ウォルトディズニーの約束と言った邦題だが、ウォルトディズニーの伝記とではなく、メリーポピンズを映画化するにあたってと言った話。メリーポピンズの作者、P.L.トラバースがこの映画の主人公だ。
メリーポピンズは見たことがなかったが、普通に楽しめる。もちろん鑑賞済みの人も作成にこんな話があったんだとより楽しめるだろう。私はこの映画を見て、メリーポピンズが見たくなった。
メリーポピンズの利権を持っている作者はとても気難しい人で、ディズニーや作曲家達が「これはいい! 最高だ!」なんて盛り上がっているよう中、「ダメよダメ! これはこんな話じゃないわ!」といって無に返してしまうような人である。
そんな風に映画化が難航している場面と、彼女の過去とが並行して進められていく。
過去と照らし合わせて行くことで彼女がこのような性格になってしまったことや、何故彼女がダメと言ったのかが、紐解かれていくのが見所だ。
(以下、ネタバレを含むので注意)
彼女は非常に寂しい人だ。夢を信じ、夢を与えてくれた父親を愛したが故に、裏切られた衝撃が大きかったのだろう。反動で現実主義の叔母に影響を受けた。今の髪型が似ているのも意識したのかななんて思いながら鑑賞していた。
寂しさを自覚もしているが、また裏切られるのが怖いのか、もう人に対する甘え方を忘れたのか、周りの男性が女性と楽しそうにしているところをひとりただ羨ましそうに眺めるシーンが幾つかある。そのシーンが来る度に、彼女が最初の方に言った「メリーポピンズは私の家族」という言葉が重みを増してきて心に石のようにぽつりと最後まで印象に残る。
それに対して、ディズニーも<ねずみ>の利権を取り合った話を部下にする。それでねずみが家族なことも、その家族を誰かに渡す怖さの理解を示す。
彼らはとても似ているのだ。
父親が厳しかったり駄目だったりするも愛しているところなんかも彼らの類似を見受けられる。その中で夢に生きたウォルトディズニーと、夢に背を向けたトラバースは対比的で興味深い。
最後の方に、一人で寂しそうにしている彼女に、ディズニーの<家族>であるミッキーが腕を差し伸べるシーンは創作物が与える夢に救われるいいシーンだ。きっと彼女のメリーポピンズもこんな風に多くの誰かに夢を与えたのだろう。
順序が前後するが、メリーポピンズのラストをバンクス氏が2ペンスで凧を直すというものに変えたのをトラバースが気に入り気難しい彼女が笑顔で踊るというシーンも現実で手に入れられなかったものを、夢見たものを創作で疑似的に実現させるいいシーンだった。これを夢見て、こんな風になりたかったのだと思うと、笑いながら踊るトラバースの姿に涙が止まらなかった。涙が潤むことの多い作品だったが、私は断トツでこのシーンに涙を流した気がする。
私は現実では幸せになりたくて、現実よりも幸せな世界に嫉妬してしまうのでバットエンドを好んだが、過ぎてしまった過去をこんな風に救う力も持っているのだな、と感心した。少しばかり見解が変わりそうだ。
この話を見終わって、私も大切な頭の中にいる<家族>を外に出してあげたいと強く思った。
また、数年たったらこの気持ちを思い出しに見直したい。