お彼岸の法話 | つましくても、ささやかな幸せ

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地位もお金も能力も無くても得られる、日々のささやかな幸せを記します。
内容は、映画・演劇・美術鑑賞&読書感想文&旅行記&趣味の手品&日々の出来事などです。

つましくても、ささやかな幸せ~映画・演劇・美術鑑賞&読書感想文&旅行記&日々の出来事  今日はお彼岸だ。お世話になっている近くのお寺で行われたお彼岸の行事に参加した。四国から私と同世代の若い?お坊さんがいらして、50分間法話をされた。かなりの熱弁で、あっという間の50分間だった。その法話の中で、反省させられたことや心に響いたことを記したい。
 まず、ユ-ゴ-の「海より広いものが空で、空より広いものが人の心」という言葉を用いて、「日本人の心は狭くなっているのではないか」という問題提起で引き込まれた。確かに自分も含めて、目先のことばかりにとらわれて、広い心をもつ余裕がなくなっている人が多いように思う。
 そして感銘を受けた内容の一つ目は、「仏教の目的は、私達の心の中にある仏の心に目覚める」ということである。飯田史彦先生の著書に、「究極の光(=神)は、脳の外に存在するか脳の中に存在するか」という意味の記述があったが、私はどちらかというと唯脳論者である。だから、自分の内なる神に気づきたいと思った。優しい気持ちをもてば、自分自身が観音様になれるだろう。
 二つ目は、「①自己中心の心②倫理道徳の心③知恵の心(=いつでもどこでも正しい判断をする心)」の話である。私は「自己主張しなさい」という教育を受けて育った世代だ。理屈をたたみかけて議論するのは得意であるが、いつしかその自己主張が自分本位の利己的な心になってしまっているのではないかと反省することが時々ある。
 三つ目は、「座禅によって清らかな心(=知恵の心)に戻る」という話である。座禅により、「体を整え(=背筋を伸ばす)」「呼吸を整える」のだそうだ。丹田(=下腹)に力を入れてゆっくり呼吸することを1日4~5回は行いたい。私は臨機応変な対応力に欠け、咄嗟の時にいつも頭に血が上り、心がパニックになってしまう。だから咄嗟の時に正しい判断ができるように、自分の心を清らかな心に直していきたい。