【 私が贈った今治タオルを川に投げ捨てた父 】

第二子出産時に、陣痛が来て、父の車で病院へ

破水や出血で車が汚れない様に、私は私の独断で実家にあったバスタオルを何枚も厚く重ねて、お尻の下に敷いた

それを見た父は最後の一枚を重ねた

私が父に贈った今治のタオルだった

数年前に、私が母とお揃いの色違いにして、父に贈ったタオル

記憶が蘇る


私「お父さん、これね、何重にもなった綿で通気性抜群で、夏でも冬でも快適に使えるから、いいタオルだから、お昼寝のときにお腹にかけてね」と渡したら

父はすぐさま飼い犬の下に敷いた。。。。

ショックを受けた私を見て、母が「も〜!!お父さんは、良いものが分からないんだからー!!」とフォローをしてくれた

そのフォローのおかげで私は、そのときの自分の「悲しい」気持ちを忘れ去っていた

その記憶が蘇った

え。。。。。

と思ったが、陣痛のため、その記憶・気持ちに向き合う余裕はなく、出産後に気が付いた

携帯がない?車に忘れた?

病院の公衆電話で父に電話をかけた

私「携帯を忘れて来た。車にない?陣痛中にお尻の下に敷いてたタオルの中にないかな?」

父「血だらけで、袋に入れて川に投げ捨てたよ」

私「、、、、、」怒りが込み上げた

携帯どころではなかった

私が贈った今治のタオルを今度は捨てたのかよ!!!

これを父に言うと

父「俺のものを俺がどうしようが俺の勝手だろう」

↓脱同一化

気持ちを踏み躙られた気分
(腹からイラモヤ)


こちらが大切に思ったことを捨てられた気分
(腹ムカムカ、肩に力が抜ける、シュン)


金をドブに捨てた気分
(ゲッソリ)


悲しい
(涙が出そう)


私は大切で特別に思ったのに、父はそうでなかった
(落ち込む)


妹が何かをプレゼントした時は喜んでたくせに
(やっぱり私は愛されていないんだ)

↓↓

あーあー、もったいないな〜、私が回収して使えばよかった

↓↓

好みじゃなかったのね〜、まあ、私の父を思う気持ちは伝わったから、いっか

父の声=私の声
「好きじゃないものを貰っても困るから、いっそくれない方が断然、楽だわ」

↑あれ、、これ私の本音だ、そう、これ、私がいつも思ってたことじゃん!!な〜んだ、そっか、そりゃ私も随分酷いことを思っていたなあ。。。反省。贈り物はその中身にこだわるよりも下さった相手の気持ちを受け取るのが重要だったね

そう思うと、母は人の気持ちを汲んでくれる優しい人だなあ

そういえば、、、母や父への贈り物って、

私は「私があげたいもの」を一人よがりな視点で、勝手に贈って自己満足してたけど

妹は2人をよく観察して、2人が「好きなもの・よく使うもの」を贈ってたな

なるほど、贈り物って、相手に喜んでもらうことが目的だったもんね

目的をはき違えていたわ。。。

私がいいと思ったものを贈りたいなら、

受け取る相手が喜ぶような、相手が魅了されるような

事前の仕掛けや商品宣伝もやることが必要だよね

脳内でPRすると

「うるせえな!俺は要らないんだ!」という父が出て来た

と同時にまた記憶が出て来た

母が父を「いつも同じものばかりでツマラナイ」と言ってた記憶が出てくる


母「いつも新しいものが出ると目がなくてすぐ買って来ては、美味しいとかダメだとか試していて、ホント楽しそうね〜、にこにこ」←まだ無理があってここに更新はできなかった

母「いつも自分の好きなものをよく知って選んでいる父は、モノ・時間・自分を大切にしているね」←しっくり来た

更に出て来た記憶

【記憶】

母「(私が贈った)手袋を片方無くして!ほんとお父さんは良いものが分からない!」怒ってる悲しんでいるショック

父、実は無くしたことに気付いたときに慌てて探したが見つからず、(※それはちゃんと手袋を使っていたっていう証)、うっかり無くしちゃった罪悪感から、母に何も弁解もできず、元々無口だし

あ、そっか、今治のタオル、私が贈ってから、陣痛の日まで3年以上は経っている、父は使ってくれてはいたのか。

そういえば、母と色違いのお揃いで贈ったから、母と喧嘩してたから、気が進まないというか嫌だったのかも?いや、父は混同しないから、違うな

私に何か怒っていたのか?あり得る、無口で言わないから分からないわ、父はいつも気持ちを押し込めてうまく処理できてないからなあ


私「お父さん、なんか機嫌悪い?」

父「、、、、」何も言わない

私「ごめんなさい」取り敢えず謝る

父「おう」

すると、

タオルちゃんと使ってくれた〜!!!

