入院になりました。
医師には必要な検査や処置をお願いし、週末の快君のお届けが済み次第、迎えに来る運びになりました。
彼は驚く程人に慣れていたので、医師もスリゴロちゃんだよと笑っていました。
僅かな期待を込めてセンターに迷い猫の問い合わせをしましたが、該当するものはありませんでした。
センターの方には事情を話し、私が保護している事を記録に残して頂きました。
私の中では遺棄されたのだという結論になりました。
お家の子だった彼は遺棄された瞬間に野良猫と呼ばれて嫌われ、行く宛もなくさまよい続けなければならなくなったのです。
愛し守るべき彼らを野良猫と呼ばれる存在にし、一部には害獣とまで言われる存在におとしめたのは間違いなく私達と同じ人間なのです。
その一部の愚かな人間が遺棄と言う犯罪を犯したのです。
言葉を持たない彼らを犠牲にし、罪の意識もなくのうのうと犯罪者は生きている。
彼を保護して10日が過ぎました。
ひどい風邪をひいているため、毎日最低でも3回の点眼点鼻に、朝晩の投薬が必要です。
そしてその都度ゲージの消毒もします。
本来なら完全隔離が相応しいのでしょうが、あいにく我が家にはそれができる部屋がありません。
医師の指導の下、ゲージを布で覆い、世話をする私自身も消毒漬けです。
鼻づまりがひどいせいか、食欲はあまりありません。
私によじ登りながら見え辛い目で私を見て甘えて来ます。
人の温もりが恋しくて仕方ない様に。
そんな彼を私は愛おしく感じます。
彼の何がいけなくて捨てたのでしょう。
大切な存在を捨てる行為はどんなに考えても理解する事は出来ません。
退院して僅か一週間なのに顔を近づけ私の顔を覚えようとする仕草がたまらなく切ない。
名前を言(げん)とつけました。
言ちゃんが私に出会うまでどんな日々を過ごしていたのかは分かりません。
ただ捨てられるその日までは幸せに過ごしていたと思いたい。
〈声が出ない言ちゃん〉
見え辛い目でオモチャのチューちゃんと狭いゲージの中で遊ぶ言ちゃん。
言ちゃん
元気になってゲージから出て思いっきりチューちゃんと遊ぼうね。
頑張るんだよ、言ちゃん。
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