という記憶が蘇った(そんな過去はないのだけど、まさに蘇った様にこの映像が見えるの!これがパラレル平行多次元世界への移行)


父が嬉しそうにニコニコ幸せそうに大事にタオルを使っている

あれ、父の私対する溢れる愛情が滲み出ている

そういえば、、、

陣痛時のお尻の下に引いたタオル、これは今思い返すと、事前にちゃんと両親に「このタオル汚しちゃっても大丈夫?」と聞くべきだったな、自分がかなり自己中だったことに気が付ける

実家でジャイアン気分だった自分が伺える、父はこんな私の態度が気に入らないのかも。。。

うん、大いにありえる

でも、これを父は言葉にしないのだ

「そんな小さなことをイチイチ言うなんて」という母の声が、父には聞こえて来るから

父もちょっとはそう思っている

でも、父は娘の私を大事に思うからこそ、モヤモヤしているのだ、私が自己中なジャイアンみたいな態度を取ることが嫌なのだけれど、色々あってそれを言えない(後ほど紐付く記憶が出て来ます)

父は車が大好き、ずっとベンツに乗っていた、自分が足を骨折しても、毎日、一番上の階に停めている車まで、階段の登り降りをして、お手入れを怠らないほどの情熱

もちろん子供の頃から車内で食べ物は厳禁!!でも、食べていた記憶もあったな、父に舌打ちされながら(笑)

だから、母の陣痛時は「救急車よべ!!!」と送迎を断固として断る父😂

それが年をとって?、私の陣痛時は、病院に送ってくれた(私に対しても、出産当日まで「救急車呼べ!!タクシーで行け!!」としか言わなかった父が、当たり前の様に送ってくれたなあ、もう明け方の4時だったから、さすがの父も「救急車は近所迷惑だしタクシーもないし」そこを考慮したのかも知れないが??)

そして、あるとき私は気がついた

父の車のナンバーが私と妹の誕生日だと言うことに

私と妹は同じ誕生月、そして順番は、長女の私の誕生日の数字が先で次女の妹のが次

私「あれ?誕生日じゃん!」

父「何だ今頃気が付いたのか」

驚きながらも嬉しそうな父だった

その時から、私は父の愛情に気づき始めていたのだ

更に出て来る記憶

父が「母と離婚する」と言ったとき

父「本当は、●●(私の妹)が高校を卒業したら、ずっと離婚するつもりだった。でも、●●(私の妹)が専門学校に行きたいって言うから、仕方なく先延ばしにしたんだ。お前には悪いけど、正直、お前のことはどうでも良かった、お前の方が●●(私の妹)よりも先に社会人になったから、とかそう言う理由ではなく、お前のことはどうでも良かった」

これを聞いた私は、「ああ、そっか、私は実子じゃないから、私はどうでも良かった、と言いたいのね。」と思うと同時に

「いや、父は口ではこんなことを言っているけど、これは父の本音ではないな」と何故かハッキリと分かっていた、その場で

更に出て来る記憶

私がまだ小学校低学年の頃、まだ2・3歳の妹と遊んでいて

折りたたみベッドで誤って妹を怪我させそうになった

妹は大きな声で泣いて、すぐに父と母が飛んで来た

父は私を叱ろうとしていた

それを母が視線で止めた

父は握りしめた拳を開いて、その場で、やりようのない顔になった

父も母も私に悪気がないことは分かっていた

怪我こそしなかったものの、間違えて危ないことをしたことは事実だった

だからこそ、父は私を叱りたかった

実の子と全く同じ様に愛しているからこそ、父は私を叱りたかった

でも、母は過敏になっていた

連れ子の私と実子の妹、そこに母の罪悪感があった

母は、父が私に厳しくすることを一切許さなかった、何かあると敏感に反応した、キツイ視線で父を動かなくさせた

父は、母の気持ちも理解できたが、父自身の私に対する素直な愛情表現を、どうしたら出来るのか、ずっと模索していたのだ

すぐ隣でいつも罪悪感を抱えた妻(私の母)が目を光らせている中で、どうやって、この血の繋がらない娘(私)に愛情を表現したら良いのか

人間は答えが出ない葛藤や模索を続けると疲労した結果、もうどうでも良い、と言う感覚に至る

父は私に対して何度もその様な感覚に至ったのだろう

「どうでも良い」と言う感覚を抱いた回数だけ、父は私に真剣に向き合い愛情を向けてくれていたのだ

今なら父の葛藤と深い愛情を受け取れる




↑備忘録より↑

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https://taiwayutasari.wixsite.com/taiwa-therapy/%E7%84%A1%E6%96%99%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%84

\ 自他の存在そのものを祝福する /

元(病弱患者・医療者・HSS型HSP)、日台ハーフ&ステップファミリー出身の私が自らの心身の健康を取り戻した技術を磨き広めています

心理セラピスト  佐藤 紗梨(さり)